スターウォーズ フォースの覚醒

『スターウォーズ フォースの覚醒』を観てきた。

米国の批評もおおむね好評、世界中でお客さんもずいぶん入っているらしい。それもまあうなづけなくもないという出来ばえである。

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旧新両三部作のあとの新しい『スターウォーズ』。しかもルーカス・フィルムがディズニー傘下に入って最初の『スターウォーズ』である。期待やプレッシャーは半端ではなく、なにをどうやっても文句を言われること必定というような、なかなかに困難なミッションだったとおもう。

かててくわえて、いまやそれはたんなる一フィルムという牧歌的状況にはない。おもちゃやTシャツからディズニーランドのアトラクションにいたるまで、あらゆるビジネスが一蓮托生となった一大マーチャンダイジングの要、いいかえるなら今後当分これでがっつり儲けさせてもらう気満々の巨大投資なのであって、失敗は許されない。そのようなもろもろの期待やプレッシャーに、なかなかの塩梅で応えている。

この手のマンネリ化した定番シリーズものを再活性するときのむずかしさのひとつは、観客たちがすでにあらゆる知識を豊富にもっているばかりか、各人が確固としつつもそれぞれに異なるイメージを強固にもっていることにある。「お約束」をよく見きわめ踏襲することで観客の期待に適度に応えなければならないし、同時にどこかでそれを裏切って新しさを持ちこまなければならない。そのさじ加減は、なんとも微妙なものだ。やりすぎてもいけないし、足りなくてもいけない。

この困難なミッションに、J・J・エイブラムス監督は適任だったかもしれない。新『スタートレック』でも実績があるわけだが、じっさい才能のあるオタク監督という印象である。

押さえるべきところは押さえ、派手にぶちあげるところは思いきりぶちあげる。だが演出も画面構成も、その手法はけっこう手堅い。VFXもそうだが、とくに戦闘の場面——たとえば容赦のない掃討戦や、近接航空支援と連携した急襲制圧作戦のようすの描写ぶりなど、じつに手馴れたものであり、ジョージ・ルーカス作品にはけっして見られなかったある種の怖さを感じさせる。

一方で、個々の人物の描き方も過不足なく、旧三部作でおなじみのキャラクターたちの登場の仕方もよく工夫されている。ちなみにデイジー・リドリー演じる新ヒロイン・レイの人物造形は、どことなくナウシカを連想させなくもない。

これらを支えているのはよく練られた脚本である。与条件が多すぎて制約の厳しいなかで、過去の作品群の蓄積をうまく引き出しつつ、新しい物語を構築している(いくつかよくわからないところも見られたが)。その全体は、旧三部作とりわけ1977年の最初の作品(いまでいうエピソードIV)の再解釈(というか回帰というべきか)という意思に裏打ちされている(設定としては続編になるわけだが)。

で、エンドロールを観ていたら得心がいった。脚本にローレンス・カスダンの名前を見つけたからだ。カスダンは旧三部作のうち『帝国の逆襲』と『ジェダイの復讐(帰還)』の脚本家である。余談だが、ぼくは個人的に、カスダンがのちに監督として撮った『再会の時』だとか『偶然の旅行者』とかの、いまいち理解できない変な味わいが嫌いでなかった。

さて今作品に話を戻せば、もろもろの「大人の事情」を考えるならばまずまずよくできた作品であるとおもう一方で、活劇にかんして決定的な新しさが見あたらなかったのが残念であった。それもまた「お約束」の踏襲なのだといえば聞こえはいいかもしれないが、すでにルーカス自身が自己の再生産をくりかえすほか術を見出しえなかったことをおもうと、もう少し新しいアイディアがあってもよかったのではないか。

そしてもうひとつ観終わっておもうのは、活劇への回帰という方向性には、いずれにせよかつてのような爽快さは望むべくもないのだなということである。この作品の出来云々というよりも、むしろそれは21世紀的社会のあり方に対応していると見るべきなのかもしれないのだが。

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