夜都伎神社からトレイルセンターへ──山の辺の道(3/4)

山の辺の道はどこもよく整備されている。割栗石を敷き詰めた石畳にの急坂を下ると、集落にでた。木造の大きな建物がある。天理観光農園とある。薪ストーブを焚いているようだ。

  ▲正面にみえるのが東乗鞍古墳らしい

ここからアスファルトで舗装された道路を少し下り、しばらく行くと左折して、畑のなかの道を歩く。正面にこんもりした丘がある。東乗鞍古墳だという。自転車のおじさんがうしろからやってきた。子どもはこんなところに来て退屈だろう、でも日本の文化だからな、この道桜井まで行けるんでしょう? うしろから高齢者の団体が旗を先頭にやってきているから、急いだほうがいいなどと、ほぼ一方的にしゃべって行ってしまった。

その先に、また直売所。ここでは綿の種を売っていた。明治期まではこのあたり一帯は綿の産地だったらしい。和綿と洋綿があるという。《みの》に訊くと、そりゃ和でしょ、というので和綿の種を買う。100円。

また溜池がある。会員以外のひとは釣り禁止という札がかかっている。その先に、小さくて渋い神社がある。夜都伎神社という。鳥居は昭和7年建立で、大阪市と名古屋市のひとの名前が刻まれている。あとで思いあたったのだが、八剣神社と関係があるのかもしれない。ちなみに名古屋にあるぼくの実家の鎮守様も八剣神社である。

乙木町という集落を抜けると、ビニールハウスがならぶ。イチゴ畑らしい。ハウスの横にとりつけられた巨大な送風機から、イチゴの香りがただよってくる。イチゴ狩りの案内板も出ている。向こうからつぎつぎ観光客がやってくる。いずれも年配者。そろって左胸に「クラブツーリズム」のシールを貼りつけている。

  ▲集落のなかに火の見櫓があった

竹之内環濠集落でトイレ休憩。集落のまわりに壕をめぐらせている。戦国時代に自衛のために集落のまわりに壕を掘ったのだそうだ。壕に隣接する公園に《みの》たちが座っていると、地元の男の子がブランコに乗って遊んでいて、声をかけてきた。きょうなあ、朝もブランコにのってん、そしたら、浮いてしまってな。人なつこくて、やわらかい響き。じゃあねと声をかけると、男の子たちも、じゃあね、と見送ってくれた。

  ▲環濠わきの公園にて

お昼をすぎていた。波多子塚古墳の近くの道ばたの民家の庭先に「お食事処」の幟がはためいていた。お店といっても、庭先に四阿みたいなものが組まれた、ネパールの茶店みたいなものだ。三輪そうめんの産地ということもあるのか、にゅうめんがおいしい。

  ▲にゅうめん。具には、いのししの肉

この家の子らしい女の子があらわれ、《あ》にビーズの首飾りをみせ、いろいろと話しかける。小学生くらいの背丈にも見えるが、話ぶりからするとたぶん未就学児だろう。食事が運ばれてきてからも、さくらんぼをもらって隣の長いすに腰かけてたべてみたり、そのあと厨房にひっこんでからも、おいしいですかーと声をかけてみたり。おいしいですよと答えると、よかったね、お客さんおいしいって、などと話している。《くんくん》は、いかにもおにいさんですという余裕の顔をして、うふふふと笑っていた。

萱生環濠集落。壕というか溜池というのか、そこに海老がたくさんの脚を動かして泳いでいる。トラクターと軽自動車が行き会う。狭いので、すれ違いはできない。壕の向こうにはやはり古墳。西山塚古墳というらしい。さらにいくと、念仏寺の墓地のなかをとおる。燈籠山古墳の脇を巻いていく。《みの》が、崖が見えると言って藪のなかに入っていく。《なな》も《くんくん》もあとに続く。崖の下には大和神社御旅所という、小さな神社があった。

  ▲背後にみえるのが燈籠山古墳のようだ

  ▲畑のなかにマネキンのさらし首が

その先は谷にひらけた谷になっており、真ん中にテーブルとベンチがしつらえられている。休憩して、途中で買ったミカンと梅干しをたべる。さらに進んだ先の民家の軒先に、ひょうたんが売られていた。三人ともたいへんよろこんで、これを買う。

まもなく長岳寺。山門からだいぶ奥まで入ったところにお寺があるが、時間的なことを考えてパス。再び山門にもどり、脇にあった天理市トレイルセンターという立派な施設でお手洗いを借りる。ここは休憩所があり、黒塚古墳にかんする展示などもある。ここで散策マップをもらう。天理でもらったマップは巻向駅までのものなので、その先のマップが手には入って助かった。

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