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映画『スキージャンプ・ペア Road to TORINO』

2月10日はトリノオリンピック開幕の日である(日本時間では11日だが)。ということで、前からこの日に観に行こうと決めていた。

「スキージャンプ・ペア」とは、ひと組の、つまり二本のスキー板に二人が乗るスキージャンプ競技である。日本で生まれたこの競技は、このたびのトリノから正式に五輪競技に採用された。本作品は、ここにいたるまでのこの過酷にして華麗なる競技の起源と発展の歴史について、ドキュメンタリー映画にまとめたものだ。

……という設定の下、この「スキージャンプ・ペア」という冗談を徹底的に貫くために、「プロジェクトX」(に限られたものではないけど)と「スポーツ実況中継」という二つの今日における典型的なメディアの文法──語り口をとことん敷衍するのである。大きなウソをつくためにディテールをリアリティで固めるというのは定石だが、口にするのは容易くても実践するとなると話は別だ。少しでも腰が引けると、とたんに白けてしまうのである。ゆえに、この、語り口の敷衍のしぐあいが、たぶんいちばんの見所である。

3部にわかれているうちの、1部と2部は「プロジェクトX」の表象のスタイルをそのまま踏襲して、この競技の誕生から挑戦、挫折、復活といった栄光の歴史が描かれる。眉間にしわを寄せてむやみに雪原を歩きまわる「ナビゲーター」、なにからなにまで説明してくれる親切きわまりないナレーション、過剰にして感傷的な効果音楽、多用されるスチール写真、さらには再現映像から関係者インタビューまで、「プロジェクトX」的な語り口がこれでもかというくらいにくりだされる。映画だというのに、ちゃんと画角も 4 : 3 である。

たとえば、途中何カ所かでてくる、お決まりの関係者インタビューのシーン。撮り方から撮影場所、構図まで、それらしくできているのは当然として、インタビューに答えてしゃべる俳優(スキージャンプ・ペアの生みの親原田博士の双子の息子の弟で、この競技のトップ選手、という役柄。名前失念)の、そのしゃべり方が目を惹いた。いかにも素人さんがテレビカメラの前でインタビューされたという感じを、やや誇張しながらうまく出していたからだ。それはなにか合わせ鏡を見ているような、奇妙な気分を引き起こすものだった。

アナウンサーや俳優のように人前でしゃべる訓練をうけているわけではない素人たちが、テレビカメラの前でしゃべらなければならなくなった。そのとき、なんら示し合わせたわけではないのに、だれもがある一定のしゃべり方を共有している。これは、いったいどういうメカニズムなのだろう。きっとぼくも、テレビのドキュメンターに関係者としてインタビューされたときには(そんな経験ないけど)、あのような話し方や身ぶりを知らず知らずにしてしまうのではないか。そしてその話す内容も、きっといかにもその番組に相応しいものを、いつのまにか語ってしまっているだろう。

つくっている方としては、この、一世を風靡し、それゆえ陳腐化したテレビ・ドキュメンタリー(?)の語り口を選んだこと自体が、一種のパロディであったのかもしれない。その選択は、しかし結果的になかなか示唆に富むものであった。それは、「プロジェクトX」という一番組(それ自体はすでに終了した)に限らず、この手の語り口がテレビ番組から新聞、週刊誌にいたるまで広く通有されるのはなぜかということを教えてくれているからである。

一般にぼくたちは、ある物語を織りあげるなかで物事に折り合いをつけたり、これを理解しようとしたりする。しかし現実は複雑だから、ぼくたちの語る物語はつねに不協和音を発しつづけ、語る端から破綻しつづける。

ところが、「プロジェクトX」的な物語では、そうした「ノイズ」の生じる余地がない。つくり手も受け手も、悩んだり迷ったりする必要がない。そこで語られる物語は、つねにわかりやすく、つねに「感動」をよぶ。それを可能にするものが、この語り口なのだ。なぜならこの手の映像文法の特徴は、それがひとつの意味しか指し示さないことにあるからである。つまり、「誤読」とか「深読み」の生じる余地が極小化され、見る者はあらかじめ用意された意味に間違いなく到着するよう、入念に配慮されている。そのためには、さしたる努力も想像力も要求されない。というより、そういうものはむしろ邪魔なのだ。

したがって、この形式の下ではどのようなテーマが扱われようと、すべてひとつの同じ物語が反復されることになる。日本企業の成功譚であれ、芸能人の離婚話であれ、スポーツ選手の復活劇であれ、じつはすべて同じ物語なのだ。もちろん、スキージャンプ・ペアの誕生と発展をめぐる「ヒューマン・ドラマ」も。すべての法螺話は、いかにももっともらしく聞こえる語り口に載せて語られなければならないという定石に照らすならば、この映画はまさに今日それが語られるにもっとも相応しい語り口を選んだのである。

さて、この映画がかかっていたのは、渋谷のサンライズであった。向かいのパルコ・パート3の前に人だかりができている。無秩序なのではなく、二列にわかれて並んでいるようだ。一方は中高年おばさま群団、もう一方は秋葉原がそっくり引越してきたような20-40代の中年?男たち。いずれもシネクイントのお客さんらしい。開場と同時にドッとなだれ込んでいった。前者は韓流ラブコメディ『B型の彼氏』、後者は押井守の新作『立食師列伝』が目当て、ということである。いかにも、というステレオタイプ像が実際そのまま列をなしていたわけだ。世の中ここまでわかりやすくなっちゃっていいのか。

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