母の伊勢湾台風被災経験

台風19号はすさまじい風雨と甚大な被害を残して通り過ぎていった。被災された方がたに心よりお見舞い申しあげます。

台風19号の通過した翌日の江戸川。この日はよく晴れ澄みわたり、富士山も見えた

今回の台風は、狩野川台風や伊勢湾台風など、やはり甚大な被害をもたらした過去の台風との類似が指摘されている。それで思い出したのが、母から幾度となく聞かされてきた話だ。伊勢湾台風の経験談である。

母は1959年の伊勢湾台風で被災した。彼女の家が洪水に呑み込まれたのだ。短時間のうちにどんどんと水が押し寄せてきた。家族は二階へ逃げた。しかし、そこにも水が迫ってきた。

夜だった。助けは来ない。水かさは増すばかりだ。

そこへ材木が流れてきた。名古屋港の貯木場からあふれ出た材木だった。流れてきた材木が建物にぶつかった。母の弟(つまりぼくの叔父)がその材木を何本かつかまえ、縄で結わえて、急造の筏をこしらえた。それにかれらの母(つまりぼくの祖母)と祖母(同じく曾祖母)を載せた。かれら姉弟たちもそこに乗ったのか、それとも筏を引っぱっていったのか、そのあたりは判然としない。ともかくその筏のおかげで、なんとか逃げ延びることができた、——という話である。

この話を、ぼくは子どものころから幾度となく母から聞かされてきた。これらの話のどこまでが事実なのかはわからないが、彼女に強烈な印象を残した経験であったことは確かだろう。母はこのとき、友人を何人もなくしたという。また、義理の両親たちはそのころ大学生で、被災地の救援活動へ参加したのだそうだ。

台風19号が通過した翌日の江戸川のようす。増水により河川敷が消えていた

台風19号の通り過ぎた翌日、江戸川へいってみた。江戸川土手はさいわい持ちこたえてくれたが、水量はとてつもなく多かった。河川敷は姿を消していた。

土手はなぜかいつにも増して人出があった。川のようすを見に来たのかもしれない。ジョギングの最中に立ち止まり、スマートフォンで川の写真を撮ってゆくひともいた。

さらにその翌日の江戸川のようす。上の写真と同じ場所。水かさはだいぶ減った。写真最下部、流れてきた木片やゴミが一列に並んだところが、今回の最高水位線とおもわれる

さらにその翌日にも土手へいってみた。水量はだいぶ減っていたが、それでも水は茶色く濁り、流れも速いままだった。

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