『Scripta』第 3 号

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『Scripta』第 3 号を送っていただいた。毎号表紙の色が違う。今回はごらんのとおり渋い赤。

拙稿コテコテメディア論「機械と身体の縫合域」も連載 3 回目だ。今回は、日常生活のなかでさまざまに経験する「流されること」についての考察である。具体的には、流れるプールとターミナル駅をとりあげてみたが、同様の例は枚挙にいとまがない。流れ周遊するという運動は、近代社会の住人が好むと好まざるとにかかわらず身につけなければならない振る舞いの基本型のひとつであるようだ。

同誌連載の内堀弘さん「予感の本棚──戦前の紀伊國屋書店」からは毎回多くを教えられる。今号紹介されているのは、1930年代の紀伊國屋書店に設けられていた喫茶室のことだ。

人文書空間が成立していた時期、書店はたんに本を販売する店ではなく、それ以上の何かだった。「何か」の中身はいろいろあろうが、そのひとつに「サロン」があった。サロンとは、そこでひとびとが出会ったり語らったりして長時間を過ごし、うち解けることのできる場所のことである。現在の書店からはサロン機能はほぼ失われているが、それでも大型書店や独自性を打ちだす小書店にはしばしば喫茶スペースが併設されている。これは、そうした時代の名残なのだといえる。

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