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メディア

映画と乗り物とコミュニケーション

先日執筆した原稿のなかで、「コミュニケーション」という言葉について、ちょっとだけ触れた。

この言葉は、いまでは、情報や思想を交換する行為やそのための手段や媒体という意味で、一般には理解されているだろう。(媒体のニュアンスがより強調されれば「メディア」と言われたりするかもしれない。)

ところが、このような用法にかんして、ウィリアムズはひじょうに興味深く、かつ重要な指摘をしている。英語のcommunicationは、17世紀末から20世紀前半まで、今日でいうtransportation(物質的運輸)という意味も含んでいたというのだ。

ちなみにcommunicationの原義は「共有すること」である。鑑みるに、この用法が存立しえた基盤には、何かを共有するには物質的な移動が不可避にともなうという認識があったことが示唆される。

裏返していえば、物質的移動なしに何かを共有する仕掛けとして、20世紀的マス・コミュニケーションというものが想像されてきたということでもある。

このような話は、ぼくの思考において、その基盤の一部をになうことになる。つねづね主張していることだが、「メディア」というものを考えるうえで決定的に重要なのは、「映画」と「乗り物」なのだとおもう。


メディアとしての……

日本マス・コミュニケーション学会の学術雑誌『マス・コミュニケーション研究』第78号が刊行されました。「メディア文化研究の課題と展望」という特集が組まれており、ぼくも論文を寄稿させていただきました。

題名は「メディアとしての……──暗黙知、枠組み、コンテクスト・マーカー」。「メディア」という概念を、ベイトソンの学習理論を経由して拡張しようという論考です。ここでは、メディアは「ものごとを理解したり遂行したりするときの「枠組み」を支えるもの」と位置づけられることになります。

メディアといえばテレビやケータイやネットのことだとばかり信じているひとには、奇妙に感じられる発想かもしれません。けれども、もともとマクルーハンの「メディア」は、あらゆるものに適用可能な汎用性のある概念として提案されたものです。

90年代まではまだこういうニュアンスは一定程度共有されていたようにおもうのですが、なぜか21世紀に入ってデジタルメディアの日常への浸透が著しくなっていくのと裏腹に、こうした包括的で根源的な視点は失われる一方でした。「情報伝達のためのテクノロジーや機械的手段」というような側面ばかりが過度に強調されるようになりました。結果として「メディア論」という知の平板化や貧困を招いているといわざるをえないような状況にあると感じています。

しかしぼくは、「メディア」とはもっとずっと幅広く、豊かで、厚みがあって、さまざまな可能性を潜在させている言葉だと信じています。その可能性を引きだしたいと、この10年、あれこれと考えてきました。たぶん、何をしているときでも、始終このことを考え続けていたのだとおもいます。いまこの瞬間も、やはり同じでしょう。

けれども、迷い苦しみ、考えはするものの、ぼく自身の力不足もあって、なかなかうまく言葉にすることができずにいました。そこに学会誌より機会を与えていただき、とうとう覚悟を決めて、執筆することにしたのです。昨年の夏から秋にかけてのことです。

毎度のことながら話のスケールの尺があわず、草稿で100枚くらいになったのを、ずいぶん削って、できあがりました。今回の論文でようやく、「メディア」の可能性にたいして、まがりなりにも、ぼくなりの形を与えることができたといえましょう。関係各位には、あらためて御礼申しあげたいとおもいます。

もちろん、まだようやく端緒をつかんだにすぎず、理論的にも応用面でも展開させていかなければなりません。道筋はいくつか用意していますが、今後の課題です。

学会誌という特殊な媒体なので、一般の方にはなかなかお勧めしにくいのですが、大学図書館などには収められているとおもいますので、機会あれば、ごらんいただければさいわいです。いずれになんらかの形で出版したいとおもっています。


勝手にクリスマス・エクスプレス2010(3/3)

