南京で原武史さんに会う

Nanjing Museum

帰国した。南京滞在の途中からネットにつなげなくなり、潔くアクセスを諦めた。以後、帰国まで音信不通。

発表は、おかげさまでうまくいった。通訳が入ったことだし、どのレベルまで通じているのかはよくわからないが、発表の終わった時点でなんとなく手応えがあった。ひじょうに好意的なリアクションをいくつもいただけた。責任をはたして一安心である。

お昼休み(こちらの風習らしく2時間もある)に食事をパスして抜けだして、タクシーで南京大虐殺紀念館へいった。中国語の館名は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。もちろん正式には簡体字だ。日本語でどう書けばいいのかよくわからないので、とりあえずWikipediaの記述に従って、こう記しておく。とにかく、南京へ来てしまった以上、行かないわけには行くまい。

入場は無料。若者から老人まで、たくさんのひとが来場しており、入場口に行列してしばし待たなければならなかった。ちょうど広島の平和記念公園と同じように、資料館だけでなく、全体がメモリアルパークになっている。園内のレイアウトは、強力な軸線が引かれ、視線の抜ける先にモニュメントが配置され、これでもかというほど記念碑性が強調されている。大きく彫られた「犠牲者30万」の文字もこれを助長する。この数字の妥当性については議論があるらしいが、いずれにせよ大量の非戦闘員殺戮事件が起きたという事実は事実である。

入場して右側奥が資料館だ。それなりに覚悟をして行った。中国の愛国プロパガンダという色彩は当然濃いのだが、個人的な感想をいえば、意外なほど充実した展示だった。第一次上海事変が勃発して以来、日本軍の上海上陸から南京攻略作戦の経緯、南京の陥落、大虐殺の発生とその委細、報道や救援のようす、影響、戦後の裁判にいたるまでが、時間の経過にしたがって詳述してある。展示の中心は、当時の写真や新聞紙面の複製、日中両軍の装備や、犠牲者の遺品などである。

ところどころにジオラマによる場面の再現がなされている。そういう場所は妙にアトラクション的で、虐殺や強姦など凄惨きわまりない内容にもかかわらず、若い中国人カップルがカメラに向かってピースサインで写真を撮っていたりする。ときどき、部屋の角の床の上に座りこんでいる老齢の男女がいた。どういうひとたちかはわからない。

展示のなかに、事件にかかわった元日本兵の証言があった。どれもが異口同音に贖罪を述べているわけだが、共通しているのは、「いま思えば」という前置きが枕詞のようについていることだ。「いま思えば」ということは、当時はそうは思わなかったということだろう。しかしそれを、その元日本兵個人の人間性の問題として批判するのは適切とはいいにくい。安全地帯から、歴史的事件の当事者を批判したり、逆にむやみに持ちあげたりしても建設的ではない。重要なのは、ふだんどれだけ平凡で善良な人間であっても、ある条件の下では、あのような行為をおこなってしまうことがありうる、ということだ。あのような状況にいたひとたちがそうであったのと同じように、あなたもぼくも、その例外ではたぶんいられないのだ。そのような事実にまず向きあうことから始めなければならないようにおもう。

あのときの日本軍、そして日本兵たちを覆っていた「空気」とは何なのだろうか。そこにはおそらく「恐怖」が含まれていたに違いない。その「恐怖」とは、たんに敵軍や戦闘や戦闘によるみずからの死にかんするものだけではない。異文化にたいする無知に根ざす「恐怖」があったのではあるまいか。無知と恐怖と非人間性は、するすると横滑りして結びつきやすい。

ひととおり展示を観終わって館外へ出たら、よく知っているひとの姿が目に飛び込んできた。原武史さんだった。著名な日本政治思想史家であり、鉄道ファン、大学の同僚でもある。

ぼくの顔を見るなり原さんはおっしゃる。「何してるんですか、こんなところで」。それはおたがいさま。こんなところで会うなんて、偶然にもほどがある。原さんは文春の取材で来られたのだそうだ。2-3分立ち話をして別れた。そのあとぼくはタクシーを拾って、また会議の会場へと戻った。