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ユーザー生成コンテンツ

iPadと電子書籍(2/2)

読書論といえば従前さまざまな蓄積がなされてきた。それらはそれぞれ、文芸批評や文化研究や認知科学など、基盤とする領域ごとに何系統かにわけられようが、いずれにも共通するのは、読書という一見受け身にみえる行為がじつはどれほど多様で創造的な営みであるかを明らかにしてきたことにある。

したがって、先述のようなユーザー生成コンテンツ的サービスと結びついた電子の「書籍」は、そのような多様性や創造性にある種の具体的な形を与えたものだと解釈することも、できなくはない。おそらく実際の開発にあたっても、そうした知見を下敷きにしているにちがいなかろう。

このときひとつの事実を看過してはならない。従来「読者」に経験されてきた「読書」の豊饒さは、いったん閉じられ固着されたテクストの上に成立していた、という事実である。ユーザー生成コンテンツ・サービスにおいてはまったく事情が異なる。そこでは作品だろうがコメントだろうがつぶやきだろうがすべての言明は同列に扱われ、特定のテクストに特権が付与されることはない。すべては「ネタ」なのだ。読書の多様性や創造性はそれ自体がコンテンツとしてシステムにとりこまれ、矮小化されてゆくことを免れえないだろう。

これら二つの「読書」とよばれる経験は似て非なるステータスにある。すでにわたしたちはケータイやiPhoneで「読書」しているのだが、そうした行為は「読書」をより拡大させるとともに、「読書」を内側から解体してゆく。

そこで「汎用機」だ。

冒頭に述べたように、iPadは「汎用機」である──かのように見える。IT業界的にベタにいえば、ネットブックと同じカテゴリーにぶつけてきたのだから、当然ということになるかもしれない。

たしかにiPadは、これまでネットブックを拒絶してきたアップルの、このセグメントにたいするひとつの解答だといえる。別言すれば、アップルがここに商機をみているという証左でもある。ひととおりの作業ができてハンディ、安価にして貧相。それがネットブックの特徴だった。それらが小指をかけながらもとりこぼしてきたのと同じマーケットを見ながら、しかしiPadのアプローチはまったく異なる。というより、アップルにすれば、ネットブック・メーカーはマーケットをちゃんと把握できていなかったくらいということかもしれない。

では、アップルがiPadで開発を目論むマーケットとは何か。いってみれば、それはわたしたちの「日常」であり、そこでの身体である。

iPadにおいて前提されているのは、ビジネス用途やら電子書籍向けやらとかといった、産業的に縦割りにされた既存の区分ではない。そもそも制度的枠組みのどれかに対応させようという発想には、どう見てもない。そういう製品であるにもかかわらず、これを既存の枠組みの中から眺める者には、この製品が「汎用機」であるように見えてしまうのだ。

iPadで焦点となるのは、ごくふつうの日常生活を構成するふるまいのパターンである。通常の区分でいえば、それらはビジネスや家事や余暇としてそれぞれ別個の領域に分類され、ゆえにそれらが相互に共通性をもつことなど見落とされているだろう。しかしそれらをふるまいに着目すれば、領域を横断して共通するものを見出すことは、さほどむずかしくはない(拙著『アトラクションの日常』を参照)。

諸種の連絡や投稿、スケジュールの管理、メモをとったり管理したりすること、情報を検索して保存したり印刷したり共有したりすることや、写真や動画や音楽を再生したり、ちょっと手をくわえてまたネットに投げたりする。……こうした、さほど複雑ではない諸々の作業に属するふるまいにおいて必要とされる身体技法は、じつはそれほど多様性に富んでいるわけではない。だからタブレットという形状とマルチタッチというインターフェイスの組合せが利いてくる。

そして「読書」もまた、そうした日常的身体技法群のなかのひとつのアイテムにすぎない。少なくともiPadにおいては。

アップルははっきりと見切っている。「書物」をどうデジタル化するかなどという視点にさして展望は認められないことを。「読書」という行為に着目することで、それがわたしたちの生活を織りなすもろもろの日常的実践のなかに解消させられてゆくであろうことを。身体のレベルからこそ、書物と読書が長らく保持してきた特権性を解体しうることを。

