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散歩の思考 : SwingBooks.jp

口頭試問の雪の朝

卒論・修論の口頭試問の季節である。その日の朝、首都圏はこの冬初めての積雪となった。

都心で4cmだったらしいが、うちのデッキの手すりを見ると、もう少し積もったのではないかという気もする。まあ、ここは都心じゃなくて市川なんだけど。

庭仕事用のスコップを手にして雪かきをした。クルマのタイヤが踏むあたりだけ、積もった雪がいったん融けて凍結していた。スコップで叩いても容易に割れないほどだった。

そこへ、一時間ほど前に学校へ行ったはずの《みの》がひょっこり戻ってきた。ずっとバスを待っていたが来ない、なんでも始発のバスがいまだ終点に着くことができないような状態らしい。もう今日は休むという。

大学へ行こうと表の道にでたら、大渋滞。ピクリとも動く気配さえない。さっき雪かきしている最中に横を通りすぎていった車が、まだいくらも進めずに並んでいた。

もとよりバスに乗る気もなく、そのまま歩いて駅へ向かった。

川沿いのマンションの駐車場で一台のポルシェが動きだした。ところが、駐車場の前の、ふだんなら傾斜していると気づくことさえないほどのわずかな斜面を登ることができない。後輪を空転させるばかりで、ずりずりと下がっていく。前進と後進をくりかえしているうちに、なんとか発進することができた。

それにしてもあのポルシェ、発進したはいいものの、あのあとどうしただろうと気になった。表通りに出れば大渋滞、傾斜の途中で停車を余儀なくされることもあったのではなかろうか。幹線の路上なら、かえって問題なかったのかもしれれないのだけど。

いつもと同じくらいの所用時間で駅に到着。駅前はバスを待つひとたちでごった返していた。電車はほぼ定刻で運行していた。


安藤忠雄先生

建築家の安藤忠雄先生にばったりお会いした。まったくの偶然である。何年ぶりだったろうか。

さるホテルのラウンジにいた。ふと顔をあげたら、いきなり安藤先生の顔が目に飛び込んできた。たまたま向かいのテーブルで打合せ中だったのだ。お邪魔して挨拶をさせていただいた。

お元気そうだった。いつもの調子で「あの本、いまでもよう売れてるで」と言ってくださった。

安藤先生とは編集者時代からのご縁である。『連戦連敗』『建築を語る』の二冊は、先生の代表的な著作だ。それらを編集者としてつくらせていただいたのだ。

先生が東大に着任されると決まったとき、これはもう講義録を出すしかないと直感した。すぐにお願いにあがることにした。ところが一面識すらない。そこで鈴木博之先生にお願いして、紹介していただいた。

そのときの反応は、けれどもあまり芳しくなかった。数週間後、一通の葉書が届いた。安藤先生からだった。「先日の話、やれそうな気がしてきました」とだけ記してあった。そうして企画が動きはじめた。

編集作業は愉しかったが、ものすごく大変でもあった。ぼくにも至らぬ点が多々ありずいぶん叱られもしたが、同時に非常に気にかけてくださった。ようするに、ひと言ではいえないほどお世話になった。

二冊とも刊行から10年以上たつ。いまでも着実に版を重ねているのだという。その累積部数たるや、専門書ということを考えあわせれば、ちょっと信じられないくらいの数字であるらしい。

そんな御本の企画と編集をさせてもらえた経験は、いろいろな意味で、かけがえのない財産となっている。


ダブハチ契約

とうとうカワサキW800を契約してしまった。じつに21年ぶりのオートバイ。大丈夫なのだろうか。納車は再来週の予定。


経験の量

高校サッカーの決勝戦を観た。といってもテレビ観戦だ。

子どもたちは千葉生まれ千葉育ちの千葉っ子だし、《みの》など同年代なので、とうぜん市立船橋高校を烈しく応援する。最後に延長戦後半に市船が勝ち越しを決めたときは、《みの》と《なな》はひじょうによろこんだ。市船、優勝おめでとう。

ぼくもサッカーの試合を観るのは好きだ。ところが、これが難しい。潮目というか流れというか構図というか、そういうものがまったく読めないのだ。

サッカーの試合とはもともと流動的な性質のものなので、そこに由来する部分も大きいのかもしれない。しかし世の中にはそれでも試合の流れをきちんと読めるひとも少なくない。

したがって、これは基本的にはぼく自身の問題である。何よりもサッカーの試合を観たり実際にやってみたりした経験の絶対量がまるっきり足りないせいだとおもう。

ぼくにとって、それはちょうど映画や書物に接するときと正反対の状態だといえる。映画や書物なら、押さえるべきポイントが見えないというレベルで困ることはないし、それなりに潮目も読める。いいかえれば、構図として抽象化した形で捉えることが(それなりには)できる。少なくとも、皆目見当がつかないというレベルでまごつくことは、まずない。(商売柄それは当然のことなのかもしれないのだが。)

