吉田喜重の大島渚

亡くなった大島渚監督について、吉田喜重監督が日経新聞に追悼文を寄せていた(1/17)。慄然とさせられた。

周知のとおり、二人は一般に「松竹ヌーベルバーグ」の代表的人物と括られる。しかし、と吉田はいう。大島とは映画にたいする考え方においてまったく相容れなかった、ただ同時代を生き、それぞれがそれぞれの映画を模索したという以上の関係はなかった、そもそもたがいの作品をほとんど観ようとしてこなかった。── そんな意味のことが淡々と述べられている。

書かれている内容については、この時代の映画に少し詳しいひとなら、おおよそ見当のつくことかもしれない。だが「追悼文」という儀礼的な場においてさえも、微塵の粉飾も施すことなくそれを真っ向から示す剛直な厳しさは、近年ついぞ見かけなくなった類のものである。

むしろこのような吉田の姿勢そのものが、この二人の映画作家の不可視のレベルにおける抜き差しならない間柄を端的にあらわしている、と理解するべきなのかもしれない。

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