疎遠なものを結びつけるのは、儀礼のもつ働きのひとつである。クリスマスもまた儀礼の一種であり、そこからいくつかの変換過程をへて、現代日本では恋愛イベントという認識が通有されている。

クリスマス・エクスプレスもまた、そうした認識を下敷きにしている。だからそこでは、新幹線は、離れていた彼と彼女を結びつけるメディアとして、自己の「魔法つかい」ぶりを発揮してみせる(それがJR東海という企業のイメージアップへとつながるよう設計されている)。新幹線というメディアの助力によって、恋愛状態にある男女が、年に一度、純粋に結びつけられるという「いい話」が描かれるわけだ。

ところが、今日こうした「いい話」パターンをそのまま踏襲するのは、じつはたいへんむずかしい。どこか嘘っぽくなってしまうのだ。だから今回製作した3本のうち、この枠組みをオーソドックスに踏襲しているのは、前述どおり、作品2のみである。もう一度この作品に注目してみよう。

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勝手にクリスマス・エクスプレス2010(2/3)

後期の授業が始まって以来、試行錯誤を重ねながら少しずつ作業を進め、クリスマス直前にようやく作品が完成した。院生が各自1本つくったから、全部で3本できあがった。

美大や専門学校ではなく人文社会系の大学院生が製作したものなので、もちろん技術的に拙い部分があるのは否めない。撮影機材は、各自手持ちのデジタルビデオカメラ、ケータイの動画機能、デジタル一眼の動画機能とさまざまであり、それをパソコンに取り込んで編集した。そしてみんなで試写会。いずれの作品もすごくおもしろかった。

各作品の設定や物語をまとめておこう。

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勝手にクリスマス・エクスプレス2010(1/3)

クリスマス・エクスプレスは、JR東海が1988年から1992年までクリスマスシーズンに流していたテレビ・コマーシャルのシリーズである。

「なつかCM」みたいな懐古番組の定番であるうえに、いまではYouTubeなどにも映像があげられており、誰でも見ることができる。また、Wikipediaをあたれば、やたら詳細な解説を読むこともできる。ちなみに個人的にもっとも好きなのは、牧瀬里穂の登場する1989年版である。

このCMは、札束が幅を利かすバブル末期において、若者のある種の「純愛」的な場面をクオリティ高く描いており、山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」がつかわれたこととも相まって、当時から高い評価をうけていた。いま見ても、いろいろな意味でじつによくできていると感心させられる。

授業でこのCMをよくみせる。ぼくは日本のクリスマス文化について関心があるのだが、20年前のこのCMは、いまでも日本的クリスマスを考えるうえで、最良の教材のひとつであるとおもうからだ。

で、前々から考えていたことを、今年は試してみることにした。大学院の授業で「もしクリスマス・エクスプレス2010をつくるとしたら?」という課題に挑戦したのである。

といっても、よくあるような、「パロディ」と称しながら、そのじつパロディでもなんでもないような真似っこづくりではない。授業なのだし。やり方は、こうだ。

まず、88年から92年、それにエクストラとして2000年に放送されたクリスマス・エクスプレスの全作品を分析する。作品ごとにすべてのカットを絵コンテに落とす。それをもとに、作品を構成要素ごとに整理し、それらがどのように組みあわされているか、そしてそれが何をあらわそうとしているかを検討する。全作品に共通する要素があれば、それがこのシリーズに一貫性を与えている枠組みであると、さしあたり言えるだろう。

たとえばそれは、国鉄分割後に誕生したJR東海という企業のイメージCMという大枠であったり、日本的クリスマスのイメージを喚起させる典型的なアイテム群であったり、クリスマスを恋愛における一大イベントとみる信念であったり、遠距離恋愛という具体的なシチュエーションであったり、「すれ違い」ものというプロットパターンであったり、女性を中心にとらえる視線であったり、ソフトフォーカスや細かいショットのつなぎ方といった技法であったり、離れていた彼女と彼とをぶじに結びつけたあと最後に「どや顔」で走り去ってゆく(いまはなき)100系新幹線の後ろ姿であったりするだろう。

