映画『ザ・ビッグハウス』公開とパンフレット寄稿のお知らせ

想田和弘監督の『ザ・ビッグハウス』が6月9日より日本でも公開されている。パンレットに、ぼくは『「観察」と「観察の観察」』と題するエッセイを寄稿させていただいた。

このドキュメンタリー映画(想田監督の言葉でいう「観察映画」)は、想田監督がミシガン大学滞在中、授業プロジェクトとして学生たちと共同で製作されたものだ。日本公開版のトレイラーはこちら。

この作品の「主人公」は「ビッグハウス」とよばれるアメリカンフットボールのスタジアムだ。アメフトといえば、日本ではここしばらく奇妙な形で話題になっている感があるが、それとはもちろんまったく関係ない。

ミシガン大学が所有・運営するこのスタジアムは、アナーバーのダウンタウンから1マイルほど南にいったところにある。ぼくも在住中に二度ほどアメフトの試合を観にいった。一度目に行ったときの話はこのブログにも書いたとおりだ。

想田和弘さんたちの映画『The Big House』の試写の翌日、ぼくも実際にThe Big House、すなわちミシガンスタジアムへ行って...

収容人員約11万は、アナーバー市の人口をほぼまるまる収容可能というクレージーぶり。全米最大、世界で二番目に大きなスタジアムだ(世界一は北朝鮮にあるのだとか)。現地にいって見てみると、じっさい、とにかくでっかい。ためしに試合中にスタンドから撮ったパノラマ写真を貼ってみるので、その巨大さを想像してみてほしい。

『ザ・ビッグハウス』は傑出した作品だ。ミシガンスタジアム=ビッグハウスという、巨大だが微細でもある場所を徹底的に「観察」する。そのことが結果的に、今日のアメリカ社会のあり方を明瞭に可視化することにつながり、さらにはそれがどのように修復可能かというところまで暗示している。とりわけぼくが重要だとおもうのは、その「観察」のプロセスが、「映画」というテクノロジーをとおしてなされているという点だ。

ただし、ここでいう「観察」とは、ものごとを「ありのまま」捉えることとは違う。少なくとも文化や社会にかかわる事柄を、一切の偏りなく完全に中立的かつ客観的に捉えることなど誰にもできない。「観察」とは、むしろぼくたちがふだんよく見知っているようで実際には見過ごしてきた何かを「発見」することだ。

さらに、想田監督だけでなく学生たち十数名でもって共同で製作された本作品では、複数の「観察」が相互に「観察」しあってせめぎあっており、それがこの作品に、従来の想田作品とはまた異なるテイストを付与している。

この作品をぼくは二度観ており、それぞれバージョンが異なっている。ミシガンにいるときに観たのは学向けの試写版で、公開版よりも少し長く、印象も異なっていた。試写版を観たときのことは当ブログでも紹介したが、そのときは作品にかかわる具体的な事柄についてはあえて触れなかった。

想田和弘さんのドキュメンタリー映画(かれの言い方でいう観察映画)『The Big House』の試写を観た。 想田さんは、昨秋からミシ...

両者の大きな違いはラスト部分にある。試写版にはエピローグと称して、スタジアムのすぐ外側で、トランプを支持するひとたちとそれに反対するひとたちとのかなり烈しい応酬が捉えられていた。だが、公開版では削られることになった。そこにいたるプロセスを、ぼくはちょうど横から「観察」させてもらうような恰好になったわけだ。ぼくのようなメディア論・文化社会学者にとって、それはじつに興味深い経験だった。

というわけで、『ザ・ビッグハウス』をぜひご覧ください。機会あればパンフレットの拙文もご笑覧いただければさいわいです。