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	<title>散歩の思考 : SwingBooks.jp &#187; 地震 | 散歩の思考 : SwingBooks.jp</title>
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	<description>明治学院大学文学部芸術学科准教授、長谷川一のブログ。</description>
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		<title>地震</title>
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		<pubDate>Fri, 11 Mar 2011 08:07:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア論的に考える]]></category>
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		<description><![CDATA[ぶじでしたか？ 市川もずいぶん揺れました。本やら書類やらが散らかっていますが、まわりも含めて大きな被害なさそう。 こういうときには、すぐテレビをつけるものですね。津波の勢いと被害に、絶句。被害が最小でありますよう。 まだ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://swingbooks.jp/wp_sb/wp-content/uploads/2011/03/110311quake.jpg" rel="lightbox[6125]"><img src="http://swingbooks.jp/wp_sb/wp-content/uploads/2011/03/110311quake-468x263.jpg" alt="" title="110311quake" width="468" height="263" class="alignnone size-medium wp-image-6126" /></a></p>
<p>ぶじでしたか？</p>
<p>市川もずいぶん揺れました。本やら書類やらが散らかっていますが、まわりも含めて大きな被害なさそう。</p>
<p>こういうときには、すぐテレビをつけるものですね。津波の勢いと被害に、絶句。被害が最小でありますよう。</p>
<p>まだ、ときどき小さな揺れがきます。</p>
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		<title>赤影参上</title>
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		<pubDate>Mon, 01 Nov 2010 01:00:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア論的に考える]]></category>
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		<description><![CDATA[ここ数カ月、子どもたちのお気に入りは『仮面の忍者赤影』である。週末の夕食が済むと、いそいそとDVDをセットしては数話ずつ観る。金目教篇、卍党篇と来て、いま根来篇。これもあと2話で観終わるところまで来た。 最初のテレビ放映 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ここ数カ月、子どもたちのお気に入りは『仮面の忍者赤影』である。週末の夕食が済むと、いそいそとDVDをセットしては数話ずつ観る。金目教篇、卍党篇と来て、いま根来篇。これもあと2話で観終わるところまで来た。</p>
<p>最初のテレビ放映は1967-68年。当然ぼくもリアルタイムでは観ていない。夕方の再放送の時間帯に観ていた。</p>
<p>好きな番組だったのだが、物語の中身はほとんど覚えていない。戦国忍者の赤影の髪型が七三なのは変だとか、特撮がメリエス時代なみにチャチだとか、どんな窮地に陥ってもすべて忍法ということで切り抜けてしまう超テキトーなご都合主義だということには、子どもながらに気づいていた。</p>
<p>今回あらためて観ると、赤影の髪型は、七三というよりほとんどリーゼントであった。戦国時代なのに。金目教篇のオープニング「赤影マーチ」はあいかわらず胸躍るものであるが、タイトルバックに挿入される歌詞のテキスト「手裏剣シュ、シュ、シュ」の「シュ」の数が、じっさいに歌われる歌詞よりひとつ多い。卍党篇に入ると修正されているのが、かわいらしい。</p>
<p></p>
