繁茂する反映論

年末から年始にかけて、ほとんど表に出ることもなく、引きこもっていた。外界との接触は、新聞とネットくらい。だから珍しくよく新聞を読んだ。

そこには、いまの社会を読み解く的な季節ものの記事が溢れていた。その中身たるや、反映論のオンパレードだ。それによれば、映画もドラマもコマーシャルも小説も、流行語も洋服も、とにかく世に流行るものは何もかも、みんな世界金融危機と格差社会という浮き世の問題を反映しているらしい。

「反映論」とは、メディア表象は社会の様相を反映したものだという前提に立つタイプのお話のことだ。半世紀も前の批評ならまだしも、今日まがりなりにも映画について語るのに、これはないだろう。

もし仮に、ある作品が格差社会や金融危機の不安を反映しているというのなら、それは根拠づけられねばならず、それには表象物の仔細な分析が不可欠である。けれども新聞でそんな記事にお目にかかったことは、寡聞にしてない。たいていは、主題やら設定やら粗筋のなかから目につきやすい箇所を適当につまみぐいして、じぶんの主張にまぶしているだけだ。

どの時代の表象物も、その時代による拘束をうける。それは当然のことだ。けれども、それと反映論とを混同してはならない。にもかかわらず、この手の反映論は引きもきらず、週刊誌とか新聞とかテレビとか、いってみればオッサン的なマスメディアをにぎわわせている。。

これって、けっきょく、オッサン流の世界観の無意識の裏返しではないか。政治と経済とが世界の中心で、表象はそれらを映しだす鏡という世界観である。もちろん世界はそんなふうにはできていない。いいかげん、なんとかしてもらいたい。

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