日にち雑記 Archive
尾根道再訪
先日松戸へ行くときにとおった古道を、《あ》と一緒にもう一度歩いてみた。
道は尾根筋を走っており、松戸方向に向かって右側(東側)にだけ農家があるのは、南東方面の谷筋にひらけた傾斜地を望むからであろう。
庚申塔を眺めてから谷筋の道に入る。午後の陽は谷底まで入らず、風も湿っているのが体感できる。尾根との高度差は10mあるかないか。それだけでこんなに気候が違うのだと、おどろかされた。
また右に折れて、ゆるい傾斜を尾根の古道まで登ってゆく。途中の斜面は畑で、小松菜が植えられていた。その向こうに、青いネットで囲われた梨畑があった。農作業をする男性のすぐうしろから、3歳くらいの女の子がひょこひょこと、紐でつながれたみたいにして、付いて歩いていた。
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青面金剛
松戸に用ができたので、歩いてゆくことにした。小一時間かかる。
表通りから一本入った住宅地のあいだを抜ける。市川のほかの多くの道と同様、狭くて、自動車ならすれ違いに難儀するが、歩くにはぐあいがいい。さいわい猛暑の日中だったせいか、通行量は少ない。
歩いてこの道をゆくのは初めてだ。徒歩だと微地形がよくわかる。右側は斜面になっていて谷筋。左側は高台の上で平ら。農家があるのは右側のほう。梨農家が店先に幟をだしている。あいにく今日はお休みらしい。
道は市の境界線にもなっている。右手が市川、左が松戸。とうとう右手に市川の尽きるところまで来た。この先は左右どちらも松戸だ。
角に小ぶりの石塔がたち、生花がお供えしてある。正面に「青面金剛」と彫られてあり、庚申塔とわかる。左の側面には「南いち川、西まつど、北金ケさく 道」と彫られている。ここは古代官道以来の道筋なのだという。
道はいまも金ヶ作(松戸市)へつづいている。だがこの少し先からしばらくの区間は、1970年代に実施されたらしい大規模な宅地造成のための区画整理によって、完全に消滅してしまっている。
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青パト
青パトの当番で、小学校の学区をひとまわりしてきた。
青パトというのは市が募っているボランティアだ。小学校に配備されている市の公用車(といっても簡素な軽だが)に青色燈を載せて、学区内をパトロールする。子どもの安全というのが目的だが、防犯も兼ねているらしい。
とはいえ、ふた月に一度くらいの割合のせいか、ときどき当番を忘れるひとがいる。今日もそう。もう三年くらいやっているのだが、相方があらわれなかったのは、これで三度目である。ぼくも忘れそうだったので、他人のことをとやかくいえるわけではない。
困ったのは、ひとりではパトロールには出られないことだ。青パトに乗るためにいちおう講習をうけるのだが(これももう二度受けた)、そのとき単独では禁止と厳命されている。そういや、パトカーもひとりじゃ運転していないしなあ。
すると教頭先生が「それじゃあ短い時間しかとれませんが、わたしがご一緒しましょう」といって、助手席に乗ってくださった。じつはこれも二度目。教頭先生はたぶん覚えておられないが、前回も同じように相方があらわれず、一緒にまわったのだった。
そして今回もやはり前と同様、街ではほとんど子どもの姿を見かけなかった。それなりの数の子どもが住んでいるはずなのだが。どこへ行ってしまったのだろう。
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島牧からの便り
島牧から「残暑(酷暑)お見舞い」と題するメールをいただいた(ありがとうございました)。
7月末に集中豪雨があり、地下室に浸水してバケツ100杯ぶん汲みだした、とある。ユースのすぐ近く、道の駅「よってけ!島牧」のすぐ脇を流れる千走川(ちはせがわ)は氾濫した。そのさい賀老の滝にあがってゆく道路が流された。いまだ通行止めだという。狩場山の登山口は賀老の滝の奥にあるから、ということは今夏は登れないということだ。
ちなみに狩場山は渡島半島最高峰で、ぼくがもっとも最近登ったのは……と思い出してみるに、2006年の9月だ。あれからもう4年もたつ。そのときのことはこちらに書いたとおりなのだが、行程の7割を《くんくん》を背負って歩いたのだった。いまや《くんくん》は小学3年生となり、こちらは歳相応にくたびれているから、絶対に不可能な芸当である。よくやったなあ、われながら。
さらに思い出してみれば、これまでも災害や工事などで賀老へあがれなかったことは幾度もあった。ぼくが島牧に行きはじめたころは、賀老への道はいまのルートとは違っていた。全線ダートで険しいのだが、そこをオンロードのバイクでガシガシ登っていったのだった。この道は、千走川温泉経由のいまの新道が開通したあと、廃道になってしまったようだ。