<p>忍者モノといえば、その奧に何か深いもの──たとえば差別のような政治的課題──を見出して、これをテキストに祭りあげてしまうような読みをすることもできる。それはそれで重要であろう。赤影にだって、そういう面を見出そうとすれば、できなくはない。だがたぶん、そうしたアプローチは『赤影』の魅力をより浮かびあがらせるものではないだろう。ぼくがいまでも『赤影』を面白いとおもうのは、そういうことがあるからではない。人物や状況設定のぶっ飛びぐあい、荒唐無稽さである。</p>
<p>戦国時代を舞台にしてはいるものの、怪獣は登場するし、速射砲や無反動砲をはじめ、自動小銃、レーザー砲、空を飛び水中も航行可能な円盤、ヘリコプターなど、時代考証もへったくれもなく、これでもかというほどつぎつぎと、レトロモダンなアイテムが登場する（とくに卍党篇）。</p>
<p>さらに回によっては、レイ・ハリーハウゼンみたいに骸骨が踊ったり、西部劇のテイストが織り込まれたりして、とにかく作り手のノリみたいなものがひじょうに強く感じられ、その破天荒ぶりがこの作品に力を与えていることがわかる。</p>
<p>興味深いのは、それをあらかじめ狙ったわけではなく、ただ限られた予算のなかで面白さを追求している帰結として生まれたという点である。制約要因は必ずしも創造を抑制するのではなく、むしろ逆に、不可欠な要素といえるかもしれない。現に湯水のごとく資金と時間を投入してつくられたにもかかわらず、すぐれた作品と呼ぶにはほど遠いという例を、いくつもあげることができる。</p>
<p>1980年代以降、アニメやテレビドラマや今様にアレンジされた劇場版実写映画などつくられたが、ぼくはいずれも未見。あまり面白くはないらしい。もしそれが事実だとすれば、それはそうした企画が、オリジナルのテレビシリーズの枠組みから一歩も出られていないからではないか。オリジナルの『赤影』の面白さは、従前からある忍者モノや時代劇の枠組みを換骨奪胎して、まるっきり違う独特のテイストをつくりあげていることにあるのだから。</p>
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		<title>選挙で萌えるマスメディア</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Sep 2010 07:03:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[メディア論的に考える]]></category>
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		<category><![CDATA[国民国家]]></category>
		<category><![CDATA[民主党]]></category>

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		<description><![CDATA[千葉県議会の補欠選挙（市川市選挙）が公示された。今回は出張と重なるので、生まれて初めて不在者投票するつもりでいたら、無投票になったという。愉しみにしていたのに。 選挙で愉しそうといえば、このところのマスメディアである。  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>千葉県議会の補欠選挙（市川市選挙）が公示された。今回は出張と重なるので、生まれて初めて不在者投票するつもりでいたら、無投票になったという。愉しみにしていたのに。</p>
<p>選挙で愉しそうといえば、このところのマスメディアである。</p>
<p>民主党の党首選挙に小沢一郎が出馬すると決まって以来、テレビの（新聞もだ）はしゃぎぶりようといったらない。連日、小沢が何をしたとか、菅が何をしゃべったとか、票読みはどっちが優勢だとか、どちらが党首にふさわしいかとか、話題に事欠かない。双方を支持する女性議員をならべて両者を競わせてみたりもする。新聞は新聞で、論説委員というひとたちが登場しては、したり顔で戦況を解説している。</p>
<p>テレビのなかのひとたちは、みな愉しそうだ。いきいきとしている。選挙ならまかしとけ！とばかりに張りきっているのだろう。</p>
<p>でもよく考えてみれば、「日本の将来が決まる」などと盛りあがっているのは、かれらと民主党関係者だけではないのか。今回は所詮、民主党内の儀式に過ぎない。ぼくたちが直接選択する選挙ではないのである。そんなこと、有権者なら誰でも知っているだろうに。視聴者のほうは、そうしたテレビのはしゃぎぶりに適度に付きあい愉しみつつ、でももう少し冷ややかなのではないだろうか。</p>
<p>それでも、テレビがつぎつぎと民主党首選がらみの映像を垂れ流すのは、それがかれらの体質によく合致しているからだ。</p>
