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北海道

ヒッチ

阿寒湖畔の温泉街を抜けたところで、ヒッチハイカーを拾った。

ドイツから来たという若いカップルだった。海外からの観光客向けJR乗り放題パスをつかって北海道へ来て3日目、今日は雌阿寒に登ったという。

そのかれらは、留辺蘂か新得に行きたいという。なぜまた? とおもったが、話を聞くと、どうやら旭川に出て大雪に行くのが次の目的らしい。

ぼくは斜里岳登山後に島牧へ向けて道内を東から西へ横断中だった。あいにく石北本線方面までまわる余裕はない。近いところで鉄道の便がいいといえば帯広だろう。それなら、ルートをちょっと変更するだけで済む。帯広駅まで送っていくことにした。

カーナビをセットしなおす。帯広まで114kmと出た。「1時間?」とヒッチの男性がいう。「2時間」とぼくは答えた。

足寄を抜けるころに日が沈んだ。真っ暗な国道を走る。人家も信号も街灯もない。頼りは前を行くクルマのテールライトだけだ。ときおり、道路に沿って頭上に矢印がならび、それが揃って行儀よくチカチカと点滅する。

「あれは何?」とヒッチの男性が訊いた。積雪時に道路の端を示すためのものだと、ぼくは答えた。

ヒッチの男性が重ねて訊く。「でもいまは雪はない。なのに、なぜ点滅するのだ?」。たしかにそのとおりだが、その理由までは知らない。そう答えると、ヒッチの男性は「不思議だ」と小さくつぶやいた。

さらに、しばらくしてからのことだった。

ヒッチの男性が、バックシートの女性とドイツ語で何やら話したあと、ぼくに英語でこう言ってきた。「このクルマ、スピード出し過ぎではないのか?」

ぼくはメーターに一瞥をくれた。「いや、べつに標準的な速度だけど」と答える。妙なことを訊くやつだ。

すると、ヒッチの男性はこう続けた。「だって、ものすごく大きなエンジン音がするから」

そういうことか。仕方なく、ぼくはこう答えた。

「それはこのクルマがランドローバーだからだ。知ってる? イギリス車だ。メルセデスでもアウディでもない」(あえてBMWの名前は出さなかった。わかるひとにはわかるとおもうが。)

ぼくの下手な英語が通じたのか通じなかったのか、ヒッチの男性はただ「ランドローバー、わかった」と答えただけだった。


ねずみさんと宮本常一

もう一週間も前のことになってしまったが、島牧でねずみさんに会った。初期の村上春樹の小説にでてくる「ねずみ」ではありません。北海道の旅先でお世話になった古い友人である。

お会いするのは、たぶん十数年ぶりだ。出先から戻ってきたら、ユースの庭先に見慣れぬランクル70が停まっていた。ねずみさんの車だった。茨城古河のご実家へ帰省した帰り道だそうだ。島牧に立ち寄るのは1年以上ぶりだという。

ねずみさんは、ぼくとまったく同じ誕生月日で、きっかり一回り上。島牧ユースのヘルパーの大先輩であり、歩いて日本一周をした漂泊のひとでもある。いまから四半世紀前、ぼくが北海道へバイクで出かけて事故ったとき、病院までむかえに来てくださったこともある。ニセコの山小屋に泊めてもらったりもした。いまはミキサー車を運転しているらしい。仕事は大変だが、おもしろいよ、という。

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津波から18年後の島牧

島牧へ来ている。気候は例年より1週間から10日ほど遅いという。峠や尾根筋はまだ白く、木々は新芽が芽吹いていて、山桜が咲いていたりする。海は昨日からずっと凪だ。(写真はいまアップできる環境にないので、後日。)

四半世紀前から変わらないといえば変わらない風景である。だが同時にここは、1993年7月12日に発生した北海道南西沖地震で、津波に襲われて大きな被害をこうむった土地でもある。

ぼくは、ちょうどそのきっかり一カ月前に島牧に来ていたのだが、津波のときには自宅にいて、ニュース番組を見ていた。あまりにもよく見知っている地名が読みあげられるのを、ほとんど身の毛が逆立つような気持ちで聴いていたのを覚えている。

