ホーム > ミュージカルを観る > ユーミンソング・ミュージカル ガールフレンズ

ユーミンソング・ミュージカル ガールフレンズ

雨の木曜日、銀座の博品館で『ユーミンソング・ミュージカル ガールフレンズ』を観た。

タイトルどおり松任谷由実の楽曲だけ、のべ40曲ばかりをフィーチャーしたミュージカル。この手のジュークボックス・ミュージカルは、最近えらい勢いで増殖している。さすが流行に聡いホイチョイの馬場康夫(作・演出)とおもったら、10年がかりのプロジェクトなのだそうだ。10年前にはまだ「ジュークボックス・ミュージカル」という言葉はなかったか、あっても巷間には広まっていなかったはずである。松任谷の楽曲への馬場の思い入れは相当なものであるのだろう。

話は逸れる。馬場と松任谷の取り合わせといえば、誰だって映画『私をスキーに連れてって』(1987年、馬場の監督デビュー作)をおもいだす。この映画、その後のいわゆるトレンディ・ドラマという一群のドラマの先駆けのひとつになったとされているわけだが、そのあたりの知識や気分はいまの学生たちの世代にはまったく共有されていない。学生たちにしてみれば、じぶんたちが赤ちゃんのときの作品なのだから、あたり前といえばあたり前である。ぼくはこの後期、ある授業のなかで、久しぶりにこの映画を学生たちと観なおした。学生たちの反応は、「バブルのころはよかったわね」という感じで、予想以上に冷淡なものだった。たしかに、画面に描かれる風俗もそこに漂う気分も完全に過去のものである。と同時にこの作品は、なかなかたくましく現代へつながってもいる。そこが興味深い(だからこそ教材に選んだのだが)。年明けには馬場の監督した新作映画(むろん題材はバブルだ)も公開されるという。かれの名をこうして再びあちこちで見かけるようになったということは、バブル的気分がまた首をもたげつつあるということなのだろうか。

さて『ガールフレンズ』だ。

学生時代からの友人である女性二人のそれぞれの恋愛とその交錯が描かれる。情景をつないでいくため物語性はゆるいが、レヴューではなく、物語をもつブック・ミュージカルだ。その物語を構成する方法が、ある意味ではこの作品のすべてを決定づけている。アバの曲をフィーチャーした『マンマ・ミーア』が、物語の各シーンに合致しそうな既存曲を適宜配置していくのにたいして、ここではそれとちょうど逆の方法が採用されている。すなわち、台詞は皆無、松任谷の既存曲の歌詞だけで、しかもオリジナルの歌詞に変更をくわえずに構築していくのだ。その作業は容易ではなかったはずだが、信じがたいことに、この挑戦は成功している。さすが筋金入りのユーミン・フリーク馬場康夫。歌詞の世界をそのまま物語として具現したという意味では、ふつうのジュークボックス・ミュージカルともちょっと異質なところがあるようにおもわれる。

けれどもその帰結として、ここで語られる物語は、それでなくとも具体的な松任谷の歌詞の世界をただただなぞるばかりで、そこから一歩も出ることがない。脚本にも演出にも、そこにもうひとつ別のアイディアを介在させて展開させようとはまったく考えなかったようだ。それが観る者にたいして、この作品がなにか全面的に松任谷の前にひざまずいているかのような印象を与える大きな要因になっている。

舞台上に配置されている5人編成のバンド(全員女性)によって松任谷の楽曲がつぎつぎと演奏される(全体にかなり渋めの選曲である)。セットの一部が巨大なルーズリーフの切れ端様になっており、歌にあわせて歌詞が投影される。歌詞とともに、そこに描かれる世界が一切の想像力を排してそのまま物語として演じられるさまは、まるでカラオケのバックに流れる映像を眺めるようである。

脚本も演出も松任谷のほうばかりに顔が向いているなかで、肝心の、舞台に立っている役者たちが置き去りにされている感は否めない。彼女たちがよくやっているだけに、残念である。

主役(後述)と準主役(池田有希子、すばらしい)の二人が曲ごとに交互に舞台にあらわれては、うたう。うたうだけなのだ。芝居もなければ踊りもない。むろん、うたいながらの仕草や、たまにちょっと動いてみせることはある。だがいずれにせよ、ほんの申しわけていどにすぎない。二人がからむシーンも、わずかばかりのものだ。ほかに4名の女性が舞台に登場し、宝塚みたいに、時に男役も演じる。彼女たちがコーラスするだけでもだいぶ違うとおもうのだが、状況の説明役として動くだけで、マイクすら与えられていない。コーラス音声は録音でまかなうのだ。

舞台のミュージカルでここまで身体性の希薄な作品は、ちょっと思い当たらない。「ミュージカル」を観に来たのだか「コンサート」を観に来たのだか「プロのカラオケ大会」の会場に紛れ込んでしまったのだか、なんだかわからなくなってくる。その意味では、スリリングな経験であるといえなくもない。

主役はダブルキャストで、今回観たのは堀内敬子である。すばらしい。内気でかわいらしい女の子役をとても適切に演じていたし、歌はいうまでもなくうまい。松任谷ふうでありながらオリジナルな色彩がよく出ていた。にもかかわらず、あれだけ力量のある堀内が小さく見えた。博品館だから舞台が近いのに、だ。彼女のもてる力の幾割も出せていなかったのだろうと推測するのだが、それを役者の責任にするのは酷な気がする。いくら優秀なミュージカル女優だとしても、あれでは限定的にならざるをえない。ぼくには堀内を応援したい気持ちがあるので、余計にそうおもう。

で、これがダブルキャストのもう一方、華原朋美──こちらはミュージカル女優というより歌手である──になるとどうなるか。来週また博品館へ行く。

なお入りは6割。もう少し入ってもよいとおもった。終演後、出口の前に立って退出する観客を見送る関係者の列のなかに、馬場らしき人物の姿が認められた。