では、映画や書物についてならそれが可能なのは、なぜなのか。知識の蓄えが多いから、ではない。まがりなりにも一般に比べ、それなりの量を観、それなりの量を読んできたからである(それでもまだまったく不足しているのだが)。いちおう編集渡世の経験もある。

ものごとを把握したり理解したりするさいの基盤をなす重要な要素として、経験の量というものは大きな鍵を握っている。

もちろん「経験のないやつは口を出すな」という類の言明のように、経験というものに価値を置きすぎるのは危険であるのだとしても。

サッカー中継を観ながら、あらためて、そんなことを考えた。


風力発電機

島牧の庭に、風力発電機が据えつけられていた。北海道には巨大な風力発電機をよく見かけるし、このあたりでも月越や寿都に何本もたっている。海からも山からも風のよく吹くところだから、適地なのかもしれない。

島牧のそれはネット・オークションで手に入れた台湾製の家庭用。3.11以後、けっこう出品されているのだそうだ。これで最大600wの発電能力があり、バッテリに蓄電しておけば、一部屋ぶんの電気がだいたいまかなえるという。

気になるのは騒音である。じつはぼくも数年前に家庭用風力発電機について調べてみたことがある。ロフトのデッキあたりに据えつけられないかと考えたのだ。

風だのみゆえに発電量は安定せず、発電しても微々たるものというのは、まあ想定内。それで元をとろうという発想は、もともとなかったことだしね。それよりも、プロペラの回転音が思いのほか大きく、住宅地には不向きだという指摘が少なくなかった。

島牧にいるあいだ、注意して発電機を観察してみた。それなりに風が吹き、それなりに回転しているときには、やや低いファンファンファンという音は発生する。気になる、というほどでもなさそうだったが、そこは環境や個人差もあるだろう。感心したのは、わずかな風でもちゃんと回転することだった。

帰ってからぼくもネットで調べてみた。オークションで見かけるものの大半は並行輸入品。正規輸入品とはびっくりするくらい価格差がある。どっちが適価かはわからない。


島牧でつららを見る

北海道の島牧に行ってきた。島牧で年越しするのは十数年ぶりだ。

往路は吹雪いたものの、大晦日の午後には風は収まり、気温もあがってきた。

俊輔くんに案内してもらい、北国潤につららを見に行った。

そこには廃道になった古い素掘りのトンネルがある。入口のところへ来ると、上から大きなつららが垂れ下がっていた。一週間でこのくらいに成長するのだという。思った以上に頑丈で、子どもたちがつぎつぎに雪玉を投げつけても、びくともしなかった。

トンネルを抜けて江ノ島側に出る。崖地一面に無数のつららが林立していた。

少し暖かだったせいか、つららの何本かが途中で崩落しており、古代ギリシア遺跡の廃墟みたいな光景だった。折れたつららは一抱え以上もある太さで、青白く光っていた。

その上を乗り越えて、子どもたちは崖の直下まで登っていった。鎗くらいのサイズのつららを見つけて折り、振りまわして遊んでいた。


謹賀新年

本年がみなさまにとって健やかで充実した一年でありますよう。


年賀状の言葉

年賀状に書き添える挨拶文において「おめでとう」という意味の言葉を忌諱しようという話があるらしい。3.11に関連し、被災したり傷ついたり悲しんだりしたようなひとたちへ「配慮」しようというのが理由だそうだ。

なるほど、そういう考え方もあるだろうとおもう。実際に被災した方々のなかには、「おめでとう」という言葉を口にしたり目にしたりするような気持ちになどとてもなれないというケースもあるだろう。そういうひとびとへの配慮は大切なことであるだろう。

そうした配慮が配慮として成立するのは、では、どんな場合だろうか。基本的には個別に、つまり具体的な相手が想定されているケースではないかとおもう。あるいは、鎮魂・慰霊・怒りなどの理由により賀状発信者の側に「あけましておめでとう」や「謹賀新年」といった類の言葉を忌諱する強い意志があるようなケース。それもまた、ひとつの立場であるといえるだろう。

しかし、ひと口に「配慮」といっても、事情の異なるケースもある。「例年と同じ文言ではマズイ」とばかりに「おめでとう」忌諱現象を盲信するようなばあいは、どうだろうか。

そこにある「配慮」とは、他者にたいするものというより、むしろ自己の立場の防衛に向けられたものであるというべきだろう。どこからも叩かれないように無難な方向に先手を打つことばかりに汲々とし、結果的に自縛を重ねていくような、そんな風潮の一環にあるような気がしないでもない。