ガンゼさん一家は甚大な被害をうけて、建替を余儀なくされた。そして、友人たちと一緒に、再建の作業を(ほとんど猫の手くらいの役にしか立たなかったのだが)手伝った。呼びかけの手伝いをしたり、津波で流されたアルバムを拾い集めて、写真を水で洗い、貼り直したりした。

あれから18年がたち、前の浜には立派な堤防ができ、国道はあちこちで近代的なトンネルが掘られてルートが付け替わった。

クルマやバイクで通り過ぎるだけなら、ただ海と山の美しさだけが心に残るだろう。ぼくとて大差ない。まあふつうの観光客のひとりに過ぎないのだから。

それでも、津波のときの記憶は、けっして拭い去ることはできずにいる。だからこそ、島牧の美しさがよけいに身に滲みるのかもしれない。


列車のさみしさ

ゼミ旅行に行ってきた。今年は北海道、昨年が長崎だったから、ちょうど逆。「この時期安いのは寒いところだよ」と、旅行代理店に相談にいった合宿係が、カウンターのおにいさんに勧められた結果なんだそうである。

ゼミ生たちは、ヒートテックにダウンジャケットという、南極観測隊のような装備で札幌に乗り込んだ。ところが到着した札幌は、さっぱり寒くなかった。路上の雪は溶けかかり、白いはずの雪には泥が付着して汚れており、まるで春先の北海道である。夕方には降りはじめたが、雪ではなく雨。この日、最高気温は8度になったのだと、あとで知った。「ふくろう亭」でジンギスカンを食べたあと、ホテルへ戻るころにはずいぶん冷え込んできた。

翌日は雪。バスではるばる旭川まで遠征し、旭山動物園へ。行ってみると、おどろいた。気温は昨日とうってかわって氷点下、山の中腹にあって半ば吹雪になりかかっているにもかかわらず、続々と観光バスがやって来る。バスからは、モコモコに着込んだ年配旅行者たちから、この寒いのにブレザー姿の高校生までが、どしどしと吐きだされてくる。この時期の北海道の観光資源といえば、スキーとカニとガリンコ号ぐらいしかなかった時代からすれば、脅威的な集客力である。

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松浦武四郎・一畳敷展

京橋のINAXギャラリーで「一畳敷展」を見てきた。

一畳敷とは「北海道」の名づけ親として知られる幕末の探検家松浦武四郎が、晩年に建てた一畳きりの書斎。実物はいまもICUのキャンパス内にあるらしく、ここに展示されているのはレプリカ。といっても、一部はパネルで、正直しょぼい。

書斎にかんする展示よりも、むしろ目を惹くのは武四郎の書物や地図などの展示である。篆刻の技術を身につけ、それで旅のあいだの生計をまかなっていたという。

展示史料のほとんどに「松浦武四郎記念館蔵」と註記されている。生地の三重県松阪市にあるらしい。松阪といえば、本居宣長や小津安二郎の生地でもある。機会があれば訪れてみよう。


さらばランクル(3/3)

 ▲歌島高原(北海道島牧村)

新しく買うディフェンダーの納車が近づいたある日、ぼくはランクルに乗って近所をひとまわりし、帰りに洗車場に立ち寄って、きれいに洗ってやった。帰宅して車内に掃除機をかけ、ぼくが持ち込んでいた装備品をとりはずした。大きな段ボールを用意したにもかかわらず、とりはずした装備品は意外なほど少なかった。

 ▲島牧ユースにて(北海道島牧村)

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さらばランクル(2/3)

 ▲羅須地人協会の駐車場にて(岩手県)

家族でもっとも遠くまで出かけたのは、2年前の春に花巻へ出かけたときだろうか。このときは、長者原SAで仮眠し、朝目がさめたら、前の右タイヤがパンクしていた。さいわいSAのガソリンスタンドが開店していたので、そこで修理してもらった。その年の秋、こんどは北海道のニセコで、後ろの左タイヤがパンクした。このときもすぐにタイヤ屋さんが見つかって修理してもらった。市川に戻ってからデューラーのATに交換した。まあ、あんまりMTという柄ではない。

 ▲函館山麓の最奥(北海道)

