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姫路城へ

姫路城へ行ってきた。

猛暑のなか、お盆恒例の大渋滞とガソリン高騰にもめげず、千葉よりさらに暑そうな姫路まで出かけたのには、わけがある。子どもたちが、このところ戦国時代にやたらと凝っているのだ。元ネタはゲームらしい。わが家にはゲーム機がないから、休みの日になるといそいそと、兄弟うちそろって同好の友だちの家に出かけていく。六年生の長男は、新田次郎の『武田信玄』を読みはじめ、小学校の歴史の社会の時間に戦国武将の領土見取り図かなんかを発表して悦に入っていたらしい。そうこうするうち、やっぱり本物のお城が見てみたい──ということで、帰省先から脚を伸ばすことになった。子どもたちには、姫路城をネタに夏休みの自由研究をしようという魂胆があった。いっぽう親たちのほうは、いちおう子どもの付き添いというスタンスをとってはいるものの、正直にいえば、少しばかり姫路城を見てみたい気持ちがあった。

街のどこからでも目にすることができる姫路城、大手門をくぐり三の丸広場から正面に偉容を拝むことができる。しかし、そこからが長い。西の丸にある長局(百間廊下)とよばれる細長い建物(裏側は崖地で、城壁のようでもある)をえんえんと歩いていく。八畳ほどの小部屋がつづいている。女官が暮らしていた建物なのだそうだ。分厚い白壁と高い天井のせいか、吹き抜ける風のおかげで、あんがい涼しい。

長局を出ると、再び炎天下。蝉の音を背景に、大天守が三つの小天守をしたがえて美しい姿を見せている。だがなかなか近づいてはこない。この城は左巻きの渦巻き状につくられているらしく、少しずつ天守閣ににじり寄るようにしてアプローチしていく。じぶんはいまどのあたりを歩いているのか。全体の配置についてはっきりしたイメージがもちにくい。そのように構築してあるのだろう。姫路城を見学するには、城全体を体験しなければならない。各地の再建城は天守閣だけしか見せるつもりがなさそうなところが少なくないが、城の構造全体を見せるという考えもあってよいのではあるまいか。

ようやく大天守に到達。石積のあいだからアプローチすると、まずスリッパに履き替える。ここが大天守の地下にあたる。この上に、外観五層、内部六層の地上部が鎮座している。低層階には鎧兜や巻物といった品物が展示されている。圧巻なのは、3階(だったかな?)。直径一メートルほどある大柱が二本、剥きだしになっている。いずれも面取りのなされていない、丸太状のものだ。東の大柱は、もともとモミの一本材だったものが、昭和30年代におこなわれた大改修で、根元の部分だけ腐食していたためヒノキを継ぎ、トガとモミを継いであった西の大柱は、ヒノキを二本継いだものに交換された。大天守の総重量は5700t、この二本の大柱にはそれぞれ約100tの重量がかかっており、ほかに190本ほどの柱とともに、大天守を構造的に支持しているという。姫路城は、たしかに巨大ではある。だが、昨年行った松本城が、最上階の床から大柱が突き抜けている野趣溢れる無骨なつくりだったのに比べれば、エレガントであるとさえいえる。外観だけではなく、内部──といっても、いわゆるインテリアのことではなく城の建築的構造のこと──についてもまたそうなのだ。天守閣がどのような構造的論理によって構築されているのかは、ただ外観をなぞっただけのコンクリート造の再建城には見出すことができないものだ。

大天守の最上階まで登り、祀ってあるお社に手をあわせて、再び階段を下って、大天守の外へ出た。三時間もたっていた。城内は飲食禁止だったから、喉がからからだ。本丸下の売店の自販機でペットボトルを何本も買い込み、一家でそれを奪いあうように飲んだ。「お城の階段」という題名で自由研究をする予定の子どもたちの見解によれば、姫路城と再建城とのもっとも大きな違いは、階段の位置なのだそうだ。なるほど。