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南極料理人

皆既月食

皆既月食を見たいと子どもたちが言いだし、いつもより遅くまで起きていることになった。

食が始まるまで、DVDで『田吾作ロイド一番鎗』(1927)を観て待った。

ときどきデッキに出て空を見上げる。寒いが、おかげでよく晴れて、月も星もきれいに見えた。

月は天上やや東寄りのところにあった。食は月の左下から始まり、みるみる欠けてゆく。皆既月食となるころには、月は、斑点をともなった赤黒い球体となった。醤油漬けのいくらみたいだった。

NEX-5Nで写真を撮った。望遠レンズも三脚もないので、まともな写真にはならなかったが、まあ、それでもいい。

月食がすすむと、まわりの星がいっそうよくわかるようになった。月の右下にオリオン座があり、三つ星だけでなく小三つ星も見えた。近くにシリウスがあった。月の右上には、おうし座のすばる(プレアデス)も見えた。カシオペア座は北の空の下のほうにあった。

子どもたちも空を見上げながら、おしゃべりしていた。《くんくん》がいった。

「みなさん、皆既月食の時間です。大事な、大事な皆既月食だから、ほんとに大事な皆既月食だから、みんなで空を見上げましょう」

言い終えると、ウケケと笑った。《みの》も《なな》も笑った。

元ネタは、かれらが大好きな映画のひとつ『南極料理人』である。

あんまり寒いので、その連想だったのだろうか。なんにせよ、夜中にちょっと近所迷惑ではあった。


第二次南極料理人

さる私立高校の学校見学会という催しに行ってきた。受験生の《みの》の付き添いである。

ぼくの高校受験経験といえば三十年ちかく前の名古屋のそれだけだ。だから現在の首都圏の高校受験事情などまったくわからない。学校説明会や見学会など、当時の名古屋ではありえないことだったので、まるで想像外のことだったのだが、だれもが「大事です」と口をそろえてアドバイスしてくださる。それも親が付き添うべきなのだという。

郷に入っては郷に従えというわけで、夏休みに入って《みの》は公立高校の学校説明会には二つばかり出かけていった。いずれも《あ》が付き添ったので、ぼくが行くのは今回が初めて。お盆だというのにたくさんの参加者がある。しかも受験生よりも保護者のほうが人数が多い。生徒ひとりにつき夫婦で来ているなんてところも多かったから、当然だろう。

話を聞いていておもしろかったのは、制服についてである。その高校は、制服はいちおう定められているが、着用義務があるのは入学式や始業式など「式」と名のつく行事があるときと、記念写真を撮るときだけ。あとは自由だという。その姿勢は妥当だとおもう。

ぼくや《あ》の通った高校も、それにちょっと似ていた。そこは、徹底した管理教育で知られた当時の愛知県にあって唯一、「黙認」という形で、私服での通学が可能だった(いまどうなのかは知らない)。なんでもそれは、学生運動の時代に、制服という形で生徒を管理することについての「闘争」があり、その結果として勝ちとられたことらしい。そのように、当時の先生方や先輩たちから教わった。しかも高校一年のころまではこの学校には上履きというものがなく、校舎内にみんな土足であがっていた。迷い込んできた犬を教室の隅で勝手に飼ったりもしていた。

だから、今日少なくとも首都圏では一般化している、制服を「かわいい」という尺度で査定するような見方は、ぼくにとってはかなり不思議な感覚である。それは、ある意味では制服という形による管理を内側からズラしてなし崩しにしているともいえるし、けっきょくのところ管理されること自体に抗うのを端から諦めているともいえる。いずれにせよ、制服やら髪型やらにかんしてやたら細かい規定を設けてそこに生徒を当てはめようとするのに熱心な学校は、それだけで、ああ、もう結構です、といいたくなる。

もっとも当の《みの》自身にとっては、それはどうでもいいことらしい。かれの関心はもっぱら、バドミントン部があるかどうか、あったとしたら男子がいるかどうか、どのくらい強いかということにのみ向けられている。この日も校舎内見学ツアーの折り、体育館でバドミントン部が練習しているのに出くわした。そのようすを《みの》は熱心に検分し、「うーん、空振り」とつぶやいたりしていた。

見学会は予想より早く終わったので、帰りに新宿に出て二人で『南極料理人』を観た。三日前に観たときも混んでいたが、今日は完全に満席。お客さんはよく笑っていた。終わりにさしかかるショットを迎えたとき、もう少しこのまま観ていたいという気持ちの湧きでてくるのを抑えられなかった。


映画『南極料理人』

舞台は南極、それも昭和基地から1000kmも遠く離れたドームふじ基地。ペンギンはおろかウィルスさえいない。ここに住むのは、観測のため越冬している隊員たちだけだ。しかしこの作品が描くのは、かれらの本務である科学的な観測活動ではなく、タロジロ救出劇のような英雄譚でもない。それ以外のすべての時間を占める、日常生活のほうだ。

朝起きる。トイレにゆく。歯みがきする。髭剃りをする。その順番を待つ。そして朝食。そうした、ほとんどどうでもいいような些事のディテールをえんえんと積みあげてゆく。ディテールが、どこまで事実でどこからが映画的に誇張してあるのかは観客からは判別しにくいが、場所が特異であるだけで、行為自体に大きなちがいはない。人間どこに住もうとも、けっしてこれらの些事から手を切ることはできないのだ。

そして本作品が成功しているのは、全篇これ、こうした些事だけで構成することを貫いているためである。

日常を淡々と描く、なにも起きないお話は、年に何本か撮られる。なにも起きないことを標榜しながら、妙に力んだ箇所が鼻についたりして、たいていは狙いどおりにはいかない。文字どおり「なにも起きない」のであれば、観客は2時間もスクリーンをながめていられまい。そのことは作り手もよくわかっているから、どこかしらからドラマが侵入してきてしまうのだ。なにも起きないことを志向しているだけに、侵入してきた小さなドラマはすぐに増幅されて暴れ出してしまう。

なにも起きない作品を成立させるのは、むずかしいのだ。定型どおりでかまわないから起伏に富んだドラマをつくるほうが、ある意味ではよほどやりやすいだろう。たとえば、物語性とは無縁であるかのようにいわれる私小説というジャンルでも、本当に「なにも起きない」小説はほとんどない。例外は庄野潤三くらいではないか(拙著『アトラクションの日常』第7章参照)。

日常の些事そのものが主人公である本作品において、その構成原理は「家族」である。堺雅人が日本に残してきた家族と、そこから遠く離れた基地内での隊員たちの生活のあり方が、ひとつの「家族」というイメージによって統率されてゆく。惜しむらくはその「家族」のイメージが、いまとなっては一時代前の、といわざるをえない類型であったことだろう。


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