単独行では毎年9月の北海道行きがランクルとの長旅だった。勘定してみると5回になる。初めのうちはおとなしく高速をつかって走っていったのだが、やがてさまざまなルートをたどるようになった。

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さらばランクル(1/3)

ランクル80がわが家に来たのは2003年12月の初めだった。初度登録は1995年だから、その時点ですでに8年落ちだった。

その前に乗っていたステップワゴンは、わずか18カ月で手放すことにした。一度手に入れたものは長くつかうタイプの人間として、これは異例のことであった。

理由はキャンピングトレーラーだ。当時トレーラーを買うつもりでいて、そのトラクターとして力不足が否めなかったからだ。ステッピーは気さくで、ホンダ車らしくよくまわるエンジンがたのしかった。だが逆にいえば、まわさないと走らないという性質でもあった。トルクが細いため一家フル乗車時には苦しい。車体剛性も足らなかった。走っていると、ときおり車体がよじれるような感覚があった。

好みからいけばランクル70ディーゼルあたりがよかったのだが、すでに排ガス規制が始まっており、市川は規制区域内だから選択肢に入れられない。100系は中古でも高価すぎたし、あのセルシオ的ラグジュアリー路線が性に合わないのとで見送った。そこで、価格的にもこなれていた(それでもぼくにとっては十分高価ではあったのだが)ランクル80に絞ることにした。

四駆好きだが、オフをやるわけではない。ナッジバーやインチアップなどのいかにもRV的な装備は不要、背面タイヤもなくてよく、できるだけノーマルに近い禁煙車。そんな条件のもと、あれこれと探しまわって何台か試乗し、最後に出かけていった光が丘の東京トヨタ中古車店で、出会った。

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奥田實写真集『生命樹』

写真家・奥田實さんの写真集『生命樹』(新樹社)が刊行されます。

北海道の木々の写真をおさめたものだが、ふつうの写真集とはちょっと違う。一年のうちにさまざまに姿を変えてゆく木々のようすをコラージュしたもの。図鑑的な要素をもっているが、けれども一般の図鑑のように木々が「死んでいる」わけではない。なんとも独創的で、それゆえに木々の魅力と、そうした自然にたいする奥田さんの愛情とが伝わってきます。

ちなみに奥田さんとは、もう二十年以上前に島牧で知りあい、以来お世話になっております。

写真集でコストがかかるゆえちと高価なのがナンですが、どうぞよしなに。


富良野岳に登る(2/2)

富良野岳まで

上富良野岳分岐から尾根沿いに三峰山へ向かう。北海道の高地らしいがらんとした光景である。風はちょうど追い風となる。視界はあいかわらず効かない。ガスに煙るなか、ところどころ岩に黄色いペンキで記されたルートを示す矢印が浮かびあがる。この印が頼りだ。

おおむねゆるゆると下り気味だったが、やがてちょっとした岩場を登る。ところが、ここへ来て、右膝の内側が痛みだす。体重をかけることができない。ストックでからだを支えて、一歩ずつゆっくりと歩を進める。しばらくそうやって遅々としていると、今度は左膝も同じように痛みだした。この位置では、進むも引き返すも登山口まではそれなりの距離がある。なんとかだましながら歩くしかない。だいじょうぶ、歩ける、とじぶんに言い聞かせながらゆっくりゆっくりと歩く。登りきると、そこは1803mの無名峰だった。0840。ここにくると風は弱まっていた。水を飲む。記録をつけていたボールペンをどこかに落としてしまったことに気づく。

少し元気を取り戻し、また歩き出す。すぐに三峰山に着く。0850。何か口にしなければとおもい(出発前には何も食べていなかった)、朝食用に昨夜中富のローソンで買っておいたおにぎりをひとつ頬ばる。雲が薄くなって、太陽が姿を見せる。

歩きはじめると、ガスが晴れてきた。やがて目の前に、これから登る富良野岳が姿をあらわした。こうなると現金なもので、膝の痛みはいつのまにか消えてしまっていた。

三峰山山頂から富良野岳分岐への下りには、岩場を抜けなければならない箇所がある。ちょうど風がやみ、うっすら陽が差し始めたタイミングだったので、なんなく通りぬけたが、しばらく歩いているうちに、先に雨具を着用をすすめてくれた登山者は、三峰山あたりを注意するようにとアドバイスしてくださったことを思い出した。それはこの岩場のことだったのだろう。もし上ホロあたりの風雨だったら、切りたった岩場の上を通過するのはひどく危険だから。

