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映画『アマルフィ 女神の報酬』

ひさしぶりに映画館へいったのに、時間の関係でこれしか観るものがなかった。

フジテレビ50周年記念と銘打たれた超大作。同社開闢以来最大のバジェットを注ぎ込んだという。フジの大功労者織田裕二を主演に据え、舞台はローマ、アマルフィとイタリアの有名観光地。ここ数カ月間というものさんざん予告編をみせられてきた。これだけ条件がそろってしまえば、作品の出来映えに期待するシネフィルは、まあ絶無にちかい。ぼくも義務感と使命感だけに後押しされてチケットを買う。

ところが予想に反して、これがおもしろかった。

設定や物語に目新しいものはなく、ありがちなものの組合せにすぎない。だが組合せ方にいちいち工夫がある。個々の描写も過不足なく、よく練りあげられている。導入のシークエンスなどけっこうこれみよがしな演出ではあるが、観客に必要最低限の情報を与えつつ、上手に物語へ巻き込んでゆく。小道具のつかい方もよく考えられていて、伏線としてうまく機能している。

目を惹くのがシークエンスのつなぎ方だ。通常よりもテンポが速く、場面が終わりきらないうちに転換する。いまや日本の一般的な娯楽映画はテレビドラマ的になっているから、観客にはつねにひとつの意味しか提示しないよう、何もかもが懇切丁寧必要以上に過剰に説明されるのが通例だ。それにくらべれば説明的なショットは少なく、台詞もかなり刈り込んである。しかも、その姿勢は全篇とおしてブレていない。それがよく効いて、大作にありがちな粗雑な印象をもたらすことなく、人間どうしのドラマによって物語が展開し、観る者はそこに身をゆだねてたのしむという王道を貫くことを可能にしている。

娯楽作品のばあい、その肝は多くのばあい脚本が握っている。この作品にはどういうわけだが脚本のクレジットはない。原作が脚本家出身のミステリ作家真保裕一ということは、脚本に真保がかなりかかわっているとみるのが自然だろう。そういえば、核心部は劇場版『ドラえもん』的な、あるいは『ホワイトアウト』的なアイディアではある。

物語上の動機が、なんだかテレビ朝日の劇場版『相棒』のアンサーみたいだったのが興味深い。しかも、であるにもかかわらず、両者のあいだのテイストはだいぶ違う。その違いがどれくらいかというと、テレビ時代劇でいえば、もう『暴れん坊将軍』と『剣客商売』くらいかけ離れているのだ。