<p>その体質には二面ある。ひとつは、テレビがなんでも娯楽にして消費の対象にしてしまうという性質である（ちなみに新聞は、世を憂えるしたり顔というポーズをとるのが得意）。もうひとつが、テレビのような20世紀日本型マスメディアは国民国家と不可分の形で存立しているらしい、ということである。</p>
<p>だとすれば、かれらが生き残る道は、やみくもにインターネット的なものにすり寄るのではなく、グローバル資本主義の時代において国民国家の可能性をマスメディアの立場から考えることではあるまいか。</p>
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		<title>プロの仕事ぶり</title>
		<link>http://swingbooks.jp/2010/07/29/professionals/</link>
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		<pubDate>Thu, 29 Jul 2010 03:47:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
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		<description><![CDATA[テレビを買った。一カ月くらいあれこれ検討して機種を選んだ。ソニーのHX800の40型、同じく壁寄せスタンド（SU-FL71M）とシアターシステム（HT-CT350）、それにパナソニックのBDレコーダー（DMR-BWT10 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>テレビを買った。一カ月くらいあれこれ検討して機種を選んだ。ソニーのHX800の40型、同じく壁寄せスタンド（SU-FL71M）とシアターシステム（HT-CT350）、それにパナソニックのBDレコーダー（DMR-BWT1000K）という組合せだ。</p>
<p>家電商品最安値の聖地といわれる（？）池袋に行って交渉した。ずいぶん安くしてもらい、おかげで、ぶじ予算内に収まった。もっとも最初は在庫があるはずだったのに、最終的には納期一週間かかるといわれた。急ぐ理由もなかったのでOKしたが、たぶんそうやって値引きしたぶんの調整しているのだろう。家電製品の価格は発売された瞬間から日ごとに下がってゆくものらしい。なんともバザール経済的なやりとりである（詳しくは拙著『<a href="http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309244808" target="_blank">アトラクションの日常</a>』第4章参照）。</p>
<p>さて一週間後、配達と組立の日である。やってきたのはローレル＝ハーディのような二人組。この二人組には心底びっくりさせられた。伝説のコメディチームに似ていたからではない。その仕事ぶりがあまりに適当だったからだ。</p>
<p></p>
<p>最初におどろかされたのは、ドライバーをまわす手つきすら覚束ないことだが、そんなのは序の口だった。なんといっても商品知識がない。説明書をみながら組み立てている。しかも、それでも間違えるのだ。シアターシステムのバーという装置がある。棒状の箱のなかにスピーカーがいくつか収まっている器具だ。その設置方法がわからず、スタンドのリモコン置き用の小さな台の上に載っけて、こうですかねなどとといって平然としている。そんなはずがあるわけない。説明書をみると、同梱の専用金具をつかってテレビ本体の下につり下げると、ちゃんと書いてある。</p>
<p>ケーブルの接続の仕方も適当である。ぼくのところは一般家庭に比べればちょっとだけ機材が多いかもしれない。しかし、そうした接続はお願いしていないし、かれらも手を出さなかった。依頼内容は単純である。今回購入した3種の機材（テレビ本体とシアターとBDレコーダー）を、従来からあるCATVのSTBをかまして接続してほしいということだけ。</p>
<p>たしかに、いちおう配線はしてくれた。テレビ本体をつけて、地上デジタル、BSなどが映ることと、シアターから音が出ていることだけを確認すると、かれらはぼくに、あとはお客さんのお好みで、などと適当なことを言って、そそくさと帰っていった。</p>
<p>かれらの帰っていったあとに残されたテレビまわりは、まるでスパゲティをぶちまけたように配線がこんがらがっていた。そして、たしかに地デジもBSも放送そのものはテレビに映すことができるのだが、BSをBDレコーダーで録画することができない接続になっていた。</p>
<p>かれらの仕事ぶりをみていて、途中からぼくはもう何かを期待するのを止めていた。そのあとぼくは、もう一度すべての配線をとりはずし、一からすべての接続をやりなおすことにした。作業が終わるまでにさらに一時間半ほどかかったが、すっきりとうまくつながった。</p>
