メディアリテラシー教育に社会のレイヤーの再導入を

さる2月27日(土)にSocial Networks for the Next Media Literacy: Comparative Case Studies on Belgium, Korea, and Japan(新たなメディア・リテラシーを育む社会連携のかたち:ベルギー、韓国、日本の事例研究)という国際セミナーがオンラインにて開催されました。

Feb.27 International Online Seminar: Social Networks for the Next Media Literacy – A New Literacy for Media Infrastructure

これは、メディア・インフラストラクチャー・リテラシー・プロジェクトが主催したものです(「メディア・インフラに対する批判的理解の育成を促すリテラシー研究の体系的構築」科学研究費基盤研究B 課題番号:18H03343)。

たいしたはたらきをしたわけではありませんけれども、ぼくもプロジェクト・メンバーの一員として参加し、セミナーの最後に、すこしだけお話をさせていただきました。「メディアリテラシー教育に社会のレイヤーの再導入を」というような内容です。記録として、ここにあげておきます(当日は英語)。


ありがとうございます。登壇者のみなさん、参加者のみなさん、おつかれさま。プロジェクトのメンバーに代わって、セミナーの締めくくりに、簡単にお話をさせていただきます。

本日のすばらしい発表と議論から、私はあることを考えていました。それは、メディアリテラシー教育に、社会のレイヤーを再導入するための方法をあらためて考えなければならないということです。

そんなことは当たり前だ、いまの世の中すでにSNSがあふれているじゃないか。そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。しかし皮肉なことに、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)やトランピズム(トランプ主義)の時代において、メディアにかかわる言説の多くは、しばしば、ソーシャルではなくパーソナルなレイヤーにあります。フェイクニュース、ミスインフォメーションやディスインフォメーション、陰謀論、……さまざまな情報がさまざまな仕方であなたにアプローチしようとしている。それらにだまされないために、メディアリテラシーを身につけなければならない、というわけです。

この種の言説は、個人のレイヤーにおいて作動しています。この文脈にあっては、メディアリテラシーは、各個人がもつ能力として見なされ、一種の自己啓発に還元されてしまう傾向にあります。

しかしながら、メディアとはつねに社会のレイヤーで機能するものです。言語や貨幣がそうであるように。

問題のうちのひとつは、「社会」は直接目で見たり手で触れたりできないため、メディアを学ぶ者にとって、理解しにくいことがあげられます。本日のセミナーでは、この問題を乗り越えてゆくための多くの示唆を知ることができました。

ベルギー・チームの発表は刺激に満ちていました。それは、現在のわたしたちの日常生活を枠付けているアルゴリズム——目に見えず、触れることもできない論理のパターン——に焦点をあてているからです。かれらの試みは、挑戦的でありながら、本質的なものといえます。

韓国チームの発表が教えてくださったのは、ひととテクノロジーの関係を多様化させるための、メディアアート活動のあらたなあり方でした。ジョン・ヒョンソン教授がご指摘された、サードプレイス、参加、コネクテッド・ラーニングという三つのポイントは、さまざまな矛盾や葛藤を抱えこみながらも、すぐれた活動を展開してゆくうえで、わたしたち全員にとって鍵となるものです。

メディアリテラシー教育に社会のレイヤーを再導入するためには、さまざまな課題や取り組みをたばねて共鳴させうる理論的な枠組みを構築しなければなりません。メディア・ビオトープ概念の再検討を主題にした水越伸先生の発表は、そのための見通しを探ろうとしていたものだとおもいます。その意味で、本日のセミナーは、ポストCOVID-19、あるいはポスト・トランピズムの時代におけるメディアリテラシー教育へ向けた、ちいさいけれども確かな一歩となりました。

登壇者のみなさん、スタッフのみなさん、そして参加してくださったみなさんに、あらためて心より感謝申しあげます。ほんとうにありがとうございました。

どうぞすばらしい週末をおすごしください。

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