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名古屋

実家を処分した日

名古屋の実家を処分することにした。「処分」という表現が適切かどうかはわからないけど、ようするに売ってしまうということだ。

父が亡くなってからの10か月間でぼくが経験したのは、もろもろの雑事の連続であった。人間というのは身ひとつで生きているようなものではなく、きわめて世俗的・現実的な意味において社会的存在であることを思い知らされた。

いろんなことを判断して物事を処理していかなくてはならない。時間的制約もあるため、それらを粛々と進めてゆくほかない。ぼくは、そういうときに感傷にふりまわされることなくわりあい冷静に対処できる性質なのだが、それでも何度か気が滅入るようなことがあった。

実家の処分という判断は、その最大の例のひとつかもしれない。

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処分してしまうという判断そのものは、合理的であり、しごく妥当な選択だとおもう。

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サミット期間中に名古屋へ行ってきた

先週は伊勢志摩サミット期間で各地は厳重警備中、とくに空港は、という話をよく目にした。そんななか羽田発中部国際空港(セントレア)行きのJAL便に乗ることになった。

羽田についてみると意外にもふだんとさほど変わらぬ雰囲気だった。ちょっと警官の姿が目立つくらいだ。早朝だったせいかもしれない。

機材は737-800。小ぶりな飛行機のうえ天候が悪かったせいか、けっこう揺れた。でもちゃんと飛んでくれただけよかったかもしれない。このあと羽田は、離陸しようとした大韓航空機がエンジンから出火したとかで、しばらく閉鎖されてしまったというのだから。

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セントレアに着いた。こちらも、警官の数こそ多いもののターミナルはあいかわらずガランとしていて、わりに拍子抜け。こちらは到着客だから、さしてチェックも厳しくなかった、ということかもしれない。出発するほうは検査もより厳しかっただろう。

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街歩き都市、東京

街歩きが好きだというゼミ生がいる。卒論もそちら関係で書きたいという。もうひとりのゼミ生と三人で歩いてみようということになった。

白金の明学の正門前から出発。白金商店街→四の橋→愛育病院前→グランドハイアット前というかヒルズ前→全日空ホテル前→溜池山王駅あたり→国会裏→平河町→麹町→市ヶ谷→飯田橋と来て、水道橋で夕方になったので打ち止め。国会あたりまでのルートは、その学生がふだんよく歩く道だという。

途中カフェで一服した以外は、3時間以上ずっと歩きどおし。陽射しに照らされ、ふうふう言いながら歩いた。だがそれなりに風も吹き、汗だくとまではいかずにすんだ。グーグルマップで距離を測ってみた。10.9kmだった。

気をつけて歩くと、微地形の変化がよくわかる。ビルが建ち並ぶ以前の地形のようすを想像しながら歩くのは、おもしろい。『ブラタモリ』みたいだ。ただし個人的にはあの番組以前から、そんな自然地理学ぽいことを考えながら歩いてきた。貝塚爽平『東京の自然史』をくりかえし読んだ時期もあった。習い性である。

水道橋駅ちかくの天狗に入ってビールで乾杯した。大学で別の作業をしていたゼミ生たち数名も合流し、小宴となった。

東京の街を歩くのは愉しい。そして「街歩き」が東京ではひとつのジャンルとして成立している。

ほかの街ではどうだろうか。観光地として旧市街地を歩くということはよくあるが、東京の街歩きとはちょっと違う気がする。名古屋にいた高校や予備校時代にもよく街を歩きまわったが、「街歩き」という意識はなかった。まわりにも、そんなひとはいなかったし、「名古屋の街歩き」という表現を聞いたような記憶もない(そもそも名古屋は乗り物都市なのだが)。

東京に街歩きが独自のジャンルとして成立するのには、東京の街の構造や歴史も大きな要因であろう。でも、すべてではない。「街歩き」は言説という側面も大きいようにおもう。

連休の渋滞

5月に入ってからはまったく論文の執筆が進んでいない。4月の末に、ついつい調子のいいようなことを書いてしまった。その報いであろう。

この間、論文以外の諸事に、時間と気持ちが費やされていた。なによりまいったのが、帰省の往復の渋滞だった。

ぼくも《あ》も名古屋に実家があり、家庭の事情もあるため、なんだかんだといって、帰省する。今回は子どもたちも一緒に、ディフェンダーで出かけた。しかし連休中とて、どこも大渋滞。「自粛」などどこへ吹き飛んでしまったかという勢いであった。

往路は中央道50kmの渋滞だという。高井戸から相模湖までずっとつながっていて、通過に4時間以上。絶望的である。

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正文館書店

東片端にある正文館書店。名古屋に帰省すると必ず立ち寄る。

似た名前のちくさ正文館もいい書店だが、ぼくがよく行くのは東片端にある正文館のほうだ。一時間から二時間ほど滞在してゆっくり棚をみてまわり、気に入った本をひとかかえ買って、古いお屋敷が残る街を歩いて帰る。高校や予備校時代よりも、むしろ大人になってから、とくに子どもが生まれてからのほうがお世話になっている感がある。

ぼくにとって正文館は、たぶん、あらゆる新刊書店のなかでいちばん好きな書店のひとつだ。

もっと個性的な品揃えをしている書店は、東京はいうにおよばず、名古屋にだって存在している。インテリ好みの書店なら神保町へ行けばいい。正文館は、そうした意味でこれといった「個性」があるというタイプの書店ではない。品揃えもまあ普通だし、売り場面積も広くはない。でもぼくがこの書店を好ましいとおもうのは、いまはもうほとんど感得することのできないある気分がいまだ息づいているかに感じられるからである。

そのことは、たとえば文庫の棚が管理のしやすい版元別ではなく、著者別にならべられていたり、ひじょうに充実した児童書コーナーにみてとれるが、それらが直接好ましさの要因であるというわけではない。具体的にどこかどうというより、やはりこの店全体を浸している雰囲気みたいなものが重要なのだ。

とはいえ今回行ってみたら、以前は2階の大半を占めていた人文書のコーナーが大幅に縮小されて奥に押し込められ、手前の大部分は旅行ガイドブックと学参がならべられていた。昨今の出版市場の動向からして、どこの書店も経営的には楽ではないだろうから、残念だけれど、仕方ないことなのかもしれない。

それでも全体としてみれば、店の雰囲気は損なわれていなかった。名古屋へ行くたびにこの書店に寄るというささやかな愉しみを今回も味わうことができ、うれしかった。

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