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卒業おめでとう(1/2)

3月17日。被災地では救援や支援が、福島原発では危機回避への決死の努力が、首都圏では計画停電が続けられているなか、お天気だけみれば市川はおだやかに晴れ、絶好の卒業式日和となった。

午前中は《なな》の卒業式で小学校へ。《なな》はタイを締めてぼくのブレザーをはおり、いちおう神妙な顔をして入場してきた。式は、外界の渾沌に抗うかのように、ごくごく平静に進んでいった。6年生がひとりずつ名前をよばれると「はい!」と元気よく返事をして壇上にあがり、校長先生から卒業証書を押しいただく。別れの言葉には合唱が折り込まれていた。卒業生、在校生(5年生)、そして両者とで、計3曲がうたわれた。

卒業生たちが体育館から退場した直後にぼくは式を辞さなければならなかったが、《あ》によれば、在校生たちのつくる花道で盛大に見送られたり、いくつも花束をもらったりして、送られるほうも送るほうも、みんなにこにこ笑っていたのだそうだ。湿っぽさ皆無の、晴れやかな卒業式だった。

そのまま白金に向かう。明学も今日の午前に卒業式の予定だった。だが前日夕方になって急遽中止という連絡が入ってきた。連絡が遅くなったのは、多くの大学が卒業式を取りやめるなか、ぎりぎりまで可能性を追求していたためらしい。学位記(いわゆる卒業証書)だけは午後に学科ごとに、集まることのできた学生には授与する、ただし「式」ではありません、とのこと。この日に大学に来られない学生には、後日教務課で配布するのだという。

ゼミ生たちにもその旨連絡がいっていたはずである。ぼくもゼミのメーリングリストで、全般的な状況をよく見きわめるようにと注意を呼びかけてはいた。しかし卒業生たちのほうは「もうこうなったら絶対に学校に行ってやる」と心に決めていたらしい。

女子学生たちは前夜ほぼ寝ずにすごし、早朝から髪のセットに向かい、そのあと大学へ来て袴の着付けをしてもらったのだそうだ。最近では大学に業者さんのほうがわざわざ出張してくるのだそうなのだが、着付けのおばちゃんたちもまた直前の中止に心底落胆しており、そんななかで着付けにきた学生には「貸出時間をオーバーしてもいいから、存分にたのしみなさい」と言ってくれたのだという。

授与式が予定されていた教室にいくと、意外なくらいたくさんの卒業生が集まっていた。被災した東北や北関東から苦労してこのために大学へやって来たという卒業生もいた。姿の見えない卒業生もやはりいた。

例年であれば、午後から学科ごとに授与式が実施されるのだが、先述のような事情で、今年は公式行事という扱いにはしないという方針だったようだ。芸術学科では学科判断として、恒例の先生方によるスピーチ──例年けっこう長くなるのだ──は割愛したうえで、あとは例年どおり、大学へ来ることのできた卒業生にひとりひとりにたいし、学科主任の手から学位記が手わたされた。学生たちは素直によろこんでいた。

ぼくは大学時代に卒業式には出なかったくちだから実感としてはわからないが、学生たちがいうには卒業式というのは大きな意味をもつイベントらしい。卒業式の中止はかわいそうなことをしたとおもう。いっぽうそのことがかえって、卒業を祝う気持ちを、卒業生と教員たちとのあいだで率直に共有することを、いつにもまして可能にしたのかもしれない。

 ▼ 卒業おめでとう(2/2)へ続く