『しょうちゅうとゴム』上映会

『しょうちゅうとゴム』の上映会にいってきた。

1962年3月に教育テレビで全国放送された作品である。制作はNHK名古屋。演出・小中陽太郎、脚本・小田実、音楽・高橋悠治、主演・芦屋雁之助。NHKには映像は残っていないとされてきたのだが、数年前に某所で見つかったとのこと。

あまり広くない会場は満員で、年齢層は高かった。内藤誠監督の司会で始まり、最初に四方田犬彦さんの詳しい作品解説があった。それから16ミリでの上映。

四日市のコンビナート建設をモチーフにして、高度成長の始点における高揚感と、そこにあらゆる階層のひとびとが巻きこまれ、最終的には誰もが零落して不幸になってゆくという物語である。セットが漫画であったり、シークエンスのつなぎ方が独特であったり、突然ズームインしてみたり、脚本の小田氏が突如神の声的に劇中に割り込んできたり、コンビナートを舞台にしたウエストサイド・ストーリーふうのダンスが挿入されたりと、前衛的な印象であった。

登壇者たちが口々に述べていたように、たしかに現在のテレビでは(たぶん映画でも)、なかなかつくることのできないタイプの作品だろう。

パネルディスカッションには、当時制作にたずさわった小中、高橋両氏、それにくわえて現役のテレビ番組制作者大島新氏が登壇された。先に亡くなった大島渚監督の次男との由。大島氏いわく、このような場に出てくるのは分が悪い。50年前の草創期とは違い、いまのテレビ制作者は、まるで異なる次元でのたたかいを強いられているからだ。資本主義の論理によって一分の隙間もなくきっちり制度化されたなかで、日々番組づくりに取り組まなければならないからであるという。

これにたいして、高橋氏から、そういう現在の状況のなかで、あなたに言えることは何かというような問いかけがなされた。それに応えるようなやりとりを聞いてみたかった気がするのだが、その時間のないまま、予定を30分ほど超過して会は終了した。表にでると、夏の雨が降っていた。

「原初」に立ちかえることが大切なのは、それが潜在している可能性に触れることで、みずからの現在を相対化して解体し、再構築してゆく契機を見出しうるからではないか。それは、過去を特権化して現在を断罪することとはちがうし、その逆でもない。だが両者の相違はしばしば理解されず、容易に(そして悪意もなく)混同されてしまう。

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