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庄野潤三

追悼、庄野潤三

作家の庄野潤三が9月に亡くなった。ささやかな追悼のつもりで、今月発売された『けい子ちゃんのゆかた』新潮文庫版の書評を書いた。

ここにあげるつもりで書きはじめたのだが、せっかくなので紀伊國屋の書評空間のほうにアップした。そちらにあげるほうがより相応しいだろうと考えたからなのだが、ここしばらく──あらためて確認してみたところ丸2年──まったく寄稿していなかったことに、いまさらながら気づいたためでもある。

ぼくの読み方は一般的な庄野ファンのそれからはだいぶ距離があるだろう。ただ、こんな読み方もあるのだなとおもってもらえれば、それでよい。読書とは、もとよりそういうものである。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hasegawa/archives/2009/10/post_10.html


映画『南極料理人』

舞台は南極、それも昭和基地から1000kmも遠く離れたドームふじ基地。ペンギンはおろかウィルスさえいない。ここに住むのは、観測のため越冬している隊員たちだけだ。しかしこの作品が描くのは、かれらの本務である科学的な観測活動ではなく、タロジロ救出劇のような英雄譚でもない。それ以外のすべての時間を占める、日常生活のほうだ。

朝起きる。トイレにゆく。歯みがきする。髭剃りをする。その順番を待つ。そして朝食。そうした、ほとんどどうでもいいような些事のディテールをえんえんと積みあげてゆく。ディテールが、どこまで事実でどこからが映画的に誇張してあるのかは観客からは判別しにくいが、場所が特異であるだけで、行為自体に大きなちがいはない。人間どこに住もうとも、けっしてこれらの些事から手を切ることはできないのだ。

そして本作品が成功しているのは、全篇これ、こうした些事だけで構成することを貫いているためである。

日常を淡々と描く、なにも起きないお話は、年に何本か撮られる。なにも起きないことを標榜しながら、妙に力んだ箇所が鼻についたりして、たいていは狙いどおりにはいかない。文字どおり「なにも起きない」のであれば、観客は2時間もスクリーンをながめていられまい。そのことは作り手もよくわかっているから、どこかしらからドラマが侵入してきてしまうのだ。なにも起きないことを志向しているだけに、侵入してきた小さなドラマはすぐに増幅されて暴れ出してしまう。

なにも起きない作品を成立させるのは、むずかしいのだ。定型どおりでかまわないから起伏に富んだドラマをつくるほうが、ある意味ではよほどやりやすいだろう。たとえば、物語性とは無縁であるかのようにいわれる私小説というジャンルでも、本当に「なにも起きない」小説はほとんどない。例外は庄野潤三くらいではないか(拙著『アトラクションの日常』第7章参照)。

日常の些事そのものが主人公である本作品において、その構成原理は「家族」である。堺雅人が日本に残してきた家族と、そこから遠く離れた基地内での隊員たちの生活のあり方が、ひとつの「家族」というイメージによって統率されてゆく。惜しむらくはその「家族」のイメージが、いまとなっては一時代前の、といわざるをえない類型であったことだろう。


桜色の「Scripta」など

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藤井仁子さんから編著『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)を送っていただいた。まだ読みはじめたばかりなのだが、ガッツリ系の書名にふさわしい、しっかりした教科書である。教科書といっても執筆者はみな若く、じっさい内容も、できあがった体系の拡張ないし読み直しであって、なかなか野心的である。ご恵贈ありがとうございました。

それから、じぶんの連載(「機械と身体の縫合域」)の掲載誌の紹介でなんだが、『Scripta』7号が刊行されている。紀伊國屋書店各店舗の店頭で無料で手にいられるはず。

今回の小論は「日常と反復──庄野潤三、あるいは山の上の老夫婦の「モダン・タイムス」」。庄野潤三のいわゆる「晩年シリーズ」を導きの糸として、日常生活と行為の反復について考察した。「庄野潤三ファン掲示板」という読者サイトでも紹介してくださっている(ぼくもときどき読み、小論執筆時にも参考にさせていただいた。手入れの行き届いた公園のような掲示板である。こちら)。

庄野作品はずいぶん読んできたが、むろん小論は文学研究や文芸批評を目的としたものではない。かれのテクストから考えされられるのは、むしろ生活するとはどういうことかという点であり、日常生活をメディア論の焦点として捉えなおすというぼくの関心の根幹にかかわっている。

といっていたら、前回の連載を読んだといって若い建築家と都市社会学者が来訪(五十嵐太郎さんのご示唆もあったようだ)。スーパーマーケットやタワーマンションは、日常生活に深く浸透していながら、建築学では正面から論じられることがほとんどない。かれらは、そうした類の建築や空間について考えていきたいという。なかなか目のつけどころがよい。建築家が介在すれば、スーパーマーケットの空間の質をもっとあげられるのではないでしょうか。うーん、スーパーマーケットというしかけは、そもそも建築家のような「主体」を排除したところに成立してるわけですからね。──夏前刊行の建築学会誌『建築雑誌』にインタビューが掲載される予定。

