映画『グラン・トリノ』

クリント・イーストウッド監督・主演。良い作品である。でも、きっと映画狂を自認するひとたちが、過去のイーストウッド作品やら映画史的記憶やらと結びつけていろいろ言いたいだろうし、現に言っているだろうから、その路線でぼくの出る幕などない。

昨今のイーストウッド作品の例に違わず、脚本がいい(ただ二箇所ばかりやや無理な展開がある)。ただ「敵役」もまた「守るべき者」と同じモン族どうしという設定は、見ていてつらいものがある。東南アジアから米国へ移民を余儀なくされたモン族の若者たちがヤンキー(とは米国ではさすがにいわないのだろうが)となり、さらに武装してチンピラ化してしまうのは、必ずしも個人的な資質や努力の問題というだけでなく、社会構造の問題が決定的に大きいだろうからだ。

78歳で主演するイーストウッドは、冒頭から始終唸っている。動作を始めるとき、ひとつ動作を終えるとき、「うう」もしくは「うーん」と唸っているのだ。あるところからこの唸り声が気にならなくなり始める。あるいは、実際にかれは唸らなくなるのかもしれない。そしていちばん最後に、また唸る。その唸り声は、最後に画面を走り抜けるフォード・グラントリノのエンジン音と響きあう。

そのグラントリノは、さまざまな工具類とならんで作中で重要なイコンとなる。1972年のグラントリノ(2ドアのファストバックである)といっているから、発売直後のものだ。ひところのセリカやスカイラインにそっくりなスタイルだが、当時の日本車にとってはお手本だったのだ。

映画に登場する車が、当時のグラントリノ最大のエンジンであるV8のOHCを積んでいたとすれば、排気量7リッター。車重は2t近いから、燃費はせいぜいリッター1-2kmだろう。ビッグ3がどうしようもなく左前になり、環境環境と題目が唱えられる昨今では、もはや「ビンテージ」という括りでしか存在できまい。

けれど、ハイブリッド車ばかりが売れる世の中が、世間がいうほど健全なのかどうか。だってプリウスなんか、ひと言の唸り声もあげないのだから。

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