《みの》の卒業式

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《みの》が中学を卒業した。生後11カ月で保育園にかよいはじめて以来14年。ともかくまあ義務教育終了までたどり着くことができた。ひと区切りである。

卒業式はごくごくオーソドックスなものだったが、なかなか気持ちのこもったよいセレモニーだった。

式の終了後、在校生が二列にならんで見送るなかを、卒業生がぞろぞろとならび歩いて「巣立っ」てゆく。まっ赤になって泣いている子あり、バッグの下に上履きのスニーカーをぶらさげている子あり、照れのあまりやたら早足になる子あり、いつものように近道しようとしてグラウンドを横切って連れもどされる子あり、抱きかかえるようにしてお目当ての卒業生が出てくるのを待つセーラー服の下級生あり。

松田聖子の名曲「制服」の世界そのままで、こういう風習は案外変わらないものなのだと知った。《みの》も、下級生の女の子に制服のボタンをねだられたのだが、「こんど渡すから」といって退散したらしい。いいのか、それで。

かれのかよったのは地元千葉のごくふつうの公立中学だ。のんびりと穏やかで、わりあい仲良くやっていて、愉しそうに3年間を過ごしていた。ぼくの中学時代の経験とはほぼ対極の生活をおくっていたようだ。

ぼくのかよった名古屋市立大森中学校は、いまはどうだか知らないが、当時はなかなかに殺伐としていた。べつに大森中が特殊だったわけではない。「校内暴力」の時代だったし、名古屋の公立はそれを管理教育で抑えつける方針を採っていたようだから、たいていの中学が、多少の程度の差はあれ、そんな感じだったのではないだろうか。卒業式もまことに形式的なもので、ほぼ記憶にない。

あれから29年たち、中学をとりまく様相はさらに様変わりした。あの公立王国の名古屋ですら、いまや早くから私立に行かせたがる風潮がないではないと聞く。いわんや首都圏においておや。

なかには「地元の公教育の充実を」と主張する教育学者が自分の子どもを高額の学費のかかる学校にかよわせている例を見たりもした。その家なりの事情があるのかもしれないと留保はしつつも、やっぱり学者としてどうよ? と文句のひとつも言いたくなる。

むろん私立にもいい学校は多い。だが公立はどこもダメで私立はどこもオッケーというほど単純なはずはない。中学受験は子どもの年齢を考えればそれ自体が目的化しがちではないかとおもう。

《みの》の進学時にも知り合いから「中学受験は?」と何度も訊かれたが、ぼくたちはその選択肢をとくに優先させなかった。ぼく自身が名古屋で経験したかつての公教育システムが妥当だとは今でもまったくおもえないが、それでもできるかぎり地域の公教育を信頼するべきであり、まず公立の義務教育をきちんと充実させるのが基本だとおもうからだ。そして《みの》自身、地元の中学に進むのを当然と考えていた。迷う余地はなかった。

地域によっては状況の厳しさはいろいろだろう。少なくともぼくたちの住むこの街の中学は、十分ちゃんとした学校だった。今日の卒業式が、そのことをはっきり物語っていた。おかげで《みの》は充実した3年間を経験することができた。

卒業おめでとう。