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会津蒲生岳

会津最奥部、只見町に出かけた。

那須をとおりすぎる。連休中のこととて、落としたアイスクリームに群がるような自家用車で千本松牧場あたりが混雑していることは予想どおりだ。意外だったのは、それにまじって多数の軽排気量改造バイクの集団も見かけたことだった。集団暴走行為系ヤンキーな若人たちも、行くところに行けば健在なのだ。勉強になりました。うら寂しい塩原温泉を抜け、会津田島をすぎるころには、クルマの数はだいぶ減る。那須から100km走ると、只見町だ。

只見は晴れて、ぽかぽかといい陽気だった。桜とカタクリが咲き、木々が芽吹きはじめたばかり。ちょうどひと月前の千葉と同じようすである。

一泊した翌朝も晴れ。近くにある蒲生岳に登ることにする。はっきり計画をたてて来たわけではなかったのだが、こういうこともあろうかと、ランクルの荷室に登山靴を積んできた。ドライブと観光スポット見物と食べ歩きというスタイルは、どうも体質にあわないみたいだ。

蒲生岳は標高882m。低山である。慣れた大人なら片道1時間強で登頂できる。だが数字上の印象とは相違して、実際に登ってみるとなかなか変化に富み、たのしい山歩きができる。なにしろこの蒲生岳は独特の山容を誇る。ちょうど典型的な「お山の絵」のそれのように、きれいな三角錐の格好をしているのだ。地元の説明によれば、登山家田部井淳子氏が「東北のマッターホルン」とよんだというが、それはまァともかく、JR只見線蒲生駅からのメインルートは、それを山頂めざしてほぼ一直線に直登するのである。

登山口であるカタクリ公園──カタクリの群落は見頃をすこし過ぎていた──から山頂まで1100m。登山道はよく整備されている。岩場には階段状にステップが切ってあり、急な箇所にはロープがたらしてある。夫婦松をすぎると樹林帯を抜ける。穏やかな天候に恵まれ、すばらしい展望がひらける。只見の町、水を張った田、只見川とそれに絡みつくように走る只見線、少し先には田子倉湖や只見ダム、残雪の浅草岳。登山道の脇には、木々の芽吹きにまじって木蓮が白い花を咲かせ、足許にはカタクリやイワウチワが風に揺れる。

山頂まであと300mという札に出会うあたりから、登山はいよいよ山場にさしかかる。数カ所、切り立った岩盤をトラバースしなくてはならないのだ。といっても、基本的な技術をもった大人がきちんと歩くのであれば、大きな問題はない。ただこちらは、5歳の《くんくん》を連れている。下で《くんくん》を確保しつつ、鎖場のロープにとりつかせる。三点確保の要領を教えながら、少しずつトラバースし、「難所」をクリアしていく。こうして山頂まで2時間10分かけて到達した。ちなみに標準タイムは登りも下りも90分、往復で180分とされている。

下山時、小学生くらいの女の子をザイルにつないで登っていた夫婦とすれ違ったが、あれくらいの装備をしておくのが本当かもしれない。もっとも民宿の奥さんの話によれば、この蒲生岳、只見の子どもは小学5-6年生になると小学校から登りに行くのだそうだ。だからこの町で成長したほぼすべてのひとは、この山に一度は登る。蒲生岳とは、そういう山なのだ。そのよく手入れされた登山道のようすを見るにつけ、この山が只見のひとびとにどのように愛されているかがよくわかる。

ふたたび2時間かけて下山したのち、只見の町中にある温泉保養センターに行った。湯につかって出てくると、ロビーにいたエプロン姿の中年男性に声をかけられた。こごみのゆでたのを試食してゆけというのだ。聞けば男性はこのセンターの支配人で、蒲生岳の登山の指導員でもあるという。ぼくたちが登ったのは久保登山道コースなのだが、昨年かれらは何度も山にかよって、ブナ林をとおる新コースを開設したのだそうだ。

この支配人氏はなかなかおもしろい人物だった。只見の町や自然をしはじめると止まらない。で、話をしているうちに、かれがそのロビーにおける本務であるところの土産物販売に結びついていく。パンとかお菓子とか山菜などを、いろいろと紹介してくれるのだ。ただし誤解してはならないのは、支配人氏がけっしてこれをたんに物品販売だけを目的とした営業トークとして行っているのではないことだ。むろんそれが職務である以上必要なことではあるのかもしれないが、かれを動かしているのは、そういうものではないのだ。かれは心底この地を愛しており、観光で訪れたひとびとに少しでも只見のすばらしさを知ってもらいたいのである。

その支配人氏から買ったこごみ──山ほどおまけしてもらった──をかかえて、冬季閉鎖が解除されたばかりのR252号線六十里越えをとおって、新潟県小出にで、関越自動車道にのった。上信越道との合流地点から嵐山あたりまで1時間20分ほど渋滞にもまれたのち、帰着した。この間5歳児《くんくん》はずっと助手席にあり、途中20分ばかり昼寝をした以外は、ランクルにとりつけられた安全バーをしっかと握って、これを舵のようにして「運転」しているらしかった。