実家を処分した日

名古屋の実家を処分することにした。「処分」という表現が適切かどうかはわからないけど、ようするに売ってしまうということだ。

父が亡くなってからの10か月間でぼくが経験したのは、もろもろの雑事の連続であった。人間というのは身ひとつで生きているようなものではなく、きわめて世俗的・現実的な意味において社会的存在であることを思い知らされた。

いろんなことを判断して物事を処理していかなくてはならない。時間的制約もあるため、それらを粛々と進めてゆくほかない。ぼくは、そういうときに感傷にふりまわされることなくわりあい冷静に対処できる性質なのだが、それでも何度か気が滅入るようなことがあった。

実家の処分という判断は、その最大の例のひとつかもしれない。

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処分してしまうという判断そのものは、合理的であり、しごく妥当な選択だとおもう。

実家には母が健在でいまでも暮らしているが、いつまでもそうしておくわけにもいかない。ぼくも妹も、この先実家に戻って住むようなことは、もうありえないだろうから。母の健康状態や、実家を維持・管理してゆくために要する金銭的・労力的コスト、経済的側面などといった条件をもろもろ考えあわせれば、遅かれ早かれ、実家は処分せざるをえない。母の年齢を考えても、早いに越したことはないだろう。

母や妹ともよく相談したうえで、売却することに決めた。仲介してくださった業者さんのご尽力もあって、よい買い手さんも見つかったので、契約を結ぶことにした。

合理的に判断し、粛々と手はずを整えてきたつもりだった。ところが、契約前夜はやっぱり「これでよかったのかな」という気持ちが頭をもたげてきた。ぼくの個人的な感傷ではない。実家の土地をこれまで守ってきた亡くなった父や祖父のことが浮かんできてしまったからだった。長年続いてきた家業をじぶんの代で廃業することになってしまった若旦那の気持ちが、ほんの少しだけだがわかったような気がしないでもなかった(べつに家業があったわけではないけど)。

それでも、どう考えてもこの選択が最善とおもわれた。契約日当日はいつものように事に臨み、するべきことを淡々と済ませた。年があけたら引き渡しだ。

その日は冷たい風が吹いていた。名古屋の冬にはめずらしく、よく晴れた日だった。矢田川にかかる橋の上から、猿投の山と、遠くに雪をかぶった恵那山が見えた。中学生や高校生のときに何度となく見た風景だった。この風景はけっして嫌いではなかったよな、とぼくはおもった。