どんな言葉も、文脈のなかで初めて意味をもち、機能する。じっさい新年の挨拶でいう「おめでとう」は、新しい年がやってきたことに感謝し、期待をもって迎え入れるという意味であるだろう。再生という意味あいが込められていると考えることさえもできる。それを旧年の厄災にたいする評価につなげて受けとってしまうことがあるとすれば、その解釈の仕方は相当にアクロバティックだといわねばなるまい。

というわけで、わが家では例年どおりに年賀状を作成し、例年どおりに(遅れ気味で)発送します。もし万が一ご気分を害される向きがありましたら、あらかじめお詫び申しあげておきます。


デジスト2011

毎度おなじみデジタル・ストーリーテリングは、学生たちのあいだでは「デジスト」と略称されているらしい。年内最後の授業で、その発表があった。

例年に比べやや進行が遅れ気味だったのだが、学生たちは最後に猛スパートをかけて追いあげ、期日にはしっかり仕上げてきた。全体として、しっかり自己と向きあい、作品という形で表現してくれていた。この経験を土台として3年生以降の成長につなげてくれれば、うれしい。

発表までの数週間は、授業後に居残りして学生の話を聞くということがつづく。

製作の過程では2度、学生はぼくから承諾を得なければならない。第一は、どんな作品にするか、どんな題材やテーマで誰に何を言いたいのかといった概要のチェックである。いわゆる「企画」というやつだ。第二は絵コンテ。全カット分の絵コンテを切り、それをぼくに見せながら全体の流れの確認をとる。

第一段階の企画チェックで見るのは、ほとんど「それがあなたにとって切実なこと、誰かと共有したいことなのか」ということだけである。

おもしろいことに学生は、学校社会の習い性なのか、ステレオタイプの結論だけを先にたてて、こうすればいいんですか? と教師が隠し持っている(とかれらが思い込んでいる)「正解」を探るような話をしてくることが少なくない。ところが、何度か話を聞くうちに、そうした態度が変わってくる。だんだんとじぶんに向きあいはじめ、その子にしか話せないような強度をもった話をするようになってくるのだ。人間というのは不思議な生き物だと、毎回のことながら、おもう。

「話を聞く」と書いたのは修辞ではない。ほんとうに聞くだけなのだ。学生の話を聞いて、いいなと思えばそう言うし、ピンとこなければ率直にそう伝える。それを繰りかえしているだけである。

第二段階の絵コンテは、いちおうチェックと称しているものの、実際に見るのは、なるべく具体的に、という一点だけである。

学生はしばしば「困った」「悩んだ」「うれしかった」などといった観念をそのまま写真に置き換えようとする。たとえば「うれしかった」ことをあらわすためにきれいな花の写真を当てはめるというに。しかし、それではとうぜん、たんに言葉を画に置き換えただけの記号的な写真になるだけだ。観念は、少なくともそのままではカメラに写すことはできない。

ぼくの役割は、そう思ったり感じたりしたのは具体的にはどんな状況だった? と訊くことである。すると学生はそのときのようすを詳しく話してくれる。じゃあ、そうした具体的な出来事やエピソードを盛り込んでみては? と言うと、ああそうか、なるほど、とかれらは答える。ひとりひとり話が違うから、言い方はその時々で異なるけれど、ようするにぼくがするアドバイスといえば、その一点に尽きる。

この二回の関門を通過すれば、あとは学生が自力で製作を進める。もちろん、その過程でも話に修正がくわわることもある。つくっている最中にも、つねに自問したり、何かに気づいたりするのだから。今回は、そこでずいぶん思考の深化した跡のみられる作品がいくつもあった。例年にも増して家族との関係についての作品が多かった点も印象深かった。

来年の初夏ごろまでには、ウェブで公開したい。


雪降る

12月25日のクリスマス、市川に雪が降った。

午後3時くらいだっただろうか。ペンキ塗りをしていて気がつくと、空が黒雲で覆われていた。ほどなく雨粒が落ちてきた。と思う間もなく、雪になった。

雪といっても、むしろ霰というのに近いかもしれなかった。いくつかの結晶が途中で少し溶けてくっついたような格好をしていた。それがバタバタと舞い降りてくるのだった。

とても積もるというようすではなかった。じっさい、20分ほどで雪は雨に戻り、さらに20分ほどしたら、あがってしまった。

黒雲は西の空の下のあたりでくっきりと切れており、沈みかかった夕陽が空をオレンジ色に染めているのが見えた。


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  • 口頭試問に向けて Jan 23, 2012
      ついに東京でも初雪が観測されましたね。わたしは東京同様にあまり積雪のない土地で育ったので、雪が降っているときは街の音が静かになって幻想的に感じられるのが好きです。第35回週報は〈きーにゃん〉がお送りします。 先日からお伝えしてきたように、ゼミでの... […]
    きーにゃん
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