狩場山に登れなくとも、島牧には気持ちのよいところがたくさんある。例年のごとく来月になれば函館に行かねばならない。その足で、また島牧へ寄ってみたいとおもう。
写真は昨年9月に歌島高原から島牧村の方角を撮影したもの。いちばん奥にうっすら映った、雲をかぶった巨大な山塊が狩場山で、千走川はその懐から流れでている。9月になると河口あたりでは鮭の遡上する姿が岸からも肉眼でよく見える。
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正文館書店
東片端にある正文館書店。名古屋に帰省すると必ず立ち寄る。
似た名前のちくさ正文館もいい書店だが、ぼくがよく行くのは東片端にある正文館のほうだ。一時間から二時間ほど滞在してゆっくり棚をみてまわり、気に入った本をひとかかえ買って、古いお屋敷が残る街を歩いて帰る。高校や予備校時代よりも、むしろ大人になってから、とくに子どもが生まれてからのほうがお世話になっている感がある。
ぼくにとって正文館は、たぶん、あらゆる新刊書店のなかでいちばん好きな書店のひとつだ。
もっと個性的な品揃えをしている書店は、東京はいうにおよばず、名古屋にだって存在している。インテリ好みの書店なら神保町へ行けばいい。正文館は、そうした意味でこれといった「個性」があるというタイプの書店ではない。品揃えもまあ普通だし、売り場面積も広くはない。でもぼくがこの書店を好ましいとおもうのは、いまはもうほとんど感得することのできないある気分がいまだ息づいているかに感じられるからである。
そのことは、たとえば文庫の棚が管理のしやすい版元別ではなく、著者別にならべられていたり、ひじょうに充実した児童書コーナーにみてとれるが、それらが直接好ましさの要因であるというわけではない。具体的にどこかどうというより、やはりこの店全体を浸している雰囲気みたいなものが重要なのだ。
とはいえ今回行ってみたら、以前は2階の大半を占めていた人文書のコーナーが大幅に縮小されて奥に押し込められ、手前の大部分は旅行ガイドブックと学参がならべられていた。昨今の出版市場の動向からして、どこの書店も経営的には楽ではないだろうから、残念だけれど、仕方ないことなのかもしれない。
それでも全体としてみれば、店の雰囲気は損なわれていなかった。名古屋へ行くたびにこの書店に寄るというささやかな愉しみを今回も味わうことができ、うれしかった。
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ひぐらし
いつのまにか日の暮れが早くなった。夏至のころは午後7時をすぎてもなお明るかった。ところが昨夕、窓外の暗さに気づいて時計をみると、午後7時5分だった。
子どものころから、お盆の時期は夏休みも佳境というイメージがあった。日が暮れるまで遊んでいるのだが、なかなか日が暮れず、いつまでも外で遊んでいられた。そんな記憶がある。
だが、落ち着いて考えてみると、夏至からすでにひと月半がたっているのだ。日が短くなってあたりまえだ。だとすると、ぼくのなかにある夏休みのイメージは、どこで得られたのか。子どものころは日の長さや時刻のことなど、さほど気にせずに暮らしていたのだろうか。あるいは、ぼくの記憶が相当に変形させられたものなのだろうか。
この時期、ヒグラシの鳴き声を耳にする。図鑑などには「カナカナカナ」と鳴くと書いてあるが、ぼくの耳には「ヒョヒョヒョヒョヒョォ」と聞こえる。この鳴き声が、子どものころから苦手だった。もの悲しいというより、怖いのだ。なんだか亡霊でもでてきそうな気がする。あれがセミの仲間だとは、どうしても信じられない。
先日も夕方ちかくに近所の森の横をとおった。「ヒョヒョヒョヒョヒョォ」と聞こえてきた。やっぱり怖かった。
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夏空
ゼミ合宿は充実のうちに終了した。それにしても修善寺は暑かった。都内と大差ないほどだった。
最終日は朝からきれいに晴れわたった。夏の空に夏の雲が浮かび、そこから強烈な陽射しが吹き出てくる。日の高さは盛夏のそれだ。だが奇妙なことに、そこには幾分かのもの悲しさが含まれているようにもおもわれた。たしかに夏空なのに、光や風のぐあいに早くも夏の終わりが感じられるような気がしてしまう。
今日の市川は、終日よく風が吹いた。夕方に部活から帰ってきた《みの》が、「なんだか秋みたい」とつぶやいていた。
明日からは白金で恒例の夏期集中講義。土日をはさみ実質5日間のワークショップが始まる。
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プロの仕事ぶり
テレビを買った。一カ月くらいあれこれ検討して機種を選んだ。ソニーのHX800の40型、同じく壁寄せスタンド(SU-FL71M)とシアターシステム(HT-CT350)、それにパナソニックのBDレコーダー(DMR-BWT1000K)という組合せだ。
