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崇神天皇陵と景行天皇陵──山の辺の道(4/4)

トレイルセンターのすぐ先に、崇神天皇陵がある。多くのナントカ天皇陵と同様、ほんとうに崇神天皇の墓かどうかはわからないらしい。なにしろ宮内庁が封印しており、調査ですら立ち入りを拒んでいるのだそうだ。

巨大な堤を登ってゆくと、そこに壕があり、鉄製のフェンスがそびえている。壕の向こうに巨大な前方後円墳がある。奈良盆地を見下ろしながら壕沿いの道を歩いて上ってゆく。登りきったところに溜池がある、とおもったら、これも古墳だった。櫛山古墳というものらしい。そこには道が通じていたため、子どもたちは走って藪に入っていってしまった。崇神天皇陵は山の中腹にある。眼下に柳本の町を見下ろすことができる。

さらに進むと、もうひとつ巨大な前方後円墳がある。景行天皇陵(ということになっている古墳)である。ここは、柵が一箇所途切れていて、そこから《みの》と《なな》が侵入した。途中、向こうから地元のひとらしき女の人が来たので、「ひとがいる」といって隠れてやりすごす。藪のなかに入ったとおもったら、ほどなくして戻ってきた。ペットボトルなど散乱しており、ひとが入った形跡が濃厚らしい。ぼくたちは壕の堤の上で待っていた。左手遠くに、飛鳥の三山、耳成山、畝傍山、香具山がみえる。どれがどれだか判別はできない。

さらに歩いてゆく。もうほとんど行き交うひとなし。イチゴを買う。洗う必要なし、このまま食べられますとある。その場に子どもたちしゃがみこんで、イチゴをむさぼり食う。さらに歩いて県道50に出る。向かいの谷の斜面に、縦の線に沿って板塀が張りめぐらされているのを、《みの》が指さした。県道50はふつうに車の通る道だ。谷を遡ってから巻くようにして反対側の斜面にでる。槇のような木の畑があった。いずれの木も奇妙な形をしている。腰のあたりでいったんちょん切られ、そこから何本もの徒長枝が垂直に伸びている。最初に着いた神社は門が閉じられていた。ここの板塀が、さっき対岸から見たものだったようだ。その先にいくと、檜原神社である。

この先、やや山道ふうになって、杉林のなかの細い道を歩く。さすがにだいぶ疲れてきた。口数も減る。だがみんな元気に歩いて、終日明るい気持ちであった。昨日は思い切り叱られ、今日はこういう一日だったからよかったのだろう。逆の順番でもだめだったろうし、同じような行程を二日続けてもしんどかっただろう。

途中でひとり女性とすれ違う。もうえらい歩いてきましたよ、と半ば憤っていた。ナントカ弁天というところをすぎ、新興宗教らしき大神ナントカに出る。りっぱな神社に出たので、ここが大神神社かとおもったら、ちがっていた。狭井神社という。ここには参拝客多数。石上神社にいた年配の夫婦の姿を見かける。さらに進むと、ようやく大神神社。大神と書いて「おおみわ」とよむ。日本最古の神社だそうだ。神官がいて、参拝客も多い。「パワースポットなんちゃら」という幟までたっている。山の辺の道の鄙びていたのが嘘のようだ。

このまま三輪駅にでるか、桜井まで歩くか。子どもたちと相談する。1600すぎ。桜井までだと標準タイムであと45分。《みの》はどちらでもいいというが、《くんくん》は即座に「みわ」と答える。けっこうしんどいのだろう。そこで三輪駅まで下る。

もし桜井駅までいくとなれば、途中で初瀬川を渡ることになっただろう。「長谷川」の由来はこの初瀬川である。ルーツめぐりを目前にして撤退となったわけだ。まあそれがぼくたちには似あっているといえるかもしれない。また次を期すことにしたい。

大神神社の参道をくだり、大鳥居をすぎて、なお歩くとすぐにJR奈良線の踏切。左に折れてもう少し歩けば三輪駅である。

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