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大学図書館
大学図書館とデジタル化
- Jul 11, 2010 10:00
- メディア論的に考える | 書物と出版
大学図書館問題研究会のオープンカレッジという催しに講師として参加してきた。大学図書館のライブラリアンや関係者の勉強会のようなものらしい。今回与えられたテーマは、学術情報の電子化と大学図書館、というようなことだった。
講師といってもレクチャーするわけではない。ワークショップ形式の座まわしみたいなことをし、あとで他の2名の講師とともにパネルディスカッションでしゃべる。こういう形式で実施するのは初めてのことなのだそうだ。
お二人の講師は旧知の間柄だったようだが、ぼくとは初対面だった。先方はぼくのことなど知らなかっただろう。講師どうしによるパネルの発言では、教えられるところもあり、また、ぼくから見れば俗流メディア論としかいいようのない話も含め、異なる点もいろいろあった。しかしそれは立場や考え方が違えば当然ありうることであり、少なくとも両者に議論する用意がありさえすればいいだけのことだ。
いずれにせよお二人に共通していたのは、デジタル化する現在の状況を、少なくともそれぞれの立場において本人なりに引き受ける覚悟をはっきり持っていたことである。
いっぽう図書館関係の参加者たちのほうは、どうか。全般にいえば、ちょっと歯がゆく感じられたといわざるをえない。
もちろん大学図書館の現場では現場なりにそれぞれ悩みがあり、考えがあるのだろうということはわかる。それに真摯に向きあおうとしてもいるだろう。だから休日にもかかわらず、こうして勉強会に参加しているのだろう。
けれども、ではデジタル化をじぶんの問題として引き受けてゆくような覚悟がどれほどあるのか、となると、残念ながらそれはあまりはっきりとは感得できなかった。ともすれば、誰かに「答え」を教えてもらえるのではないかという姿勢がかいま見えるような気がしなくもなかった。そして、そういうことは今回にかぎらず、あちこちでよく見かける光景でもある。
だとすれば、二人の講師の、現実をじぶんの立場において引き受けるという態度こそが、今回の催しから学ぶべきことだというべきだといわねばなるまい。図書館員のみなさんには、これからの図書館をつくってゆくのはじぶんたちなのだという気持ちをもって、ぜひしっかりがんばってほしいとおもう。
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大学出版会と大学図書館
すっごく長い名前のシンポジウムに参加してきた。「大学出版会と大学図書館の連携による「新しい学術情報流通の可能性を探る」」。久しぶりに慶應の三田キャンパスに足を踏み入れた。
あいにく別用のため前半しか出られなかったので、後半どんな展開になったかは知らない。前半にかんしていえば、具体的な取組みの事例が聞けたのがよかった。いくつか興味深い点もあった。機会があれば、もう少し詳しく教えていただけるとうれしい。
この手の催しは、90年代の米国ではたくさん開かれていた(それでけっきょく何が得られたかはともかく)。聞けば、日本では初めてのことだという。
手前味噌になるが、ぼくが『出版と知のメディア論』(みすず書房)を出版したのが2003年だから、ようやく現場レベルでこうした試みが行われるようになってきたのだなとおもう。なんにせよ、よいことである。
大学出版会と大学図書館は、同じ大学という制度に根差しているにもかかわらず、利害の対立する面や、成り立ちに根本的な違いがあって、これまで必ずしも相互のつながりが強かったわけではなかった。というか、ほぼ没交渉だった。だから、まずはおたがいの言うことをよく聴くことが大切だろう。陰ながら励ましのメッセージを送らせていただきます。
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大学図書館
- Nov 14, 2007 12:52
- メディア論的に考える | 執筆以外の活動など | 書物と出版
学長選挙の翌日は京都へ日帰り。大学図書館にかんする勉強会によばれ、話をするためである。
集まってくださったのは、京都近辺の大学図書館ではたらくライブラリアンたち。「ポスト人文書時代において、人文系の学術出版はいかに可能か──「出版」再定義への試み」と題して、ここ数年試行錯誤しつつ考えてきたことをお話させてもらった。
*
ぼくの話は、おおむね以下のとおり。
人文書空間が崩壊し、人文書の変容が迫られている現実は、同時に人文的な知の様態そのものの変容を意味している。だから、ポスト人文書時代において新たな文脈で人文書の再構築をめざすことは、ポスト・グーテンベルク銀河系──いまのところそれはGoogle=YouTube的なものとしてイメージされているわけだが──における人文的な知のあり方を構想することに直接つながっている。ところが、この手の話は従来もっぱら産業論か、そうでなければ技術論かのどちらかの言説に極端に偏っていた。こうした論点はたしかに一定の重要性はあるが、しばしば現実の出版産業や情報流通技術を前提してその内側だけで語る、窮屈で展望の見出しにくい議論に陥りがちであった。したがって、もっと広く多様な幅をもったなかから出版を捉えなしてみることが必要だろう。別言すれば、さまざまな出版 publishingがありうるという視座を獲得するということだ。そのような形で出版の再定義を試みるとしたら、そこにいたるための道筋のひとつは、身体や実践の水準に見出せるはずだ。それが、ワークショップという手法を重視する理由でもある。未来がどうなるかは、予測するというよりも、みずからがビジョンを見出して、そこに漸進していこうとすることではあるまいか。
順を追って話していたらついつい長くなり、うっかり120分もしゃべってしまった。最初は90分といわれていたのだけれど。ごめんなさい。
*
この集まりでは「知の変容と大学図書館」というようなテーマで連続の勉強会をひらいてきたという。ぼくはその五回目で最終回だった。印象的だったのは、参加者の多くがまだ若手といってよい年代であったことだ。若い大学図書館員たちは、出版のみならず知や大学制度の変容──大学はみずからじぶんの首を絞めているようなところがある──のなかで、ただでさえ制約の多い大学図書館にどんな未来を見出せばいいのか、模索しているらしい。
──というようなこの集まりの性格を知ったのは当日会場に着いてからのことだった。だから、切実で鋭い問題意識をもつ図書館員たちがぼくの拙い話を熱心に聞いてくださったのは、予想外のよろこびだった。と同時に、ぼく自身が大いに刺激をうけ、教えられることが多かった。
発表の最後に、大学図書館への期待として、こんなことを述べた。ライブラリアンの仕事のなかに広い意味でいう編集的な仕事があり、大学図書館の役割のなかには、広い意味でいう出版的な要素もあるはずだ(むろんその前提には、編集も出版も、それ自身のなかに多様性をかかえていると理解すべきだという考え方がある)。そんなふうに発想を少し変えてみると、大学図書館は、大学が内部と外部双方の他者にたいしてみずからを開いていくための契機になりうるかもしれない。すると参加者のひとりから、こんな提案がなされた。人文書の読み方を教授できるようなワークショップができないか。なるほど、それはアリかも。
「未来を予言する最良の方法は、それを発明することである」とは、アラン・ケイの至言である。それは、なにもテクノロジーに限った話ではない。
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