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夏至

ひぐらし

いつのまにか日の暮れが早くなった。夏至のころは午後7時をすぎてもなお明るかった。ところが昨夕、窓外の暗さに気づいて時計をみると、午後7時5分だった。

子どものころから、お盆の時期は夏休みも佳境というイメージがあった。日が暮れるまで遊んでいるのだが、なかなか日が暮れず、いつまでも外で遊んでいられた。そんな記憶がある。

だが、落ち着いて考えてみると、夏至からすでにひと月半がたっているのだ。日が短くなってあたりまえだ。だとすると、ぼくのなかにある夏休みのイメージは、どこで得られたのか。子どものころは日の長さや時刻のことなど、さほど気にせずに暮らしていたのだろうか。あるいは、ぼくの記憶が相当に変形させられたものなのだろうか。

この時期、ヒグラシの鳴き声を耳にする。図鑑などには「カナカナカナ」と鳴くと書いてあるが、ぼくの耳には「ヒョヒョヒョヒョヒョォ」と聞こえる。この鳴き声が、子どものころから苦手だった。もの悲しいというより、怖いのだ。なんだか亡霊でもでてきそうな気がする。あれがセミの仲間だとは、どうしても信じられない。

先日も夕方ちかくに近所の森の横をとおった。「ヒョヒョヒョヒョヒョォ」と聞こえてきた。やっぱり怖かった。


地震から夏至まで(2)──遅れる

授業を始めて数分後、二人の男子学生が遅れて教室に入ってきた。アボット=コステロのような凸凹コンビである。

遅刻したらひとつ芸をしてもらうと申しわたしてあった。かれらにそのことを思い出してもらうと、うーんといってしばらく黙り込んだあと、「じゃあ、お題をください」という。即座に「夏至」と答える。ちょうどその話をしていたのだ。学生はにわかには理解しかねたみたいだったが、夏至の意味を説明してやると了解した。さらにあと二つお題を与えることにした。席についている学生から「風邪」と「ウーロン茶」の二つがあがった。三題噺で寸劇をしてもらうことにした。

「それじゃあ、夏至の日に風邪をひいた患者の役を」とコステロがいう。「このひとがやります」。指さされたアボットは、え、おれが? という顔をする。つづけてコステロがいう。「ぼくは、お医者さんの役」。

二人は寸劇を始めた。医者のコステロのところにアボットの患者がやってくる。夏至の日に腹をだして寝ていて風邪を引いた。薬をだすことにしたコステロは、アボットに念を押す。この薬は塩水で飲まないと効かないのだ。翌日、再びアボットがコステロのところにやってくる。発疹が出て、たいへんなことになっている。まちがってウーロン茶で薬を飲んでしまったのだ。コステロは薬を出し直す。こんどはちゃんと塩水で飲むんですよと、もう一度念を押す。

それだけの話で、オチもなんにもないのだが、これが案外おもしろかった。予想外の事態がおきたとき、どんなふうに対応できるかは、学校の成績だけでは単純に計れない。アボット=コステロの二人、なかなかよかったぞ。でも、調子にのって、つぎからわざと遅刻してきたりしないように。


地震から夏至まで(1)──揺れる

そのとき、ぼくは校庭の端のコンクリート壁に腰かけていた。グラウンドでは運動会の開会式が始まっており、ちらばった生徒たちの体操をするようすをぼんやりながめていた。

突然、じぶんの身体が揺さぶられているような感覚に気がついた。長い周期で、大きく、ゆっくりと、左右に揺さぶられる。ちょうど、ワインの香りをたのしむのにゆっくりとグラスをまわす、そんな感じだ。揺れに抗おうとしても、なんともならない。

揺さぶられている一方で、その感覚がどこかじぶんの勘違いではないかという気持ちも湧き起こる。まわりにいる運動会の見学者のひとたちは、みな何事もなかったかのようにふるまっている。あれれれ……とおもっているうちに、揺れはなくなった。

ちょうどその時間に、のちに岩手・宮城内陸地震と名づけられる大地震が発生したことを知ったのは、夕方になってからだった。市川あたりでも震度3を記録したという。ついひと月ちょっと前に、一家して中尊寺の見学に出かけ、毛越寺までの山道を歩いたばかりだった。

被災された方々に、お見舞いを申しあげます。


夏至

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まもなく夏至だ。今年(2007年)は6月22日(金)だそうだ。

子どものころ、夏至とは「一年のうちもっとも昼間の長い日」だと教わった。東京のばあい、日の出から日の入りまでの時間が14時間35分にもなる。冬至のそれは9時間45分というから、じつに5時間近くも長いわけだ。たしかに、午後8時になってもまだ空に明るみが残っている。この時期、いつまでも外遊びをしていて、帰宅が遅くなっては怒られる、ということが、ままあった。

しかし実際には、「一年のうちもっとも昼間の長い日」を実感することは、あまりなかった。たいていは梅雨で、雨降りばかりだったことも関係していたかもしれない。それに、小学生や中学生にとっては、まだ一学期のただ中だ。夏休みまで、あと一カ月も学校に通わなければならない。思う存分外遊びに興じるような余裕はなかった。

だから、当時のぼくにとって「夏至」とは、言葉としては知っていても、身体を介して実感されるような経験ではなかった。それは、この時期に大人たちが口にする「季節のクリーシェ」だった。たとえば、テレビの天気予報の前口上としてであったり、新聞コラムの枕としてつかわれたりするものであり、「文学」やら「教養」やらといった世界に所属する言葉だった。つまり、近しい言葉ではまったくなかった。

にもかかわらず、ぼくがこの言葉に興味を覚えたのは、語感が印象深かったからだ。「ゲシ」という音は、落ち着いて静かな印象をともなって、ぼくの耳に響く。激しい陽射しにカンカンと照りつけられて、光と影のくっきりとしたコントラストだけの世界となって、微妙な陰影とともに、音という音がすべて飛んでしまったかのような。それは、内省的とさえいえるような響きをもたらすのだった。

意味上では似たようなカテゴリーに入るはずの言葉に、「夏」がある。こちらは開放的な印象をともなっており、一歩間違うと、ハメをはずして騒ぎまくるという、にぎやかで騒々しいイメージにまで転がってゆく。だからこそ、同じ季節にかかわる言葉でありながら、まるで対照的なしっとりとした静けさを印象させる「ゲシ」という語は、不思議な存在感をもつように感じられたのだった。

夏至を体感してみようとおもったのは、天文学的な知識を得てからだ。夏至の日に北回帰線上に立ち正午を迎えれば、そのとき太陽は、ちょうど真上に来る。視覚的にも感覚的にも、そして天文学的にも。

以前、ちょうどこの時期に、台湾を訪れる機会があった。台湾は日本からもっとも行きやすい北回帰線下の地である。南北にやや長い台湾島のちょうど腰のあたりをすっぱりと横切るように北回帰線が走っている。正午。熱射の空を見上げた。太陽は、たしかに真上にあった。その瞬間、ぼくは地球上で、もっとも太陽に近いところにいる人間だ。天頂から放射される猛烈な光にじりじりと焼かれつつ、ぼくはそこに立っていた。


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