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わからない風景のアーカイブ

5年目の3.11

5年目の3.11。5年前と同じく金曜日だ。

この間に確かになったこととは何だろう。

地震と津波の襲来。原発事故、それにつづく諸々。多くのひとが被災した。多くのひとがさまざまなことについてさまざまに語った。

元に戻ったものもあれば、二度と戻らぬものもある。何かが変わったのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

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そして多くのひとびとがいまも苦しんでいる。その事実はかなりしばしば看過・忘却される。無意識的に、あるいは意図的に。

そうこうするうち地球は太陽のまわりを5周した。それだけは、なるほど確かにちがいない。

見わたすかぎり高校生

しばらく前のこと。那覇空港で、ぼくは羽田行きの便に乗ろうとしていた。

指定されたゲートの手前まで来て、一瞬たじろいだ。おびただしい数の人間が座りこみ、フロアを埋め尽くしていたからだ。

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私服を着ていたが、高校生のようだった。手にお土産の入ったバッグをもち、背中にバックパックをずり下げて背負っていた。スズメの集団のようにおしゃべりしている。

那覇空港の搭乗ゲート前のフロアはけっして狭くはない。しかし、びっしりと座りこんだひとたちによって、フロアはすっかり覆い隠されていた。もう見わたすかぎり高校生。

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超低空

集中講義期間中にはいくつかの授業が併走している。ぼくの隣の教室で開かれているのは藤村久美子先生の授業である。そこにゲストで来られた虎井まさ衞さんを囲む食事会に誘っていただいた。

お店にうかがう途中、キーンという轟音が耳を突いた。思わず上空を見上げた。旅客機が超低空で通過していくところだった。函館空港に着陸するようだ。

風向きによって進入ルートは変わるのだろうが、五稜郭の繁華街の真上である。

バラスト

ひさしぶりに北総線に乗りに行った。

ホームの直下で、バラストの補修工事がおこなわれていた。古いバラストの取り除かれたあとには応急的に土嚢が詰め込まれていた。

これから撒かれるらしいバラストが、青いプラスチックの籠に盛られて積んであった。八百屋さんの店先のようだった。

ロードサイド的、郊外的

ロードサイドの風景の写真を撮ってきた。散歩がてらに近所をちょっと歩くと、こうした光景はいくらでも見つかる。というか、似たような風景は日本じゅうの「郊外」にあふれている。

はっきりいって、わざわざ写真を撮りたくなるような風景とは呼びにくい。それが、ふつうの感覚だろう。そのせいなのか、撮影をしていると、道行くひとや自動車で通りすぎるひとたちから「こんなところで何してんだ? このオッサン」的な視線をばしばしと浴びせられる。もうたいがい慣れたのだが。

ロードサイド的というか、郊外的なものについては、20世紀後葉ではもっぱら批判の対象であった。逆に近年では、ここにこそ可能性があると称揚されることが多い。

『アトラクションの日常』で論じたように、ぼくもロードサイド的、郊外的なものの今日的な重要性にあらためて注意を払うべきだと考えている。

ただし、それは、それらを単純な批判や称揚の対象として、つまりそれ自体がもつ価値を直接問題にするというような次元での話ではない。批判は大切だが、それ自体が目的化すれば破滅的になるだけだ。逆に、ただ称揚するのであれば、それは批判の裏返しにすぎない。

ロードサイド的・郊外的なるもののが重要なのは、ひとえにそれが現にわたしたちに与えられた条件、「現実」であり「現在」であるからだ。それ以上でもそれ以下でもない。

そのような地点から出発するからこそ、建設的な展望を拓くことへつながりうるのだとおもう。

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