0950富良野岳分岐。先に上ホロ分岐で当初予定どおりのルートをとっていたら、直接ここに出ていたはずだ。雲が切れて富良野岳山頂がよく見える。左側には深い谷。その向こうには広大な森が拡がっている。ところどころ沼が白く光り、いかにもヒグマがころころ遊んでいそうな雰囲気である。

途中、先に山頂にいた三人組が下山してきた。朝から直接こちらに向かっていた。山頂に着いた時点では真っ白。しばらく待っていたら晴れたのでよかった。これから上ホロへ向かうという。

1025富良野岳山頂。さいわい雲が切れて、360度の眺望が得られた。地形と地図とつきあわせながら、歩いてきたルートを確認する。山頂付近では鳥が舞っていた。鷹の類かとおもったら、カラスだった。三羽もいる。鷹と同じように、翼をひろげて谷から斜面を吹きあげてくる風をうけて滑空している。ここで昼食としてパンをたべ、水を飲む。

やがて、三峰山で入れ違いになったカップルが山頂に到達する。かれらもほぼ同じルートを歩いてきたが、雨具をもっていなかったので上ホロには行かなかったという。

さらに、団体らしき登山隊が山頂へ向かっているのに気づく。双眼鏡でみると、迷彩服を着ている。先発隊の偉いひとらしき二人が山頂に着くや、なにやら無線機に向かって話をしている。

長い下山

1100そろそろ潮時と下山開始。途中で自衛隊の本隊とすれちがう。訓練登山らしい。まだ十代らしき若い隊員のなかには、完全にバテて息のあがっている子もいる。1125富良野岳分岐。ここに10名ほどの自衛隊員が腰をおろしている。こうして要所要所に隊員を配置していくのが流儀らしい。

下山をはじめてすぐ、再びガスがかかり、山頂はたちまち雲のなかに隠れてしまった。下山ルートは、山の中腹をゆっくりと巻いてゆくのだが、ガスでまったく視界が効かない。歩いても歩いても、なかなか高度がさがらない。間断なく雨が降っている。足許もぬかるみはじめて歩きにくい。下山は時間の経過がずいぶん遅く感じられた。

視界が効かないので、いきおい足許をみて歩くことが多くなる。ときどき動物の糞らしきものが落ちている。クマのそれではなさそうだ(以前に狩場でみたことがある)。もう少し小さい動物であろう。

単独行で周囲にも他の登山者がいないもあって、ルートをはずれていないか気になる。富良野岳は登山道がじつにしっかりと整備されており、随所に目印が付けられ、誤って立ち入りそうなところにロープが張ってある。ずいぶん助けられた。

標準タイムをすぎてもなかなか上ホロ分岐があらわれない。心細くなってきたころ、ひとの声がした。上ホロ分岐に配置された自衛隊員であった。ごくろうさまですと挨拶する。かれらも返礼するのだが、なんとなく訝しむような目つきである。以前に呉のミュージアムでも、同じような視線を感じたことがある。強固で自己完結型の組織にいればいるほど、その外部者にたいして、そのような視線をもつようになってしまうのか。

上ホロ分岐を1235に通過。ちょうど7時間かかって、ぐるりとひとまわりして、またここへ戻ってきたことになる。ここまでくれば、ゴールは近い。雨のなかひたすら歩き、1325。登山口に到着した。入山から7時間35分経過していた。

登山口のお手洗いの前の水場で登山靴やストックの汚れを簡単に落とし、すぐ脇にある凌雲閣の温泉で汗を流して着替える。旭川へ出て、iPhoneで検索して見つけたコインランドリーで洗濯。そのあと、広大に拡がる田園のなかを隣町当麻へ向けてランクルを走らせた。友人夫妻がひらいている森のなかのピザ屋さん「ココペリ」を8年ぶりに訪れるのだ。


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