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水島久光
死にざま一覧
しばらく前、梅雨のおしまいのころのことだ。大学院時代以来の友人のお父さまが亡くなった。80歳を越え、大往生だった。雨の日曜の夕方に、ランクルを走らせてお通夜にうかがった。大勢の参列者の末席につらなっていると、お坊さんがあらわれ、説教を始めた。
お坊さんは言う。「ひとはいずれ必ず死にます。死にはいくつかの種類がある」。一枚の厚紙をとりだし、あたかもワイドショーの人気司会者のような身ぶりで、それを参列者のほうへ向けた。そこには手書きで、ひとの死にざまがみごとに分類・一覧されていた。
「まず病死ですね。本日の仏さまはこれにあたるでしょう。つぎに事故死」といった調子で、話を続ける。「自死、みずから命を絶ってしまう、これはいけません。そして戦死。これはいまの日本ではあまりないかもしれませんな」
あとからよく思い直してみると、この死にざま一覧表はあくまで話の枕にすぎなかった。本題のほうは、お通夜という儀式はむしろ参列しているわたしたちが残された時間をどう生きるかということを考えなおすためにあるのだ、という、じつにまっとう、かつ実のある説教だったのだ。それに、死にざま一覧表がテレビ番組みたいなフリップで示されるというのも、その友人がテレビの研究をしていることを考えあわせると、まことに興味深い現象だったといわねばなるまい。しかしそのときは、ただただ呆気にとられているだけで、そのうちお経が始まってしまった。
お焼香のあと、座敷に坐っていた。まわりは故人と一緒に踊りを習っていたという妙齢の女性たち。元気である。友人が挨拶にやってきた。これまでいろいろ大変だったろうに、そんなことは一切表に出さず、ただ笑って「来てくれてありがとう」をくりかえしていた。
しばらくして、ぼくたちは席を辞し、再び雨のなかランクルで帰途についた。
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友だちの本
- Dec 20, 2008 12:35
- お知らせ・紹介 | メディア論的に考える
本2冊紹介。どちらも大学院時代からの友人が贈ってくれたもの。献本していただいたのはしばらく前なのだが、ぼくが慌ただしくしていて、御礼を申しあげるのさえすっかり遅くなってしまった。ごめんなさい。

ひとつは水島久光さんと西兼志さんの『窓あるいは鏡──ネオTV的日常生活批判』(慶應義塾大学出版会)。おまけとして、巻末にエーコの「失われた透明性」が付いてます。

もうひとつは、関口久雄くんの『メディアのブリコラージュ──つくる・遊ぶ・考える』(冬弓舎)。
どちらもここ数年それぞれがとりくんできた成果をまとめたもの。前者はテレビ研究にあらたな地平を切り拓こうという野心に満ちているし、後者は学生たちと一緒に地道に積みあげてきたメディア実践の活動にもとづいている。いわゆる伝統的な「学術書」の堅苦しいイメージからはほど遠く、しゃれてポップなつくりなのが、とてもいい。
こんなふうに、友人たちが着実に成果をしっかりした形にしているのを見ると、うれしくなるし、はげまされる。かれらが努力しているように、じぶんのするべき仕事をきちんと実現しなければならないのだ。ありがとう。ぼくも、がんばるよ!
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