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散歩の思考 : SwingBooks.jp

映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』のススメ

前回まで『FAKE』をとりあげたのにつづき、これもドキュメンタリー。でも様子はだいぶちがう。

シンプルでストレートで明るい。良し悪しはともかく、マイケル・ムーアのこの明るさは他ではなかなか真似できないだろう。

なお内容には触れない。公式はじめ各種サイトをごらんください。
http://sekai-shinryaku.jp

近年やや手詰まり感があったようにも見えるムーア監督。だが今回は、問題解決への糸口を見出そうとするにあたり、他者から学び自己を再発見するという方途を見出したところに、ずいぶん成長の跡が見られる(なんて書くと教師っぽくてじぶんで嫌になるけど)。個人的には、あの『ボウリング・フォー・コロンバイン』とはまた違う意味で、おもしろかった。

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映画『FAKE』のラストショットについて 3/3

映画『FAKE』のラストショットについての話の第3回(最終回)です。

話の都合上ラストの部分に触れていますので、この先を読むかどうかは各自ご判断ください。

本文は「つづきを読む」をクリックすることで表示されるようタグを打ってありますが、スマートフォンなど小画面だと効かず、最初から全文が表示されてしまうケースもあるようです。

なお、よろしければ第1回第2回と順に読んでいただけるとさいわいです。

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映画『FAKE』のラストショットについて 2/3

映画『FAKE』のラストショットについての話の続き。前回はこちら

なお話の都合上ラストの部分に触れていますので、この先を読むかどうかは各自ご判断ください。

本文は「つづきを読む」をクリックすることで表示されるようタグを打ってありますが、スマートフォンなど小画面だと効かず、最初から全文が表示されてしまうケースもあるようです。

     *

映画としては、このラストショットはパーフェクトだ。これ以外の締め方は、ちょっとないだろう。監督の完勝である。

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映画『FAKE』のラストショットについて 1/3

後味の悪い映画である。映画『FAKE』(森達也監督)。人が悪いといってもよい。否定的にいっているのではない。迷っているなら観たらよいということだから。

ラスト12分間は衝撃だ、口外無用というようなことがいわれているらしい。むろん、そういうプロモーションである。それはそれでありだとして、ぼくは試写ではなくユーロスペースで観たから、そこに縛られる義理もない。ここではそのラストにかんして書こうとおもう。

というのも、ぼくの感じた後味の悪さは、ラストショットに集約されるからだ。電車の走行音やらドアの開閉の音やらケーキやらよく肥えた猫やら佐村河内氏の口太鼓やらその妻のすごく長い髪など、途中のいろんなディテールもおもしろいのだけど、それらについては省く。

なお、本作の背景ないし前提となっている佐村河内氏をめぐる一連の現象については、ぼくはひと通りのことしか知らないし、関心もあんまりない。本作にかんするぼくの主要な関心はこの映画そのものとその監督にある。そういう興味の持ち方は少数派かもしれないということを、あわせてお断りしておきます。

そんなわけで、ぼくとしてはまず作品をごらんになることを強く推奨します。この先を読むかどうかは各自でご判断ください。あとから「ネタバレじゃないか」と怒られても困ります。

べつに大したことが書かれているわけじゃないが、少々長いので三分割します。

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卒業生より二人展開催のお知らせ

昨日につづき卒業生からのお知らせ第二弾。こちらはメディア系列一期生の二人(有地慈・シバミノル)による展示の告知です。

有地さん執筆の案内文を貼付します。そういえば、このころは授業で鶴見俊輔さんの『限界芸術論』を読んでいたのでした。

会場は元和菓子屋さんをリノベーションした場所だとのこと。なんか渋そうですね。

どうぞよしなに。

====

『ヒロインに告ぐ-「限界芸術」をリブートする-』@あをば荘
会期:7月1日(金)~17日(日) 
会期中の金土日オープン
14:00~21:00(金曜日は18:00~21:00)
会場:あをば荘
http://awobasoh.com/?p=1084

160617itsuki-shiba

「限界芸術をリブートする」をコンセプトに、7月に同期のシバミノルさんと二人展をします。
平面作品中心のインスタレーションになるかと思います。
簡単に言うと絵とか細々した生活っぽいもので空間を作ります。

—-
「限界芸術」は鶴見俊輔の「限界芸術論」からとっています。

「限界芸術」とは、王道の「芸術」と「生活」の境界に位置されます。
しかし、その「限界芸術」は、「生活の中で作る人間」ではなく、「外側から発見する人間」ありきの芸術論です。

私たちは、時に作る側となり、時に見る側となりながら生活をします。
その日々の積み重なる経験から「美」の契機を発見し、作品を生み出します。

「生活」に沿う形で制作している私(たち)が、どうすれば主体的でいられるだろうかと考えました。
見つけられたから「芸術」になるのではなく、自らこれは「芸術」だと確信できる瞬間とはどこか、
それを探っていくという試みです。

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