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新平湯・夏まつり・白川郷

新平湯の宿に入ったとき、仲居さんから、こう言われた。今晩は夏まつりがあるから夕食後にぜひ行ってみてくださいね、と。

言われたとおり、夕食をすませたあと会場の神社に行ってみた。浴衣姿の観光客が三々五々集まってくるところだった。

たまたま夏まつりの日に行き当たった、というわけではないのだった。この夏まつりは8月じゅう毎晩やっているものらしい。早い話が、観光客を集めるためのイベント。正式には「いで湯まつり・夏」というそうだ。いわゆる「捏造された伝統」というやつである。

では、つまらなかったかといえば、これが、そうでもなかった。なんというか、手作り感いっぱいで、地元なりの工夫とホスピタリティが感じられた。それは予想外に、なかなか愉しいものだった。

演し物は、鶏芸(鶏のとさかみたいなかぶり物をしたひとたちが舞う)、獅子舞、和太鼓。このうち鶏芸は飛騨の伝統芸能であるらしい。あとの二つは、どこにでもあるような「伝統」芸能だ。

おもしろかったのは、そうした事実を隠そうともしないことだった。和太鼓を始めたのは昭和46年(だったかな?)からです、などと司会のひとがしゃべってしまう。太鼓をたたくのは地元の子どもたちだが、かれらの多くは家が旅館関係で、夏休みといえども布団敷きを手伝ったりして、忙しいのだという話もでる。

1時間くらいで演目はひととおり終わった。あとは観光客に太鼓をたたかせてくれるという。うちの子どもたちもさっそく舞台にあがり、ドンドンと2-3発たたいていた。

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新平湯の「夏まつり」が、「捏造された伝統」という観光イベントであるにもかかわらず、地元のひとびとの顔が見えるような好ましさを含んでいたのだとすれば、それとは対照的に感じられたのが、翌日に立ち寄った白川郷である。

名古屋出身者の多くがそうであるように、白川郷へは子どものころに何度か行ったことがある。だが世界遺産登録後に訪れるのは初めてだ。近年では、事前段階に想定していた規模に倍する観光客が、この山中の町を訪れるのだという。

予想されたことではあったが、町のようすは一変していた。荻町など、もはや那須や清里や原宿あたりと変わらないようなありさまだった。合掌造りの家々のあいだのくねくねとした道は、ソフトクリームやかき氷をたべながらヒールで歩くような観光客で、大げさではなく文字どおり、びっしりと埋め尽くされていた。

観光地としての白川郷の特徴は、生活の場そのものが観光地化したことである。それも「世界遺産」というお墨付きにより、より大々的かつ徹底的におこなわれることになった。そのことは、町の雰囲気だけではなく、そこに暮らすひとびとの生活のあり方や意識そのものを大がかりに造成してしまったようにおもわれた。

ただし、べつにそういう現状を否定したり、昔の面影が消えてしまったと嘆いたりするつもりはない。ぼくもまた、それらを物見遊山で消費する観光客のひとりとして訪問したのだし。

そのうえで、こうおもう。

白川郷が世界遺産というブランド観光地になりえたのは、「夏まつり」さえもでっち上げなければならないような新平湯とは異なり、そこには「伝統」としか呼びようのないような文化的蓄積の独自性があったからである。

ところが先日見た白川郷のありようは、端的に俗化していた。その俗化のされ方は、そうした文化的蓄積が、もっとも想像力を欠いた形で観光資源化されてゆくときにたどる典型的なパターンであった。

それは、わたしたちの社会が根本においてもつ貧しさの具現であるかのようにおもわれた。