話はさらに逸れてゆく。十数年前、初めて『建築雑誌』という書名を知ったときは絶句した。すばらしすぎる。端的にいう、問答無用といった趣である。のちに伝統的な学会誌のひとつのネーミング・パターンなのだとわかった。『印刷雑誌』はいまも刊行されているし、かつては『土木雑誌』もあった。知的世界の分節の仕方と権威のありどころが、良くも悪くもハッキリしていた時代の産物であろう。いま新たにこれを真似することのできる分野があるとしたら、どこだろう?


フレキャン

「フレキャン」に行ってきた。「フレキャン」とはフレッシャーズキャンプ、つまり新歓合宿の略である。

本務校ではどの学科も、このフレキャンをこの時期におこなう習わしらしい。芸術学科のばあい、一年生と専任教員全員でバスに分乗して、一泊二日かけていくつかのミュージアムをめぐる。今年は鎌倉から箱根へかけてくり出した。フレキャンの目的は相互に親睦を深めることにあるという。実際、こういう機会でもないと、入学したての一年生にとって、じぶんのほうから直接教員に話しかけるようなことはしにくいのかもしれない。今回も何人もの一年生と話ができ、有意義だった。

この大人数の旅行を実質的に仕切るのは、ふだんから学科共同研究室の面倒を見てくださっている教学補佐のひとたちだ。これをSC(なんの略だかよく知らない)とよばれる上級生10名がサポートする。ぼくたち教員の多くは、引率者というより、やはり連れていってもらっているというほうが近いともいえる。だとしたら、一年生と似たようなものだ。

このフレキャン、ぼくにとっては一年のうちただ一度、観光バスというものに乗車する機会でもある。じぶんで一切企画や旅行のマネジメントにかかわっていないので、ただ組まれた旅程にしたがって、バスの座席に坐り、目的地についたら見学して、またバスに乗る、というくり返しだ。

車中ではなんにもしない。たいていはボーッと車窓をながめている。見学が終わってバスが発車するまでの待ち時間には、本を読む。専門書よりも、ノンフィクションとかエッセイがいい。昨年は、たまたま直前に古本で見つけた角田房子『アマゾンの歌』を読んだ。今年は、ちょうど前日に届いたばかりの庄野潤三『ワシントンのうた』をたずさえていった。「──の歌」という本がつづくのは、ただの偶然。それでも無意識のうちに、ちょっと渋めの線で本を選んでいるようだ。なぜだろう?


映画『幸福のスイッチ』

映画『幸福のスイッチ』(安田真奈監督)を観た。「幸福」は「しあわせ」と読むらしい。たまたま空いた時間に上映スケジュールが合うという理由で、さしたる事前情報ももたずにテアトル新宿に入ったのだが、これが案外、拾いものだった。

主人公の上野樹里は駆けだしのイラストレーター。だが、生来の一本気な性格と世間知らずゆえ、せっかく就職したデザイン会社で与えられる役割に素直に打ち込めず、上司と衝突して辞表を出したばかりだ。そこへ故郷紀伊和歌山の田辺の妹(中村静香)から手紙が舞い込む。長姉(本上まなみ)が入院した、一カ月だけ家業の電器店を手伝ってほしいという。彼女たちの母はすでに亡い。だが田辺に帰ってみると、入院していたのは父親(沢田研二)だった。儲けは二の次、顧客サービスに尽くすのが身上の沢田は、テレビアンテナの修理中に誤って屋根から転落し、足を骨折したのだ。そもそも上野は、この頑固一徹、家業ばかりで家族をかえりみない父親に反発し、高校卒業後に上京したのだった。家業である小さな電器店は通称「イナデン」。上野は仕方なく、父が入院しているあいだイナデンの留守をあずかることになる。……

跳ねっ返り娘の上野が、頑固で不器用な父親が同時にその誠実な仕事ぶりで地域のひとびとに愛されていることを知り、成長していく。その過程がストーリーの軸だ。起伏に富んだ展開があるわけではない。物語は、それを支える価値観と同様に穏当であり、保守的とさえいえるかもしれない。沢田のような大俳優やほとんどアテではないかとおもわれる役柄の上野も含め、目を見張るような「名演技」がくり広げられるわけではない。心が震えるような美しいショットがあるわけでもない。

だが、突出した特徴が見あたらないことは、この作品にとってはちっとも欠点ではない。わかりやすいハッキリした特徴をもたせないという方法は、現代の日常を生きるひとりの人間、一個の家族にとってのあるひとつの出来事を描くという、この作品の理念に適うものである。
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