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明治学院大学

ヴォーリーズのチャペル100周年

明学のチャペルはヴォーリーズの設計である。1916年建立なので今年で献堂100年だ。それを記念した講演会が去る11月5日(土)にひらかれた。

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講演会の主催は明治学院歴史資料館。ここ数年ぼくは同館の館長として奉職していることもあって列席したのだが、100名以上の方が集まってくださって、おかげさまで盛会だった。

お話をしてくださったのはヴォーリーズ事務所の方だった。ぼくは建築については関心もあるし知識も少しは持ちあわせているのだが、今回の話題の中心はヴォーリーズと滿喜子夫人をめぐる人物のほうだった。近年NHKの朝の連続テレビ小説『あさが来た』などでもとりあげられ、世間の関心はむしろそちらにあるのだという。……そうなんだ。

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このチャペルはヴォーリーズ夫妻が結婚式をあげた場所でもある。それは献堂3年後の1919年のこと。そのときの写真がプロジェクターで投影された。チャペルの演台の上に二人がたち、背後に日の丸と星条旗が飾られていた。その場所は、まさにいま映像が投影されているその場所であった。100年ちかい時間を越えて時空間がぐるりと一周したみたいな、ふしぎな感覚であった。

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縁あって2006年に明学に着任するまで、ぼく自身はこの学校のことはほとんど何も知らなかったのだが、近代日本の、とくに文化的な側面において果たしてきた役割の大きさをあらためて教えられる思いがした。

メディア系列10周年

ぼくが明学に着任してからまる10年がすぎた。それはつまり、芸術学科に芸術メディア系列が新設されて10周年ということでもある。

この間、学内外ではさまざまなことがあった。そんななかで、よくここまでやってこられたなというのが率直な気持ちだ。

知っているひとは知っているとおもうが、美術史や音楽学や映画学などとは異なり、「芸術メディア」という領域などどこにも存在しない。むろん学問分野やディシプリンとしても、そんなものは存在しない。それは、いくつかの異質なものを束ねておくためのラベルにすぎない。それゆえ、右も左もわからないまま着任したぼくがじぶん自身に課すべきミッションは明瞭だった。ここに実体を吹き込むこと、それ以外にはなかった。

そこでぼくは、異質なものを束ねる軸もしくは基盤として、メディア論を捉えなおそうと考えた。この10年間一貫してここで追求してきたのは、さまざまな要素を包摂しつつ、メディア論的思考を学ぶ場をつくるということだった。

ただし「メディア論」といっても、ぼくの考えるそれは世の大半が想像するようなものとはおそらくだいぶ(もしかするとまったく)違う(ぼく自身は「王道」のつもりなのだが)。違うからこそ、上述のようなことが可能だったのだ。だから、口はばったいことを言うようだけど、それは他で容易に真似できるものではない。そんな先見の明がいまの日本の大学業界にどれほどあるのかはともかく。

じっさい、ほかの大学でも芸術とメディアを標榜するようなところがちらほら見受けられるようになってきた。だが、いくら看板が似ていたとしても、内容的に競合するようなところはほぼ皆無である。少なくとも独自の地歩はある程度固めることができたといえるのではないか。ささやかだけれど、ぼくはそう自負している。

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