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規定なき処分?

サッカーについては素人もいいところだ。だがさすがに酷いとおもうので、書く。

サッカー天皇杯四回戦でJ1大分と千葉がベストメンバーを出場させなかったのは大会を侮辱していると、日本サッカー協会会長の犬飼基昭氏が吠えているらしい。

Jリーグには通称「ベストメンバー規定」なる奇妙な規定がある。先発メンバーの入替数を制限しているのだ。Jリーグ規約より引用する。

第42条 1.Jクラブはその時点における最強チーム(ベストメンバー)をもって前条の試合に臨まなければならない。

第42条 2.第40条第1項第1号から第3号までの試合における先発メンバー11人は、当該試合直前のリーグ戦5試合の内、1試合以上先発したメンバー出場した選手を6人以上含まなければならず、詳細に関しては「Jリーグ規約第42条の補足基準」によるものとする。

この規定はJリーグの主催するリーグ戦とカップ戦に適用されるが、天皇杯はサッカー協会主催でJリーグの管轄外なので適用されない。リーグ戦から大幅にメンバーを変更する例は、これまでもしばしば見うけられた。つまりそれが天皇杯の「常識」のひとつだった。じじつ今回も一部のチームにかんして一週間も前からメンバーを大幅に変更するだろうという観測が、ごく当たり前のこととして報道されていた。実際とくにリーグ戦で優勝あるいは残留を切実に争っているチームにとって、この時期に天皇杯のようなカップ戦を入れられるのは、正直たまったものではない。問題とされたのは11月5日の天皇杯四回戦だが、大分と清水はそのわずか4日前にナビスコ杯決勝の死闘をたたかっている。

報道によれば、しかし犬飼氏の「常識」観は、こうした現実とは著しく隔たっている。ベストメンバーでの出場は「常識」であり、その「常識」に従わなかった大分・千葉の2チームは「日本で一番権威ある大会」であるところの天皇杯を「侮辱」しており、「規則があるかどうかの話ではない」としてこの2チームには具体的な制裁処分まで検討しているという。

初めは末期の前任者のように、ただ頭に浮かんだ感情を咀嚼内省することなく、そのまま口に出しているのかと訝しんだ。ロジックとして完全に破綻している。サッカー協会会長ともあろう者が軽々しく口にする類の発言ではない。

規定がなく、慣習として前例の少なくない事例にたいして、特定の立場にある者が「常識」「当たり前」に反しているという名目の下に職権においてなんらかの制裁がくだされるのだとしたら、その行為はまず職権濫用である。そしてその制裁は、法にもとづく裁定ではなく、私刑である。近代以前の暴君のように、あるいは近代以後の独裁者のように、あるいは現代の叩きあげのオーナー社長のように、恣意によるものといわれてもしかたない。万一にもそのような裁断を口にしたり、実際にくだしたりすることがリーダーシップだとおもっているとしたら、大いなる勘違いだといわねばなるまい。

ベストメンバー規定なるものは、そもそも規定そのものに無理がある。直近のリーグ戦からのスターティングメンバーの入替人数で線引きすることの妥当性。今回、大分は10人、千葉は7人を入れ替えている。だが千葉とたたかった清水だって直前のナビスコ杯決勝から6人を入れ替えている。上述のベストメンバー規定には明らかに抵触する。にもかかわらず、犬飼氏のやり玉にあがるのは、大分と千葉の2チームだけだ。6人はよくて7人はダメという線引きが成立する根拠はどこにあるというのだろう。直近の試合との日数によって加減されるというわけだろうか?