AppleTVやiPhoneの発表時、ジョブズはアップルがテレビや電話を「再発明した」とことさらに強調したのだった。今回かれの口から「書物を再発明した」という台詞は聞かれず、代わりに飛びだしてきた言葉が、何あろう「リベラルアーツ」だった。それはつまり、こういうことである。

─了─

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iPadと電子書籍(1/2)

アップルからiPadが発表された。先月末のことだ。あれから二週間以上たつ。

日本の新聞・テレビなど既存マスメディアでは、電子書籍市場がいよいよ活気づくというような図式のなかで語られることが多い。出版業界もだ。米国で好調のアマゾンのKindleへの対抗馬というような意見もよく見かける。

間違いではない。けれども一面的で偏っているような気がする。

たしかにiPadにはそれまでアップルが取りこんでこなかった電子書籍リーダー機能が与えられている。iPadには最初から電子書籍リーダー用アプリケーションiBooksが含まれ、iTunesの電子書籍版であるiBookstoreも用意されている(日本では未整備だが)。ジョブズのプレゼンテーションでもKindleが引きあいに出されてはいた。

けれどもiPadは電子書籍端末ではない。ベタな言い方をするならば「汎用機」だ。電子書籍リーダー機能はいくつも具わる機能のうちのひとつの柱にすぎない。専用機対汎用機という図式は凡庸きわまりないとはいえ、ある種の本質を指し示してはいる。こと電子書籍にかんしては。

専用機でないのだからiPadは電子書籍端末ではない。この事実の意味はことのほか大きいのようにおもう。現状がどうであれ、iPadにたいするアップルの期待は、世間がふつうに想像する電子書籍、すなわちディスプレイ上で読書を提供する装置、という水準にとどまるほど謙虚であるわけがない。

電子書籍をたんにテクストがデジタル化された新聞・雑誌・書籍と考えるかぎり、それを講読したり閲覧したりする機能だけでは、ユーザーにたいし十分な訴求力を発揮しうるとはいいにくい。現在の流れからして、あらかじめあつらえられた情報をただ摂取するだけというのではなく、そこにユーザーがなんらかの形で積極的に参加するものでなければ、ユーザーに向かって新鮮なサービスをアピールできないだろう。現段階でiPadにはそこまでの用意はない。だがきっと視野に入れているはずだ。

別の角度から見てみよう。

デジタル化されたテクストをただ講読・閲覧する機能だけでは、商売としてさほど旨味はない。ユーザー生成コンテンツによってユーザーを引き込んだうえで、そのユーザーの属性を情報として吸いあげるのがこの種の商売の妙味である。そしてそのサービスは、リアルタイムで提供されることが望ましい。なぜならそれによってユーザーを少しでも長くつなぎとめておくことが可能となり、それゆえユーザーの行動情報を漏れなく根こそぎ収集できるからだ。(参照「リアルタイム・ユーザー生成コンテンツ批判」)

つまり冊子の「書籍」をただデジタル技術の上で組版し配信する程度の電子書籍では、メーカーにとってもユーザーにとってもあまり意味はないのだ。そんなもので満足とばかりに安穏と構えていられるのは、せいぜい既存の出版産業・新聞産業くらいのものである。

電子書籍・電子出版は、遅かれ早かれ良かれ悪しかれ、なんらかの形でユーザー生成コンテンツ的な形態へと転換してゆく仕掛けが介在することになるだろう。そのときそこでやりとりされる商品やサービスに「書籍」や「新聞」や「マガジン」というような名が付けられることがあるかもしれない。だがたとえそうだとしても、あくまで名前の上での話だ。それは冊子体のそれとは多分に異なる経験をもたらす装置でなければならないのだ。

iPadと電子書籍(2/2)へ続く


リアルタイム・ユーザー生成コンテンツ批判

ここ数年ネットサービスはユーザー生成コンテンツへ著しく傾斜しつづけてきた。ユーザー生成コンテンツとは掲示板やらSNSやらブログやらネットゲームやらといった、ユーザー自身の活動が直接「コンテンツ」(空疎な言葉である)となって、それにコメントを付加するなどして「つながり」(これも空疎な言葉である)を連鎖させてゆくようなタイプのメディアサービスのことをいう。

さらにここに来て、モバイル環境の整備やスマートフォンの普及も手伝って、よりリアルタイムなやりとりに焦点があてられる傾向が顕著になってきている。ツイッターなどがその典型である。その時どきで思いついた短いフレーズを始終ネットに書き込みつづけ、それにべつの書き込みが連鎖してゆくわけだ。

