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大学図書館

学長選挙の翌日は京都へ日帰り。大学図書館にかんする勉強会によばれ、話をするためである。

集まってくださったのは、京都近辺の大学図書館ではたらくライブラリアンたち。「ポスト人文書時代において、人文系の学術出版はいかに可能か──「出版」再定義への試み」と題して、ここ数年試行錯誤しつつ考えてきたことをお話させてもらった。

ぼくの話は、おおむね以下のとおり。

人文書空間が崩壊し、人文書の変容が迫られている現実は、同時に人文的な知の様態そのものの変容を意味している。だから、ポスト人文書時代において新たな文脈で人文書の再構築をめざすことは、ポスト・グーテンベルク銀河系──いまのところそれはGoogle=YouTube的なものとしてイメージされているわけだが──における人文的な知のあり方を構想することに直接つながっている。ところが、この手の話は従来もっぱら産業論か、そうでなければ技術論かのどちらかの言説に極端に偏っていた。こうした論点はたしかに一定の重要性はあるが、しばしば現実の出版産業や情報流通技術を前提してその内側だけで語る、窮屈で展望の見出しにくい議論に陥りがちであった。したがって、もっと広く多様な幅をもったなかから出版を捉えなしてみることが必要だろう。別言すれば、さまざまな出版 publishingがありうるという視座を獲得するということだ。そのような形で出版の再定義を試みるとしたら、そこにいたるための道筋のひとつは、身体や実践の水準に見出せるはずだ。それが、ワークショップという手法を重視する理由でもある。未来がどうなるかは、予測するというよりも、みずからがビジョンを見出して、そこに漸進していこうとすることではあるまいか。

順を追って話していたらついつい長くなり、うっかり120分もしゃべってしまった。最初は90分といわれていたのだけれど。ごめんなさい。

この集まりでは「知の変容と大学図書館」というようなテーマで連続の勉強会をひらいてきたという。ぼくはその五回目で最終回だった。印象的だったのは、参加者の多くがまだ若手といってよい年代であったことだ。若い大学図書館員たちは、出版のみならず知や大学制度の変容──大学はみずからじぶんの首を絞めているようなところがある──のなかで、ただでさえ制約の多い大学図書館にどんな未来を見出せばいいのか、模索しているらしい。

──というようなこの集まりの性格を知ったのは当日会場に着いてからのことだった。だから、切実で鋭い問題意識をもつ図書館員たちがぼくの拙い話を熱心に聞いてくださったのは、予想外のよろこびだった。と同時に、ぼく自身が大いに刺激をうけ、教えられることが多かった。

発表の最後に、大学図書館への期待として、こんなことを述べた。ライブラリアンの仕事のなかに広い意味でいう編集的な仕事があり、大学図書館の役割のなかには、広い意味でいう出版的な要素もあるはずだ(むろんその前提には、編集も出版も、それ自身のなかに多様性をかかえていると理解すべきだという考え方がある)。そんなふうに発想を少し変えてみると、大学図書館は、大学が内部と外部双方の他者にたいしてみずからを開いていくための契機になりうるかもしれない。すると参加者のひとりから、こんな提案がなされた。人文書の読み方を教授できるようなワークショップができないか。なるほど、それはアリかも。

「未来を予言する最良の方法は、それを発明することである」とは、アラン・ケイの至言である。それは、なにもテクノロジーに限った話ではない。