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卒園とレイモンド・ウィリアムズ

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三男の保育園の卒園式がぶじ済んだ。これでわが家からは誰も保育園にいかなくなる。もっとじんわり来るかとおもっていたら、あんがい明るくさっぱりしたものだった。土曜の陽射しと同じように晴れやかで、よかった。

長男が保育園にかよいだしてからここまで、勘定してみたら、じつに12年と7カ月たつ。その間ずっと、うちの子の誰かが保育園にかよい、その送り迎えやら行事やら父母の会やら何やらといった「おつとめ」があり、生活があり、いうまでもなく仕事があり、さらにある時期は大学院にもかよっていた。よくまあ続けられたものだと、いまにしてみれば、おもう。といっても、こちらは勝手放題だから、えらそうなことはいえない。なんとか破綻せずにここまでたどり着けたのは、《あ》の明哲の賜物にほかならない。

途中で引越にともなって転園したため、ふたつの保育園のお世話になった。それぞれ性格はだいぶ異なっていたが、どちらでも子どもたちはのびのびして愉しそうに過ごしていた。よい園に恵まれた。

卒園式のあとの謝恩会(三次会まであったらしい)はパスして、日本女子大へ向かう。「批評としての経験/経験としての批評──レイモンド・ウィリアムズとの出会い」と題されたシンポジウムを聴きに行った。発表はいずれも興味深く、勉強になった。

主催者も参加者もほとんど英文学のひとたちで、見知ったひとはひとりとしていない。完全アウェー。だが、こういう環境に身をおいて、伝統ある分野の折り目正しい作法に則って進められる方法と議論に浸ることは、いまのぼくには大切な気がする。

むろん、たんに武者修行のために出かけたわけではない。ウィリアムズにはもともと興味があったのだ。いわゆるCS系のメディア・スタディーズの教科書的理解においてウィリアムズに与えられる役まわりは、映画史におけるリュミエール兄弟や航空史におけるライト兄弟(なぜか兄弟ばかりだけど)のそれと似たようなところがある。偉大な先達として奉られつつ、その後の世代に批判的に継承されたとして、汲みつくされることなく棚上げされてしまう。そこには、ウィリアムズのテクストがもつ、ある意味での「わかりやすさ」も関係しているかもしれない。

すべてのテクストを読んだわけではないのだが、ぼくにとってウィリアムズは、何度読んでも「わかった」感じがもてず、けれども、それでも「わかりたい」とおもわせられるひとである。広いパースペクティヴと深い洞察、明晰な認識と複雑かつ慎重な方法に満ちたかれのテクストが、今日わたしたちがかかえる課題をあらためて見据えたとき、さまざまな形でわたしたちの導きの糸たりうる力を潜在しているからだ。ウィリアムズの思想や思考にはもっと敬意が払われるべきであり、真摯な探究がなされてよいのだとおもう。

シンポジウムのあと、椿山荘の横をすぎて飯田橋近くまで歩いた。そこで力尽きてタクシーに乗り、神保町へゆく。万年筆を一本買って店を出た。街はすっかり黄昏れていた。