節分

100203setsubun.jpg

「きょうは節分だよ」と子どもたちが口々にいう。

かれらの関心は節分そのものにあるのではない。恵方巻である。あの海苔巻きを1本まるかぶりで食べたいのだ。じっさい学童では一昨日に早くもおやつで恵方巻をいただいているらしい。あわよくばもう一本ねらっているのである。

しかし帰宅した《あ》はあっさりと却下した。ああいう習慣はうちにはないから、というのが理由。東日本方面のみなさんには区別がつかないかもしれないが、恵方巻は名古屋とはなんの関係もない。あれは関西方面の習慣であり、名古屋と関西とでは文化圏としては断絶している。ぼくが初めて知ったのは高校時代に読んだ小林信彦『唐獅子源氏物語』だった。

子どもたちは「そりゃないよ」と小声でぶつぶつ文句をたれる。その声は《あ》の耳を情け容赦なく素通りして消えてゆく。恵方巻の代わりに《あ》が子どもたちに差しだしたのは、空のプリンカップだった。なかに豆が何粒かずつ入っている。

デッキにでようと窓をあけた《なな》が叫んだ。「うわあ、小さな雪がまた降ってる」。粉雪というか、砕けた氷片のような、ざらめ状の雪である。早くも大方消えかかった一昨日の積雪のうえに、またしんしんと雪が降り積もっている。

暗くなった庭に舞う雪めがけて、子どもたちは豆を撒いた。「おにわあ、そと! ふくわあ、うち!」という声が響く。宙に浮かんだ声はたちまち寒さに凍えた。