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映画『父親たちの星条旗』

クリント・イーストウッド監督の新作『父親たちの星条旗』を観た。

映画館に行くのはしばらくぶりだ。出かけたのは六本木ヒルズのTOHOシネマズ。スクリーン7は以前に、超をつけてもいい愚作『日本沈没』を観たところである。

平日の昼間のせいか、客席に人影はまばら。上映が開始された。少し離れたところに座ったアベックがホットドッグか何かの袋をガサゴソさせていた。ほどなくしてその音がやんだ。スクリーンの映像は圧倒的だった。傑作、と呼べるかどうかはわからないが、圧倒的な作品である。

硫黄島。その名が現在も米海軍の強襲揚陸艦の艦名にもちいられていることからもわかるように、日米双方におびただしい犠牲を強いた、太平洋戦争末期の激戦地である。

その戦闘のさなかに撮影された一枚の写真を軸に、戦場と「銃後」、二つの場を往還しながら、戦争という経験が、いずれにしても精神と人生とを蹂躙し破壊していくさまを抑えたトーンで描く。撮影も美術も視覚効果も音響も音楽も、抑制が効いて、よい。さらにポール・ハギスの脚本がよい。けっこう長い原作(『硫黄島の星条旗』文春文庫)を、ポイントを押さえながら、けっして薄くも浅くも駆け足にもならない。ただし終盤、まとめのようなモノローグは、もう少し削り込んでもよかった。

めずらしくパンフレットを買った。蓮實重彦先生が寄稿されていた。「「有名性」と「無名性」との関係をめぐるまったく新たな形式のフィクション」だという。個人的には、この「フィクション」という確認に注目しておきたい。

本編のエンドタイトルにつづいて、12月に公開予定の姉妹編『硫黄島からの手紙』の予告編が流された。こちらもイーストウッドの監督による。硫黄島のたたかいを日本側の視点から描くという。ところがこの予告編、観てわが目を疑った。『男たちの大和』や『亡国のイージス』や『ローレライ』といった近年の国産「愛国映画」のそれのように見えて仕方がない。当然、視覚効果の話ではなく(比較にならぬ)、演出や脚本の話でもない(比較にならぬ)。たったいま観たばかりの『父親たちの星条旗』のなかで否定されていた「英雄づくり」に加担してしまっているのだ。予告編編集上の問題だとおもいたい。だが、実際に作品を観てみないことにはなんともいえまい。