<p>あれこれ買ったので、それらを相互に接続したりする作業はたしかに少々面倒だったかもしれない。しかし、かれらはこの作業で糧を得ているのではないのか。かれらの仕事ぶりをみて、これでも「プロ」とはよびにくい気がする。組立の代金だって、しっかり徴収されているのだ。</p>
<p>もっとも、こう考えることもできるかもしれない。たしかに組立代は支払った。だがその金額はけっして十分とはいえないものであり、その意味では、組立に来た二人組の仕事ぶりは値段相応だ、というふうに理解できなくもない。</p>
<p>しかし、たとえそうであったとしても、それでは販売店の姿勢としてはどうだろうか。「設置や接続おまかせください」と謳って組立代を徴収しているのだから、惹句に偽りありといわざるをえまい。ぼくのばあいは、接続について、たまたまあるていど知識があったからやり直すこともできた。だがそうでないひとたちは、どうすればいいのか。それも消費者の「自己責任」だというのなら、ちょっと行き過ぎているというべきではなかろうか。</p>
<p>二人組は帰りしな、「表の空箱をきれいに片づけて帰りますので」という言葉を残していった。あとで外へでてみると、段ボール箱や発泡スチロールの緩衝材の切れ端がいくつも庭に転がっていた。</p>
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		<title>死にざま一覧</title>
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		<pubDate>Wed, 28 Jul 2010 04:39:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
				<category><![CDATA[日々のエッセイ]]></category>
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		<description><![CDATA[しばらく前、梅雨のおしまいのころのことだ。大学院時代以来の友人のお父さまが亡くなった。80歳を越え、大往生だった。雨の日曜の夕方に、ランクルを走らせてお通夜にうかがった。大勢の参列者の末席につらなっていると、お坊さんがあ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>しばらく前、梅雨のおしまいのころのことだ。大学院時代以来の友人のお父さまが亡くなった。80歳を越え、大往生だった。雨の日曜の夕方に、ランクルを走らせてお通夜にうかがった。大勢の参列者の末席につらなっていると、お坊さんがあらわれ、説教を始めた。</p>
<p>お坊さんは言う。「ひとはいずれ必ず死にます。死にはいくつかの種類がある」。一枚の厚紙をとりだし、あたかもワイドショーの人気司会者のような身ぶりで、それを参列者のほうへ向けた。そこには手書きで、ひとの死にざまがみごとに分類・一覧されていた。</p>
<p>「まず病死ですね。本日の仏さまはこれにあたるでしょう。つぎに事故死」といった調子で、話を続ける。「自死、みずから命を絶ってしまう、これはいけません。そして戦死。これはいまの日本ではあまりないかもしれませんな」</p>
<p>あとからよく思い直してみると、この死にざま一覧表はあくまで話の枕にすぎなかった。本題のほうは、お通夜という儀式はむしろ参列しているわたしたちが残された時間をどう生きるかということを考えなおすためにあるのだ、という、じつにまっとう、かつ実のある説教だったのだ。それに、死にざま一覧表がテレビ番組みたいなフリップで示されるというのも、その友人がテレビの研究をしていることを考えあわせると、まことに興味深い現象だったといわねばなるまい。しかしそのときは、ただただ呆気にとられているだけで、そのうちお経が始まってしまった。</p>
<p>お焼香のあと、座敷に坐っていた。まわりは故人と一緒に踊りを習っていたという妙齢の女性たち。元気である。友人が挨拶にやってきた。これまでいろいろ大変だったろうに、そんなことは一切表に出さず、ただ笑って「来てくれてありがとう」をくりかえしていた。</p>
<p>しばらくして、ぼくたちは席を辞し、再び雨のなかランクルで帰途についた。</p>
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		<title>ナショナルメディアとしてのテレビ</title>
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		<pubDate>Sat, 26 Jun 2010 05:03:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hajime Hasegawa</dc:creator>
