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映画『K-20 怪人二十面相・伝』

『K-20 怪人二十面相・伝』(佐藤嗣麻子監督)を観た。大作であるわりに危惧されたほど大味にすぎず、それなりに愉しく観られる。

北村想の原作は未読(名古屋出身者にあるまじきことで恐縮だが)。だから、原作と映画脚本とでどう設定が変わっているかはわからない。だがいずれにせよ、第二次世界大戦を経験しなかったパラレルワールドの東京としての「帝都」、という舞台設定が、たいへん効いている。そして製作者側のシンパシーの向かう先も、この「帝都」という架空の都市にある。

1棟だけ屹立する超高層ビルと、黒く塗られた東京タワーをいただく「帝都」。それは、ゴッサムシティを彷彿とさせる。そのビルの谷間を、怪人二十面相はバットマンみたいに黒づくめの衣装にマントをはためかせ、飛ぶ。

プロットや物語は類型で固められている。それ自体は悪いことではないが、類型を越えるものは感得しにくい。終盤に進むにつれ、少々辻褄があわなくなる。が、それもまあ、よい。ただ、やっぱりちょっと長すぎる。黒い東京タワーが活かされるような物語だと、なおよかっただろう。クラリス然とした松たか子や、仲村トオルのスカしぶり、高島礼子の姉御ぶりなども愉しめる。

細部に凝るのは、いかにも山崎貴監督の仲間らしい。作品の傾向も共有しており、基本的に人間を人間として扱うのが苦手のようだ。活劇部分はそれなりにみせてくれるが、ドラマとなると脚本も演出もガチガチである。

極端に二極化した格差社会という設定だ。物語は(定型どおり)心情的に貧困階層の側に共感をもちうるように組み立てられている。ところが、そうした市井のひとびとを描く手つきが、なんともぎこちない。それはもう、びっくりするくらいだ。

その結果、義賊としての二十面相という側面が浮かびあがってこず、なんだかよくわからない、ただやみくもに叫び駆けまわる「怪しい人」として映ることになる。(そういえば、もうひとり別の「怪人」も登場する。)

貧困。とことん搾取されるということ。どこまでも支配されるという立場。それらにたいする悲しいまでの想像力の欠如が、この作品の源泉である。良くも悪くも。

本年の更新はこれでおしまいです。一年間お付きあいくださって、どうもありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。来年がみなさんにとって穏やかで実り多い一年となりますように。