ユーザーの立場からすれば、じぶんたちがいろいろなひとに「つなが」っていることを確認できるし、それなりに新しい出会いや発見もあることはある。そうしたサービスが登場する以前には、たしかに事実上あまねく実現することが困難だった現象である。その意味ではたしかに有為であり、これが多くの可能性を潜在させていることを否定する理由はない。

しかし同時にそれがあくまで資本によって提供されている商用サービスにすぎず、もう一面においてわたしたち自身がユーザーに仕立てあげられ「やらされている」ものでもあるという事実のほうは、しばしば忘れられがちだ。とくに本来はもっともそうした事柄に敏感であるべきIT系の各種メディア言説においては。

ユーザー生成コンテンツのサービスの渦中において、わたしたちは、マイミクの多さを「つながり」の濃度として誇示しなければならなかったり、ツイッターのフォロー数の増減にやきもきしたり、四六時中つぶやきやらコメントやらをチェックしたり書き込んだりして過ごしている。何かあれば、あるいは何もなくとも、とにかくチェックや書き込みをしていなければならない。べつに誰かにあからさまに強要されるわけでもないが、そうしないと落ち着かなくなる。客観的にみれば、これはもう立派な依存状態であろう。

そうした状態を断続的にではなく常時ユーザーにもたらすような仕掛けが、資本のいう「リアルタイム」である。ということは、ユーザー生成コンテンツ・サービスをリアルタイムで提供することとは、片時たりともそこから離さないようにして、ユーザーの依存状態をよりいっそう徹底し、中毒化させることを意味している。

リアルタイムとは、始まりと終わりをもつような性質のものではない。そうではなく、あらゆる瞬間がそれぞれリアルタイムなのである。したがって、リアルタイムを追いかけ続けるという現象は、わたしたち自身によって経験される「時間」という概念を大きく変容させうる。わたしたちが通常そう考えているような、流れてゆくべきものとしての「時間」という概念を無効にすることを意味しているからだ。あらゆる瞬間がリアルタイムであるのだから、そこに棲むこととは、つねに現在だけが一枚ぺらりと漂っているような、現在が永遠であり永遠が現在であるような、つまりは無時間的な世界に沈殿してゆくことにほかならない。

もちろん物理法則に支配された実世界においては時間は経過しているわけだから、そうした無時間的世界はいつか破綻するにちがいない。思いつくことを思いついたなりにただちに(リアルタイムに)ツイッターにあげることは、それによってさまざまなコメントやらフォローやらを誘発して思いもかけない「つながり」に、それこそ「つなが」ってゆくこともあるだろう。それはそれで愉しいと感じられるようなことであるかもしれない。

けれどもそうして得られる「つながり」や愉しさと引き換えに、わたしたちは、「わたし」のなかにあらわれた小さなひとつの感覚を捕捉し、それと粘り強く向きあってゆくための契機を失いかねないということも覚えておいたほうがよい。その過程は必ずしも心地よいものではないが、そうしないかぎり「わたし」のなかの「内圧」はけっして高まってゆくことはない。「内圧」の高まりがなければ、何かを表現するものとしての「わたし」はその根拠を失ってしまうだろう。

ユーザー生成コンテンツ・サービスにおいては、コンテンツの創造者を特定の主体に帰することを原理的に要請していないので、その立場からすれば「内圧」など邪魔なだけだ。いかなる書き込みであれ、それは本質的に固有名とは無縁の位置にある。その点において、ユーザー生成コンテンツは伝統的なメディアが構築してきた表現形態と対峙する。

しかし少なくともわたしにとって、ものを考え書くことは、あくまで「わたし」を根拠におこなうことでしか成立しない性質の営みである。したがって、そのように始終つぶやきを垂れ流すことは、たとえ気持ちのうえでいくらか「楽」になるのだとしても、せっかく「内圧」の高まりをもたらすかもしれない機会をみすみす「ガス抜き」して逸してしまう自棄的な行為であるように映る。

いかにも時代遅れの古い考え方だといわれれば、なるほど、そうかもしれない。もしそう嗤われるようなことがあれば、わたしはよろこんで「古い」人間の側に立つことを選ぶだろう。


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