ランクル売却でかいま見る中古車買取の世界(2/2)

けれども、これで一軒落着とはいかないところが中古車買取の世界である。

利用者の側からみて、中古車買取の世界を不透明にしているもうひとつの要因は、二重査定(再査定)である。買い取ったあと重大な瑕疵が見つかったばあいに減額が発生することである。つまり出張査定時に提示された買取価格が減額されてしまうばあいがある、ということだ。本来は瑕疵担保責任の一種であり、そのかぎりにおいては一般的にみてそれなりに妥当な条項だといってもいいかもしれない。

ただし大きな問題がある。それは、そのばあいの減額の金額を買取店が一方的に決定できるという意味の文言が契約書に書かれているケースがあることだ。

このことは、瑕疵担保責任の条項の拡大解釈を許すことになる。じっさい、引き取って再査定してみたらじつは事故車でしたとか、どこそこが壊れていましたなどと(ときには事実に反して)理由を付け、当初提示した査定額から減額を迫ることが可能だからだ。この方式ならば、契約までの他社との競合時にも、いくらでも高い買取価格を提示することができる。結果、契約を勝ち得たのなら、あとから買取店に都合のいい価格まで「減額」すればすむ。そしてそのようなことに不幸にして遭遇してしまったばあい、利用者の立場は圧倒的に弱い。すでに契約書に署名捺印をしてしまっているうえに、車と書類を渡してしまっているからだ。このような事例がけっして少なくないのだという。

さらに名義変更の時期の問題もある。オークションに出品するさいの経費を圧縮するためらしいのだが、買取店が買い取った車の名義を自社に名義変更することをせず、先延ばししたままでいることがあるらしい。名義変更の手続きには、売却時に所有者が買取店にわたす印鑑証明が不可欠なのだが、その有効期限は発行後三カ月間だから、その間であれば先延ばししていたとしても名義変更は可能だ。オークションなり店頭なりで売却できれば、名義変更の回数を一回減らすことができるからだ。

しかし、その間にも業者が車を移動させることはあり、そのときに事故をおこしたりすれば、ばあいによっては車検証上の所有者に責任がおよびうる。たとえ買取契約後であり、実質的には「所有者」でなかったのだとしても。それではまったく割にあわないと、誰もが考えることだろう。ただ買取業者を除けば。

中古車売買の世界にだって、もちろん、まっとうな業者もあるだろう。しかし、目の前にいる業者がそうであるかどうかを利用者という素人が適切に判別するのは、ほぼ不可能といってよい。だから、この業界にたいするマイナスなイメージと、それに由来する警戒感が、いきおい先行しがちとなる。

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ぼくも二重査定と名義変更の二点について、買取店に確認した。名義変更にかんしては、その店では通常一カ月半から二カ月かかるというところを二週間以内に実行してもらうという文言を契約書に追記してもらうことに同意してもらうことができた。

しかし、二重査定にかんしては「しない」とはいえないという。出張査定ではわからないことがあるため、たとえば機関やデフの故障、また事故車や水没車であることの判明などのような「重大は瑕疵」が発見されたばあいは、減額が発生しうるのだそうだ。

先述したように、こうした姿勢はこの店だけでなく、どの買取店にもほぼ共通するものなのだが、だったら出張査定とはいったい何なのかという疑問が浮かぶのは避けられない。せめて出張査定で出される数字はあくまで「目安」にすぎないのだと事前に明確に断っておくくらいのことがあって、しかるべきではなかろうか。

ひどいところは、減額を避けるための「保険」を用意していて熱心にすすめたりもする。その保険に入れば、車を引き渡したあとに何があろうと一切請求や減額が発生しないというのだ。査定のお兄さんは、さも客のためという話のもって行き方をして誘導しようとするのだが、ちょっと待て。それって、おかしくないか? 話が逆だろう。

ふつうの感覚でいえば、出張査定が「査定」としてまともに機能していないという買取店側の態勢の不備から生じるリスクまでも客に背負わせようとしているとしか思われない。そして中古車買取という取引関係のなかでは、客は「売り手」となるため「消費者」にならず、ゆえに公的な消費者保護の対象になりにくいという特徴もある。悪く考えれば、上述のような姿勢の買取店は、そのような特徴を熟知したうえで、自己のリスクを最小限に抑えるべく、客の無知につけこんでいる、という言い方もできなくもない。

ぼくの頼もうとしている買取店は、さすがにこうしたことは言わなかった。修理を要するような「重大な瑕疵」が見つかったばあい、一方的に判断せず、両者で協議しますという。そのさいの見積もりは、買取店側だけでなく、こちらの指定する工場でもとることができる。結果的に車を引きあげることも可能で、そのばあいは一切のペナルティなしで契約を解除できるという。

これならば、内容的に妥当でなくもない。ところが、ならばそのことを契約書に註記してほしいというと、なぜか相手は怒りだした。そんな細かいことまで書き出していたらきりがない、疑っているというならこの話はなかったことにしてもらいたい、というのである。えっと、そんなにマズいことを言ってしまったかしら。信用したいからこそ口約束を避けたいのであり、それゆえに申し出ているのだが、向こうからすれば、そう言われること自体がじぶんたちを信用していない証に見えるわけだ。こうなると完全にすれ違いである。

十年前なら、売り言葉に買い言葉、こちらもカッときて「だったらもう結構!」と受話器を叩きつけていたかもしれない。だがそこはこちらも四十肩さえ経験した大人(ははは)であるから、落ち着いて対応する。

で、その店の契約書の雛型を事前にみせてもらったところ、なるほど、とおもった。拍子抜けするくらい簡単、つまり、ある意味ではザルザルなものだったのだ。某有名店のそれなど、細かい文字でびっしり条項が書きつらねてあり、明らかに買取店が優位なように利用者を細かく拘束する内容らしいのだが(少なくとも数年前までは)、それとは比べようもないほど粗い。この程度の「解像度」で十分やってこれているということは、ここに記されていない諸々にかんしてはすべて日本的共同体特有の「呼吸」でもって埋めているということでもある。いいかえれば、都市社会的というより村落共同体的な感覚であり、形式的にはどうあれ、実質的には近代的制度としての「契約」関係は要求されていないということだ。だとすれば、かれらの反応もそう不思議ではないともいえる。

同時にこのことは、中古車買取店の世界の住人たちが、じぶんたちの世界の像をじぶんたちの視点からしか見ておらず、客の立場からみたときのあまり清々しいとはいいにくいイメージについて無頓着だということを示してもいる。ここには(よくもわるくも)顧客志向という意識は稀薄であり、こうした感覚のままデジタルネットワーク社会のなかを生き延びてゆくのは容易ではないようにおもわれる。中古車業界の厳しさの原因は、いわゆる「クルマ離れ」だけではないようだ。

だが逆に、そうであるがゆえにこそ、ここに商機もあるのになあ、という気もする。公平で透明性の高い商売に徹し、そのことを適切にアピールする。そうすれば、きっとニーズはあるだろう。

それにしても、こんな調子で、はたして無事に買取が完了するだろうか。これまで何台もの車を手放してきたが、買取店に売るの今回が初めて。少々くたびれました。

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