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遅筆な日々

しばらく更新できなかった。理由は単純、ブログの原稿を書く余裕がなかったからである。

もっとも大きな要因は、書かなければならない原稿が一本、著しく遅延したためだ。着手したのは2月の初め。当初は3月中旬の海外出張前までに仕上げるつもりだった。ところが、断続的にあれこれ書いてはみるものの、いつまでも断片の集合のままで、一向にまとまってくれない。そのうち別の原稿の締切が迫り、そちらを先に書かねばならなくなる。海外出張から帰っても、分量だけはあるものの、全然まとまらない。その合間にも、会合や会議やシンポジウムに出席しなければならない。ひとにも会わなければならない。4月が来る。桜が散る。授業が始まる。それにともなって会議も増える。なんだかんだで、引っ張るだけ引っ張ってきたものの、いよいよこれ以上の遅延が許されなくなった。なにしろ、ドミノ倒し式にこれ以降の仕事すべてに遅れが出てしまっている。昨日から最後のひとふんばりで、先ほどようやく脱稿した。とはいえ、最後の節はけっきょくどうにもまとまらなかった。ゲラで直そう……。

原稿が書けないのは、ようするに考えがまとまっていないからだ。そう指摘するのは梅棹忠夫先生である。『知的生産の技術』のなかで、みずからの遅筆を分析して、そう述べている。まったくそのとおりである。むろん、ぼくも工夫していないわけではない。執筆にとりかかるに先だって、メモ書きをつくるし、アウトライン・プロセッサをつかってある程度の構成もこしらえる。だが実際には、書きながら考えがまとまってゆくことが少なくない。今回のようになかなか考えがまとまらないというケースは、事前の構成づくりの不十分が直接の原因だろうとおもう。もうひとつの反省点は、テーマの選択だ。むしろこっちのほうが大きいかもしれない。以前に吉見俊哉先生から「考えてから書くのではない、書きながら考えるのだ」と教わった。だが同じことをしたからといって、吉見先生のようにどしどし書きすすめられるわけではないということか。

それにしても、梅棹先生が遅筆とは、信じがたい話だ。が、どうやら本当らしい。梅棹先生の京大人文研時代の研究室秘書、藤本ますみさんの『知的生産者たちの現場』(講談社、1984年)にも、その旨の記述がある。

その梅棹先生のお姿を拝見する機会があった。3月の末、大阪千里にある国立民族学博物館を訪問したさいのことだ。民族植物学者・文化人類学者である山本紀夫先生の受賞と退職を記念したシンポジウムに出席されていたのだ。最前列のシートに坐り、発言に熱心に耳を傾けておられたのが印象的だった(そのあとの懇親会にも参加されていた)。

そのシンポジウムは「登山・探検・フィールドワーク」と題されたもの。大学の山岳部や探検部──このばあい具体的には京大のことだが──は、長く人類学などのフィールドワーカーを輩出する揺籃だった。ところが近年、山岳部も探検部も当世の大学生に不人気であり、なかには活動を休止しているところもある。そしてそのことが、フィールドワークを主たる方法とする学問領域の衰退傾向につながっているのではないか、という問題意識なのだ。

これをうけて、何人かの研究者たちが登壇した。処女峰も未踏ルートもなくなった登山の世界にパイオニアワークは見出しにくいとしても、そこで培った方法論を学問の世界に向けるというやり方があるのではないか、という解答が、異口同音に数名から提出された。

このシンポジウムでの収穫はもうひとつある。『映像史 ヒマラヤへの道──京都大学学士山岳会の70年』という記録映画を観られたことだ。とくに戦中に実施されたポナペ島調査探検の動画など、貴重な映像が収録されている。このあたりの研究領域・研究手法は、しかし京大の真骨頂という感じだなあ。

というわけで、これから別の仕事にとりかからねばならない。