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映画と乗り物とコミュニケーション

先日執筆した原稿のなかで、「コミュニケーション」という言葉について、ちょっとだけ触れた。

この言葉は、いまでは、情報や思想を交換する行為やそのための手段や媒体という意味で、一般には理解されているだろう。(媒体のニュアンスがより強調されれば「メディア」と言われたりするかもしれない。)

ところが、このような用法にかんして、ウィリアムズはひじょうに興味深く、かつ重要な指摘をしている。英語のcommunicationは、17世紀末から20世紀前半まで、今日でいうtransportation(物質的運輸)という意味も含んでいたというのだ。

ちなみにcommunicationの原義は「共有すること」である。鑑みるに、この用法が存立しえた基盤には、何かを共有するには物質的な移動が不可避にともなうという認識があったことが示唆される。

裏返していえば、物質的移動なしに何かを共有する仕掛けとして、20世紀的マス・コミュニケーションというものが想像されてきたということでもある。

このような話は、ぼくの思考において、その基盤の一部をになうことになる。つねづね主張していることだが、「メディア」というものを考えるうえで決定的に重要なのは、「映画」と「乗り物」なのだとおもう。