何をもって「ベストメンバー」と見なすかというもっとも根本的な問題でさえ、まともに検討されているとはいいがたい。たとえば千葉は今季後半からターンオーバー制を敷いている。先発メンバーは完全に固定されているのではなく、状況と戦術によって入れ替わる。千葉に限らずどのチームもプロなのだから、長いシーズンを見据えて一戦一戦を位置づけ、その試合にふさわしい先発メンバーを組むことを模索しているはずだ。つまり「ベスト」とは、そのチームのその試合にとっての「ベスト」であるという形でしか成り立たない。状況から独立した形での唯一の「ベスト」なメンバーがありうるという発想など、外部者によるフィクションにすぎない。ファンにはそれを語ってたのしむ権利があるが、制裁の基準になりうるような社会的正当性はもっていない。

いずれにしても犬飼氏の発言は、内容も見識も展望もなにもなく、傍目にはただ感情の起伏のままにその立場が与える権力をふりまわしているような稚児めいた妄言としか映らない。サッカーのファンや関係者のあいだでさえ、誰の共感もよばないだろう。そんな自明のことが、サッカー協会会長ともあろう者には理解できないのだろうか。

しかし、こう考えてきて、ふと思い当たった。もしかしたら、これは犬飼氏がかねて提唱して、現在鋭意ゴリ押し中の、Jリーグの「秋春制」への移行問題となんらかの関係があるのではないか。ここで、秋開幕で正月に決勝を迎える天皇杯の地位をアピールしておくことが、移行への布石と読んでいるのではないか。

その傍証を示すのは、11月11日付け日刊スポーツの「天皇杯主力温存の大分&千葉に制裁案」と見出しのつけられた記事である(こちら)。

フシギなことにこの問題について、マスコミ・評論家・ジャーナリストなど関係者から声らしい声がほとんどあがらない。ニッカンのこの記事の文体もまた、日本のマスコミにありがち典型的な提灯記事──取材対象者の代弁器となりはてている──のそれである。実際のところ本当にただの提灯記事にすぎないかもしれない。だがもしかすると、もろもろのしがらみのなかで現場の記者ができる最大の工夫が込められた記事なのかもしれない。よく読むと、他の記事ではまったく触れていないひじょうに重要な情報がさりげなく盛り込まれているのだ。

記事は言う。今回の件で犬飼氏が傍目には理解に苦しむほど強硬な態度で臨んでいることについて──

過密日程をこなす他のJクラブにとってもひとごとではなく、強い反発も予想されるが、それだけ協会幹部の怒りと改革への意志は固い。犬飼会長は公式戦や代表チームの活動日程、選手の契約期間も含め「シーズン制を変えれば、全部がうまくいく」と話し、検討中の秋春制移行を視野に入れつつ、今回の処分に踏み切るつもりだ。

つまり、こういうことだ。犬飼氏はじめ協会幹部には「改革」という大きな目標がある。「改革」の内実が何かはわからず、そもそもなぜ「改革」しなければならないかという根拠さえ不明なのだが、とにかく「改革」という前提がある。そして今回の天皇杯の件もその「改革」の一環として、犬飼氏のなかで位置づけられていることが示唆されている。「改革」の中心は秋春制への移行にほかならない。なぜなら犬飼氏(ないし協会幹部)は、こうした現在生じる諸々の「問題」は「シーズン制を変えれば、全部がうまくいく」と主張してやまないからだ。

昨日(11月11日)最初にこの原稿をアップしたとき、ぼくは「それがどのように「布石」になるのかは、ぼくには皆目わからないが」と書いた。しかし上の記事をあらためて読み直すと、つぎのような推測が成り立つ。

表面上の犬飼氏の発言は、天皇杯が「いちばん権威ある大会」であるがゆえに「ベストメンバー」で望むのが「常識」だと述べている。だがかれの真意を読み解くためには、この言葉は反転して読まれなければならない。現状Jクラブからみれば日程上必ずしも優先順位を高くできず、実質的には「権威ある」とはいえない天皇杯にたいし、半ば強権的にであっても「権威」があるかのように演出してみせること。これこそが、今回の発言と態度における犬飼氏の狙いなのではないか。秋春制への移行を実現するための布石になる、という戦略にもとづいた発言なのである。

だとするならば、常識知らずだ、謝罪せよ、処分だ制裁だとやり玉にあげられている大分・千葉両チームは、犬飼氏の「改革」という持論実現──というか政治戦略のための捨て石にされようとしているのだといわねばなるまい。

(081112加筆修正)

追記。11月12日付け日刊スポーツに同じ記者の署名記事で続報が出ている(こちら)。この記事では記者のスタンスははるかに明確である。(081113)