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		<description><![CDATA[サッカー・ワールドカップ日本代表はとうとう16強に進出した。カメルーン戦での勝利以来、オランダ戦の健闘をへて、デンマーク戦は守備のみならず攻撃も積極的で、圧倒的にたたかっていた。 そうした姿をみるべく多くのひとたちがテレ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>サッカー・ワールドカップ日本代表はとうとう16強に進出した。カメルーン戦での勝利以来、オランダ戦の健闘をへて、デンマーク戦は守備のみならず攻撃も積極的で、圧倒的にたたかっていた。</p>
<p>そうした姿をみるべく多くのひとたちがテレビに、あるいはパブリックビューイングのスクリーンに向かい、同じ時間に同じ試合中継番組を視聴し、その経過に一喜一憂して、勝利という結果と、それによって達成されたアウェーで初の16強進出という快挙をよろこぶ。</p>
<p>そうした様子をみるにつけ、あらためておもう。テレビはナショナルなメディアなのだと。</p>
<p>もちろんテレビに限らず、ラジオにせよ新聞にせよ広告にせよ、マスメディアとはおしなべてナショナルなものだ。ではあるものの、とりわけテレビにおいて、その性質は強調されているようにおもう。</p>
<p>テレビ受像器の画面にうつしだされるひとびとは口々に「同じ日本国民として誇りに思う」「勇気をもらった」などという言葉を口にしてはばからない。文筆でたべている新聞記者やサッカー・ジャーナリストでさえ、種々の記事に「日本人に生まれて良かった」と書いていたりする。</p>
<p>かれらの反応に通有されるキーワードは「国」「国民」「日本人」など。前提にあるのはナショナリズムである。ただし、政治的な立場はどうであれ、「ナショナリズム」という言葉だけに過敏に反応していてはいけない。</p>
<p></p>
<p>先述した「ナショナルなメディア」とは、国民文化の形成維持発展に深く根ざしている媒体というほどの意味だ。国民国家を運営してゆく上で国民文化は不可欠であり、近代社会のさまざまな制度はそのための装置という側面をもっている。とりわけ20世紀の後半以降の日本では、「国民」はテレビによって媒介されることで成立してきた。しかしそのフォーメーションは、1980年代に頂点を迎えたあとは相対的に内側から崩れてきており、現在ではテレビはもはや絶対的な地位を占めてはいない。その過程は、まさに国民国家のそれと軌を一にしている。グローバル化したポストモダン社会において、どちらもやや時代遅れとなりかけている。そんなふうに見られている。</p>
<p>このような見方は、たしかにそう間違ってはいない。しかし一面的ではあるかもしれない。</p>
<p>リーマン・ショックのさい、ジジェクだったかが、こんな意味の発言をしていた。グローバル資本主義の進展のなかで国民国家の影響力は相対的に低下しているといわれてきた。だがリーマン・ショックのような事態が明らかにしたのは、グローバル企業が国民国家にとって替わる能力があるわけではないという事実だ。つまり、グローバル資本主義の時代においても、国民国家はそれ固有の役割を見出しうるのだということである。たとえば、グローバル企業やグローバル化した市場を監視し、その暴走にたいする抑止力を発揮しうるのは、国民国家にしかできない機能なのかもしれない。</p>
<p>もしこのようなジジェク的見方が正しいのだとすれば、いまや地盤沈下著しいテレビのような20世紀的マスメディアもまた、21世紀的デジタルフォーメーションのなかにおいて、マスメディア固有の役割があるといえるのではないだろうか。それは、ジジェクのいうような意味における新しい国民国家を機能させるためのナショナルなメディアとはどのようなものであり、それはどのようにして可能かという問いに変換して理解することもできるだろう。</p>
<p>現在のマスメディア産業の内部者のなかで、そうした問いの意味を理解しうる人材がどれほどいるのかはわからない。批評家もまた、現在のテレビ産業という枠組みの内側に安住しているか、でなければむやみやたらと非難するかの両極端ばかりが目についてしまう。いまのマスメディア産業にとって重要なことは、しかしマスメディア産業がどうダメなのかと言いつのるばかりではなく、それをどう建て直してゆくかを射程に入れておく必要があるのではないだろうか。</p>
<p>テレビを視聴しワールドカップに昂奮するひとびとはきっと、本人たちの意識せざる水準において、そのためのヒントを、受け入れようとするひとびとの目には届くような形で、身をもって示しているのである。</p>
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