緩むと危険

前回まで4回にわたり、花見宴会のようすや、休園中のディズニーにスーツケースを引いてやってくるひとの姿などを見てきた。これらは具体的には3月21日(土)と22日(日)、それに24日(火)に、ぼくが見かけた光景だ。それらの印象をひと言でいえば「弛緩」である。

「弛緩」とは、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)拡大防止をうたった自粛ムードにたいする緩み、もっといえば、自粛解禁ムードといってよいようなものが拡散しつつある、ということだ。それは、たんにぼく個人の印象というだけではないらしい。下の日経の記事によると、実際に3月半ばには都心の人出が増えていたという(閲覧には登録が必要)。

都心の人出、3月半ばから増加 消費の「自粛疲れ」か 渋谷、19ポイント改善の23%減 - 日本経済新聞
新型コロナウイルスによる消費の「自粛ムード」が緩み始めた。日本経済新聞が飲食店の予約状況や商業施設の来店客データなどを分析したところ、個人消費の落ち込みのピークは2月末から3月初旬。それ以降は下げ止まっているか、回復傾向にあることがわかった。ただ、ここ数日の感染者の急増を受け東京都が週末の外出自粛要請を出すなど感染リス...

この時期「自粛疲れ」「コロナ鬱」などといった言葉がネットで目につくようになった。日本は大丈夫じゃなかろうかといった楽観的ムードに彩られた言説も散見された。根拠らしい根拠は、もちろん、ない。

コロナ疲れとよべるような社会的気分はたしかにあったかもしれないし、そこには自粛を強いられたひとびとの鬱屈した気持ちの反動という側面があったかもしれない。だが、そこに油を注いで自粛解禁ムードに点火(転嫁)することになった一因は、情報の出し方や政策の打ち出し方にもあったとおもう。意図的ではないにせよ、結果的に不適切なメッセージを送ってしまったのだ。

たとえば、当初政府が山だといっていた「1-2週間」の期限がすぎた3月9日に発表された、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議による見解である。見解それ自体はともかく、それを報道する記事は、ステートメント中にある「一定程度、持ちこたえている」という部分を枕詞のようにつかい、結果としてその言葉のニュアンスをかなり加重して伝えてしまった。報道する側にも無意識的に、「持ちこたえている」という部分に強く反応してしまいたくなるような素地があったのだろう。

専門家会議は19日にもステートメントをだしているが、そのなかでも「引き続き、持ちこたえている」という文言が見られ、それを伝える報道や言説でやはり枕詞のようにつかわれた。

翌20日には、政府は、それまで春休みまでとしていた小中高校の一斉臨時休校の要請を延長しないことを決め、4月から開校する流れが決定的になった。24日になって文科相が実施に向けたガイドラインを公表したが、その内容はまたも現場に丸投げ。マスク着用を徹底せよとか(どこにも売っていないのに)、感染者が増えたら自主判断で休校にしろとか(それでは手遅れだろうに)、現実離れしたものだった。

なぜ政府がこんな曖昧で無責任な決定をくだしたのかはわからない。もしかすると、東京オリンピックを(中止ではなく)延期でまとめるための世論の下地づくりとして、自粛ムードを緩和したかったのかもしれない。

いずれにせよ、このように、意図せざる形でひとびとをミスリードしかねないような報道と、政府がTwitter上の反応でも見てびびったとしかおもえないような場当たり的な判断とが、自粛解禁というムードの転換に決定的な役割をはたしたのではないかとおもう。

ところで、専門家会議のステートメントは、実際には何をどう語っていたのか。同ステートメントは下のリンク先にあるようにPDFで公表されており、ネットにアクセスできるひとなら誰でも読むことができる。

新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等(第1回~第20回アドバイザリーボード)
新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの資料等を掲載しています。

9日および19日のステートメントを読むかぎり、依然として危険な綱渡り状態にあるという厳しい状況認識がはっきり示されている。ピークアウトが近いという判断や、自粛解禁を促すような記載も見あたらない。

文面としても、なるべく難解な言葉を避け、平易な言葉をつかうような気づかいも見られる。一般のひとびとによくよく理解してもらいたいという意図が込められているのは明白だ。

しかし、このステートメントにも問題はある。それは言葉づかいのレベルではなく、物の言い方である。要点がつかみにくいのだ。なぜ要点が不明瞭かというと、前置きや説明が長いうえに、あれこれ留保をつけているためである。

いかにも専門家の言らしい。というのは、専門家はさまざまな可能性や要素を考慮するので、どうしても慎重になり、結果として断定的な言い方を避ける傾向にあるからだ。しかし、一般のひとびとから見れば、そのような物の言い方は、端的に要点がつかみにくい。つまり、どうすればいいのかがよくわからない(似たようなことは、3.11のときにもさんざん指摘された)。困難な状況の将来にかかわるが一読しただけではすぐに飲み込みにくい文章に接したとき、ひとは自己の願望に過度に引きつけて、すなわち、じぶんの期待する線に沿って解釈してしまいがちである。

さて、前にも書いたとおり、ぼくは過剰な自粛や、他人への過度な自粛の強要には賛成しない。

幻の卒業式と誕生日
昨日3月18日は、本来であれば本務校の卒業式のはずだった。しかし、ご多分に漏れずCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の拡大予防対策の一環ということで、中止された。卒業式の中止は3.11直後のとき以来である。それでも9年前は...

しかしながら、先の三連休以降に見られた弛緩した雰囲気は、欧米の深刻な状況からすれば、あまりに対照的であった。根拠のない楽観論に支配された弛緩が必敗の道へ直結することは、この国の歴史が証明している。

この緩んだ空気こそが、ヤバい。ここからの数週間は、むしろ、これまでよりずっと慎重になるべきではないか。それが杞憂であれば、もちろんそれに越したことはないのだけど。

——と、ここまで下書きとして書いたのが24日だった。

すると25日、東京都で確認された新たな感染者数が41名と急増した(24日は17名、23日は16名、22日は2名)。夜には都知事の会見があり、外出自粛要請がでた。都知事の政治的パフォーマンスという側面もあるだろうが、感染者が激増しはじめたこと自体は事実だろう。具体的な数字は都のウェブサイトで確認できる。

https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

26日には東京都の新規の感染者数が47人となり、累計259人に達した。報道によれば、千葉を含む近隣諸県にたいして、都は都内への流入自粛を要請したという。

ぼくは26日に予定されていたスケジュールがキャンセルとなった。仕方あるまい。都知事の外出自粛要請会見後には、一部にパニック買いがあったとも報じられた。だが、26日にぼくの立ち寄ったスーパーでは、みんな落ち着いており、そんなようすは微塵も見られなかった。

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