それらを受け継ぎつつ、しかし2010年の今日の状況に照らしあわせて、企画を考案し、やはり絵コンテを切り、じっさいに60秒の映像作品として製作するのである(今回はデジタルストーリーテリングではない)。

なお、ぼくの授業において、作品製作を含むワークショップという形式は、ありがちな製作技法を教え込むことを目的としたハンズオンなのではない(ただし結果として技法を教えることも含まれる)。そうではなく、あくまで実践をとおしてさまざまなメディア論的課題をあぶり出すための方法として、これを採用している。実践してみることで初めて気づかされることは少なくない。それをもとに、さらに考えを深めてゆく。そういうアプローチなのである。

勝手にクリスマス・エクスプレス2010(2/3)へつづく


語りはじめる学生たち

毎度おなじみデジタルストーリーテリング。毎年2年生を主対象とした授業の後期で実施している。今年もまたその季節が来た。

デジタルストーリーテリングでは、スチール写真をつかってスライドショーみたいな映像作品をつくる。ただし、よくある映像制作ワークショップのように、テレビや映画の真似事をすることが目的ではない。たしかに受講生は結果として制作技法を習得することになるが、あくまで副産物である。主眼は、映像制作の専門家ではないふつうのひとびとが、いかにして映像をとおしてみずからを物語るか、ということにある。

ぼくの授業でもこの考えを踏襲している。企画の条件は、どんな題材でもいいが、いまじぶんが切実に語らなければならないこと、である。

欧米の実践者たちの話を聞くと、ひとびとはあらかじめ言うべきストーリーをかかえており、ただマスメディア中心の社会ではその回路がなかっただけなのだということが前提されている。

ところが、ポストモダン日本では、そう簡単にはいかない。学生たちの多くは、意識的あるいは無意識的に、じぶんが語るべきことを胸の奥深くに格納し、幾層ものシールドでコーティングしてしまっている。もっとも大切なものは、けっして周囲に悟られてはならず、表面上はひたすら、仲間内のなかでポジションを維持するための「キャラ」を演じていなければならないからだ。

問題は、そうしているうちに、隠していたはずの「語るべきこと」が何だったのか、当人にもよくわからなくなってしまうことである。そんなものは最初から無かったのかもしれないとさえ、おもわれてくる。

だから、「切実に語らなければないこと」などといわれても、すぐに見つけられるわけがない。10月末からアイディアの発表を始めたが、案の定、最初はいかにもステレオタイプなものか、あまりに浅いものばかりだった。そこで差し戻しとなる。

本当のスタートは、そこからだ。

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知はいかにして「再発明」されたか

縁あって翻訳書の解説を書かせていただきました。

イアン・F・マクニーリー、ライザ・ウルヴァートン『知はいかにして「再発明」されたか』日経BP社

知識生産のためのテクノロジーや組織の変遷を跡づけたもの。インターネットなど今日的なデジタルメディアの可能性を歴史において探ろうという意図があり、それを我田引水的な技術決定論ではなくアプローチしているところが肝要だとおもいます。

堅苦しい専門書ではなく、知的な読者向けの読み物。翻訳はプロの方がなさっています。どうぞよしなに。


選挙で萌えるマスメディア

千葉県議会の補欠選挙(市川市選挙)が公示された。今回は出張と重なるので、生まれて初めて不在者投票するつもりでいたら、無投票になったという。愉しみにしていたのに。

選挙で愉しそうといえば、このところのマスメディアである。

民主党の党首選挙に小沢一郎が出馬すると決まって以来、テレビの(新聞もだ)はしゃぎぶりようといったらない。連日、小沢が何をしたとか、菅が何をしゃべったとか、票読みはどっちが優勢だとか、どちらが党首にふさわしいかとか、話題に事欠かない。双方を支持する女性議員をならべて両者を競わせてみたりもする。新聞は新聞で、論説委員というひとたちが登場しては、したり顔で戦況を解説している。