家電商品最安値の聖地といわれる(?)池袋に行って交渉した。ずいぶん安くしてもらい、おかげで、ぶじ予算内に収まった。もっとも最初は在庫があるはずだったのに、最終的には納期一週間かかるといわれた。急ぐ理由もなかったのでOKしたが、たぶんそうやって値引きしたぶんの調整しているのだろう。家電製品の価格は発売された瞬間から日ごとに下がってゆくものらしい。なんともバザール経済的なやりとりである(詳しくは拙著『アトラクションの日常』第4章参照)。
さて一週間後、配達と組立の日である。やってきたのはローレル=ハーディのような二人組。この二人組には心底びっくりさせられた。伝説のコメディチームに似ていたからではない。その仕事ぶりがあまりに適当だったからだ。
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死にざま一覧
しばらく前、梅雨のおしまいのころのことだ。大学院時代以来の友人のお父さまが亡くなった。80歳を越え、大往生だった。雨の日曜の夕方に、ランクルを走らせてお通夜にうかがった。大勢の参列者の末席につらなっていると、お坊さんがあらわれ、説教を始めた。
お坊さんは言う。「ひとはいずれ必ず死にます。死にはいくつかの種類がある」。一枚の厚紙をとりだし、あたかもワイドショーの人気司会者のような身ぶりで、それを参列者のほうへ向けた。そこには手書きで、ひとの死にざまがみごとに分類・一覧されていた。
「まず病死ですね。本日の仏さまはこれにあたるでしょう。つぎに事故死」といった調子で、話を続ける。「自死、みずから命を絶ってしまう、これはいけません。そして戦死。これはいまの日本ではあまりないかもしれませんな」
あとからよく思い直してみると、この死にざま一覧表はあくまで話の枕にすぎなかった。本題のほうは、お通夜という儀式はむしろ参列しているわたしたちが残された時間をどう生きるかということを考えなおすためにあるのだ、という、じつにまっとう、かつ実のある説教だったのだ。それに、死にざま一覧表がテレビ番組みたいなフリップで示されるというのも、その友人がテレビの研究をしていることを考えあわせると、まことに興味深い現象だったといわねばなるまい。しかしそのときは、ただただ呆気にとられているだけで、そのうちお経が始まってしまった。
お焼香のあと、座敷に坐っていた。まわりは故人と一緒に踊りを習っていたという妙齢の女性たち。元気である。友人が挨拶にやってきた。これまでいろいろ大変だったろうに、そんなことは一切表に出さず、ただ笑って「来てくれてありがとう」をくりかえしていた。
しばらくして、ぼくたちは席を辞し、再び雨のなかランクルで帰途についた。
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勝った
- Jun 17, 2010 10:42
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サッカー・ワールドカップ(なぜか「W杯」という不思議な表記が定着している)で日本代表がカメルーンに勝った。よかった。おめでとう。ぼくも《みの》と一緒に中継をみていた。
もっとも、まず最初に謝らなければならない。事前の率直な気持ちとして、今回ばかりはもう三連敗必至、おそらく1得点もとれまいと観念していたからだ。岡田監督には期待がもてず、選手たちも何か大事なものを忘れてしまっているように見受けられた。こりゃもうダメだ、というのが正直な気持ちであった。
大会が近づくにつれ、マスメディアでもネットでも岡田監督や代表チームへのバッシングは過熱した。なかには、日本サッカーの「膿」を明らかにするために潔く全敗せよなどという、本末転倒的ご無体な批判まであった。四面楚歌とはこのことだ。さすがにかわいそうな気もしたが、さりとて期待がもてないという諦観に変わりがなかったのも事実であった。
それでも、ワールドカップのようなメディアイベント的「祭り」にたいして、シニカルなポーズをとっていてはダメなのだ。調子よくしっかり参加して、「祭り」の御輿に載らなければならない。
というわけで、万難を排してテレビ中継を観戦した。守備は連動していて各自がそれぞれのタスクをしっかり果たしていた。松井のきれいなクロスからの本田の得点シーンは落ち着いたもので、そんなふうにして、大舞台のプレッシャーのなかでほぼ一度かぎりのチャンスに確実な仕事を決められる選手たちの技量と度胸におどろかされた。
もっとも中継でいちばんおどろいたのは、唐突にさしはさまれた、本田とエトーがたがいの偽金髪と坊主頭をスローモーションでなであうというBL的ツーショットだったが。
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