アトラクションの源流を歩く――プラーター公園の観覧車とミュージアム 3/3

プラーター公園にいった話その2のつづき。

人間の形をしたモノ、というのも重要なモチーフである。

これは人体模型。かなり精巧な出来だ。なまめかしくさえある。

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背後からわざわざ内臓を見せたりもする。これも建前や名目はどうあれ、娯楽として受容されたという点が重要だ。現代のロボットやアンドロイドを考えるうえでも欠かせない視点だとおもう。

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こちらはオートマトン(自動人形)。

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ロボットが動いてみせるというのは、ディズニーランドのオーディオアニマトロニクスやハウステンボスの「ロボットの王国」など、現代の遊園地的空間にもよく見られるパターンだ。それはすでに19世紀からあった。日本にも江戸時代にすでにからくり人形があった。機械が人の形をしているという形象もさることながら、それが動くということが愉しみの対象となっている。そこがポイントだとおもう。

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毛むくじゃらの人間、巨人や小人、双子、手足のないひとなどの展示があったことを示す資料。

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今日の倫理観からすれば許容されえない展示内容だが、当時はこういったいわゆる「奇形」も見世物(アトラクション)の対象であった。なにしろ植民地の先住民族を博覧会場につれてきて「展示」したような時代である。

プラーター公園は1873年にひらかれたウィーン万国博覧会の会場であった。この万博は、日本(明治政府)が初めて出展した万博でもある。和暦でいえば明治6年だ。

日本館にかんする展示はなかったが、万博当時の地図に日本館の位置が記されていた。この写真でいうと、真ん中の下のほうだったらしい。会場全体の配置からすると、かなり端っこである。

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なお19世紀中頃に始まった万博は、近代のテクノロジーの見本市という側面をあわせもっていた。たとえば国立国会図書館のサイトにそのあたりの概要をまとめたコーナーがある。http://www.ndl.go.jp/exposition/index.html

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重そうなので迷ったのだけど、図録も買ってしまった。22ユーロ。

クレジットカードはつかえないというので50ユーロ札を出したら、店番のおじさんは困ったような顔をして引き出しをひっかきまわし、おつりをみつくろってくれた。それから「ちょっと待て」というしぐさを見せ、手書きでインヴォイスを書いてくれた。

この項おしまい

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