W800で紅葉の志賀高原を走る 1/3

今回はW800で出かけていった。

バイクで困るのが荷物の収納と積載である。とくにカメラの扱いがむずかしい。

走行時にはオリンパスの防水カメラTG-625をつかう。防水防塵耐ショック。こいつはライディング・ジャケットのポケットに入れておけばいい。だが記録用にNEXをもっていく必要がある。そちらは雨とバイクの振動が心配だ。どちらも精密機器の大敵である。スタッフバッグに二重にくるみ、マウンテンスミスのウエストバッグに入れることにした。

予報は雨。ただ、一時的に止む時間帯があるようだ。そこを狙って出発した。時刻は0220、オドメーターは1322kmであった。

江戸川をわたって三郷に入り、外環側道のR298に入った。東北道ぞいのR122に入り、R16経由R17へ。あとはひたすら北上する。熊谷バイパスから先は周囲から明かりが消えた。真っ暗のなかをひたすら走る。

上武道路からR50をへて、前橋市内で再びR17へ戻る。ここで雨粒が落ちてきた。あまりに寒く、からだが震えてしまう。給油をかねて渋川で休憩した。0500。ホットミルクティで生きかえる。

さいわい雨はやんでくれた。しらじらと夜が明けてゆく。

ここで防寒としてダウンベストを着込み、合羽のズボンを履いた。

沼田、月夜野、猿ヶ京と抜け、早朝の三国峠を越える。クルマはほとんどいない。気温8度。寒さと冷たさに鼻水をたらしながら、このときは十分つらいと感じていた。だが翌日の渋峠で、こんなものは所詮序曲にすぎなかったと思い知らされることになる。

新潟側は晴れていた。塩沢のセブンで休憩。工事現場で働くひとたちがひっきりなしにやってくる。どのひとも示しあわせたかのように、車内からゴミをもってきて、セブンのゴミ箱へ捨ててゆく。

六日町からR253で十日町へ出、R252で柏崎に0915到着した。二度の休憩を含めて、市川から下道で7時間であった。

柏崎刈羽周辺を見てまわったあと、JR北陸本線の青海川駅に寄ってみた。海にいちばん近い駅、という触れ込み。ほとんど海岸線上にホームがある。

青海川は深い谷地になっている。はるか頭上をR8の赤い陸橋がまたいでいる。2007年の中越沖地震では大きな被害をうけたという。

R8の柿崎から県道30号に入り、関田峠をめざす。

峠に向かう途中で、映画『突入せよ「あさま山荘」事件』の撮影につかわれた鉄球がおかれているという看板を見つけた。なぜこんなところにそんなものがあるのかは知らない。作品自体にはとくに興味がないので、そのままとおりすぎた。だが、写真だけ撮ってもいいかと思いなおし、うっかりUターンしようとしたのが運の尽き。あえなく立ちゴケしてしまった。上り坂での大型バイクのUターンは立ちゴケ必至、絶対にやってはいけないトラップであった。二百数十キロの車体はさいわいすぐに引きおこすことができたが、エンジンガードには小傷が残った。あああ……。鉄球は、むろんパス。

ようやく峠に辿り着く。信越トレイルというウォーキングルートと交差しているらしい。クルマが一台とまっているだけ。誰もいない。眺望はきかず。

関田峠から下っていって最初の集落に神社があった。温井神社というらしい。ここから下は、棚田だらけである。

戸狩まで降り、千曲川をわたって木島平へ。高杜山の中腹まで登ってゆく。目的地を通りすぎたため、Uターンした。今度は問題なく転回できた。すると眼下に木島平がひろがっていた。

泊まったのは、高杜山麓みゆきの杜ユースホステル。島牧を別にすれば、ユースに泊まるのは20数年ぶりだ。泊まり客はぼくひとりだけだった。木島平の景色をながめながら、ゆっくりさせてもらった。

ごはんは土鍋で炊くのだという。土鍋ごと食卓に登場した。ここからお茶碗によそう。電気炊飯器で炊くのとは、味も食感も見た目も、だいぶ違う。

オーナーは赤いエリミネーターに乗っている。談話室にNゲージのレイアウトがおかれていた。鉄道も好きで自作したものだという。トミックスのキハ22でも持ってくればよかったか。

その2へつづく。

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