映画『ハッピーフライト』

矢口史靖は、フジテレビと組んでメジャーな大衆ヒット作を撮るというスタンスゆえか、いわゆる映画通のみなさんからの評価は辛め。だが、ぼくは好きな監督だ。商業主義にのりながら映画的な冒険も時折まじえ、バランスを崩さない。その一貫したしたたかさは、大したものだといわねばなるまい。

その矢口監督の新作『ハッピーフライト』を観た。今回もまたフジテレビ製作。聞くところによれば、けっこうな製作費が投じられているらしい。けれども、大作にありがちな大仰さや粗雑さは感じさせない。細部に神経が行き届き、相当の取材の厚みのうえに成り立っていることがうかがえる。

いつものごとく、物語も描写も、いたって淡泊。観ているあいだはそれなりに愉しめるが、終映後に映画館を出れば、作品の印象までふわあと霧散してしまうほど淡々である。過剰と過保護をもって旨とする一般のテレビ局映画の裏返しなのかもしれないが、どっちも同根という気がしないでもない。よくも悪くも、いかにも矢口作品らしい。淡泊に拘泥する姿勢だけは、まったく淡泊でないところも。

物語の構造はいたってオーソドックスだ。本作品の成長譚の定型を踏まえている。前二作が未成年の成長譚だったのにたいし、本作品では職業人を対象としている点が異なっているだけ。

いずれの登場人物も職業人として、つまり個々の職能の体現者として登場する。もちろんそれぞれが迷いや悩みや誇りをかかえているのだが、それも職業人としてのあり方に結びついたものだ。航空業界は、こうしたもろもろの職能が複合してひとつの事業──すなわちシステムを形成している。ところが、複雑なシステムがえてしてそうであるように、個々の部分ではそれぞれ明確な職務内容と職業意識とで運用されているにもかかわらず、当事者間では相互に連絡と理解を欠き、分断されている。つまり、誰ひとりとして全体像を把握できていない。

本作品が興味深いのは、そうした航空業界の構図をトレースしながら、これを映画の構造に結びつけることで解消しようとしていることである。つまり、観客だけが全体像を把握できている、という映画的布置を構築することに挑戦しているのだ。

目を惹くのは前半の手際のよさだ。物語の縦軸となるのは一本の旅客便の飛行である。横軸は、そこにかかわるさまざまな職能であり、そこで働く職業人たちの動きである。冒頭からそれぞれの現場のようすをつぎつぎと映してまわる。ひとつひとつの描き込みはけっして詳細ではないが、短いながらその仕事の特徴やかれらの秘める矜恃が鮮やかに切りとられる。のみならず、それがそのまま、物語の布置を淡々と打ってゆくことにつながっている。

後半はよりドラマティックに盛りあげる方向にシフトしてゆく。その展開を追うほうに忙しくなり、人物はかすんでゆく。岸部一徳(昨今のあらゆる邦画に出没している)など、前半と後半の切り替わりが見せ場のはずだが、いまひとつ際だたない。前半いきいきとした動きを見せていた田畑智子らグランドスタッフが、後半に入って所在なげにしている。

かててくわえて、前半で張られた伏線が後半に連絡するにあたり、物語を膨らますというよりは萎ませる方向に張られていることが徐々に判明してくる。個人的にはこれが致命傷だとおもう。

こまかいことをいくつか。レンチ紛失のタイミングが、物語の論理上ちょっとよくわからない。バードパトロールのベンガルの乗る車の車種が、ショットによって異なっている。シナトラの歌が聞けるのはうれしいが、まあオマケである。

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