テレビのなかのひとたちは、みな愉しそうだ。いきいきとしている。選挙ならまかしとけ!とばかりに張りきっているのだろう。

でもよく考えてみれば、「日本の将来が決まる」などと盛りあがっているのは、かれらと民主党関係者だけではないのか。今回は所詮、民主党内の儀式に過ぎない。ぼくたちが直接選択する選挙ではないのである。そんなこと、有権者なら誰でも知っているだろうに。視聴者のほうは、そうしたテレビのはしゃぎぶりに適度に付きあい愉しみつつ、でももう少し冷ややかなのではないだろうか。

それでも、テレビがつぎつぎと民主党首選がらみの映像を垂れ流すのは、それがかれらの体質によく合致しているからだ。

その体質には二面ある。ひとつは、テレビがなんでも娯楽にして消費の対象にしてしまうという性質である(ちなみに新聞は、世を憂えるしたり顔というポーズをとるのが得意)。もうひとつが、テレビのような20世紀日本型マスメディアは国民国家と不可分の形で存立しているらしい、ということである。

だとすれば、かれらが生き残る道は、やみくもにインターネット的なものにすり寄るのではなく、グローバル資本主義の時代において国民国家の可能性をマスメディアの立場から考えることではあるまいか。


ネット歌姫うたう

ゼミOGのネット歌姫がイベントに出演します。みなさま、どうぞよしなに。

ライブイベント「コネクト」
2010年6月13日(日)16:30〜@大塚Deepa
http://blog.livedoor.jp/connect_live/


BEAT公開研究会「電子書籍時代の教材」

今日はiPadの日本発売日ですね。こんなシンポジウムに登壇することになりました。明日開催。

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BEAT Seminar 2010年度第1回 BEAT公開研究会
「電子書籍時代の教材:誰が作りどんな形になるのか」
2010年5月29日(土)開催
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Apple社のiPadやAmazon社のKindleなど、電子書籍の流通基盤になる個人用
デバイスが普及し始めています。アメリカでは多くの教科書が電子化され、教
材の流通に革命的な影響をもたらす可能性があります。
当面、教科書や参考書などの電子化が進むでしょう。しかし、長期的に考え
れば、電子環境への移行によってもっと大きな変化が起きる可能性があります。
このセミナーでは「誰が作り、学習者にどう届けるのか」という流通システ
ムの変革と「電子環境ならではのマルチメディアとの統合」というテーマをと
りあげ、電子書籍時代の教材の新しい形について議論を深めていきたいと考え
ています。みなさまのご参加をお待ちしております。

■日時
2010年5月29日(土) 14:00~17:00

■場所
東京大学 本郷キャンパス
情報学環・福武ホール(赤門横)福武ラーニングシアター(B2F)
アクセスマップ>>http://www.beatiii.jp/seminar/seminar-map42.pdf

■内容
1.講演1 14:05-14:50
「電子書籍の衝撃」
佐々木俊尚(ITジャーナリスト)

2.講演2 15:00-15:40
「電子書籍時代のマルチメディア教材」
宇治橋祐之(NHK青少年・教育番組部)

3. 指定討論 15:40-15:50
長谷川一(明治学院大学 准教授)

4.参加者によるグループディスカッション 15:50-16:20

5.パネルディスカッション 16:20-17:00
「電子書籍時代の新しい教材の形とは」
司  会:北村 智  (東京大学 特任助教)
パネラー:長谷川一(明治学院大学 准教授)
宇治橋祐之(NHK青少年・教育番組部)
山内 祐平 (東京大学 准教授)

※iPadとKindleの体験コーナーを開設いたします。

■定員
180名(お早めにお申し込みください)
申込ページ:http://www.beatiii.jp/seminar/index.html

■参加費
無料

■懇親会
セミナー終了後1F UTCafeにて
参加希望者(¥3,000)

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