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授業

デジタル・ストーリーテリング作品公開

昨年度(2010年度)の授業にて製作したデジタル・ストーリーテリングの作品は、公開作業が遅延を重ねて、各方面にご心配をおかけしておりました。おかげさまで、このたび無事に完了し、晴れて公開の運びとなりました。

つぎのページ上のPodcastボタンを押すと、iTunes経由でご視聴いただけます。
http://www.meijigakuin.ac.jp/%7Eart/gallery/dst_list09.html

これまでと同様に、全作品を公開しています。どうぞ、よしなに。

なお、今年度のデジタル・ストーリーテリングの授業は、ぼちぼち佳境に入ろうかという段階を迎えています。


「なぜ働くのか」公開

夏におこなった集中講義(ワークショップ)をドキュメントとしてまとめたウェブサイトが公開されました。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~art/gallery/100805report_about.html
http://www.meijigakuin.ac.jp/~art/gallery/100805report/top.html

対象は明学・芸術学科の芸術メディア系列3年生。「なぜ働くのか」というテーマで、3日間(5日間)にわたり討議して考えをまとめ、上演形式にて発表するというワークショップです。指導には、メディア系列の教員3名(岡本章・望月京・長谷川)が総出であたりました。取材と製作はうちのゼミ生たち(4年生)。かれらは一年前の受講生でもあり、たんに後輩たちの活動を記録するだけでなく、過去のじぶんたちをふりかえる経験でもありました。


勝手にクリスマス・エクスプレス2010(3/3)

疎遠なものを結びつけるのは、儀礼のもつ働きのひとつである。クリスマスもまた儀礼の一種であり、そこからいくつかの変換過程をへて、現代日本では恋愛イベントという認識が通有されている。

クリスマス・エクスプレスもまた、そうした認識を下敷きにしている。だからそこでは、新幹線は、離れていた彼と彼女を結びつけるメディアとして、自己の「魔法つかい」ぶりを発揮してみせる(それがJR東海という企業のイメージアップへとつながるよう設計されている)。新幹線というメディアの助力によって、恋愛状態にある男女が、年に一度、純粋に結びつけられるという「いい話」が描かれるわけだ。

ところが、今日こうした「いい話」パターンをそのまま踏襲するのは、じつはたいへんむずかしい。どこか嘘っぽくなってしまうのだ。だから今回製作した3本のうち、この枠組みをオーソドックスに踏襲しているのは、前述どおり、作品2のみである。もう一度この作品に注目してみよう。

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勝手にクリスマス・エクスプレス2010(2/3)

後期の授業が始まって以来、試行錯誤を重ねながら少しずつ作業を進め、クリスマス直前にようやく作品が完成した。院生が各自1本つくったから、全部で3本できあがった。

美大や専門学校ではなく人文社会系の大学院生が製作したものなので、もちろん技術的に拙い部分があるのは否めない。撮影機材は、各自手持ちのデジタルビデオカメラ、ケータイの動画機能、デジタル一眼の動画機能とさまざまであり、それをパソコンに取り込んで編集した。そしてみんなで試写会。いずれの作品もすごくおもしろかった。

各作品の設定や物語をまとめておこう。

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勝手にクリスマス・エクスプレス2010(1/3)

クリスマス・エクスプレスは、JR東海が1988年から1992年までクリスマスシーズンに流していたテレビ・コマーシャルのシリーズである。

「なつかCM」みたいな懐古番組の定番であるうえに、いまではYouTubeなどにも映像があげられており、誰でも見ることができる。また、Wikipediaをあたれば、やたら詳細な解説を読むこともできる。ちなみに個人的にもっとも好きなのは、牧瀬里穂の登場する1989年版である。

このCMは、札束が幅を利かすバブル末期において、若者のある種の「純愛」的な場面をクオリティ高く描いており、山下達郎の名曲「クリスマス・イブ」がつかわれたこととも相まって、当時から高い評価をうけていた。いま見ても、いろいろな意味でじつによくできていると感心させられる。

授業でこのCMをよくみせる。ぼくは日本のクリスマス文化について関心があるのだが、20年前のこのCMは、いまでも日本的クリスマスを考えるうえで、最良の教材のひとつであるとおもうからだ。

で、前々から考えていたことを、今年は試してみることにした。大学院の授業で「もしクリスマス・エクスプレス2010をつくるとしたら?」という課題に挑戦したのである。

といっても、よくあるような、「パロディ」と称しながら、そのじつパロディでもなんでもないような真似っこづくりではない。授業なのだし。やり方は、こうだ。

まず、88年から92年、それにエクストラとして2000年に放送されたクリスマス・エクスプレスの全作品を分析する。作品ごとにすべてのカットを絵コンテに落とす。それをもとに、作品を構成要素ごとに整理し、それらがどのように組みあわされているか、そしてそれが何をあらわそうとしているかを検討する。全作品に共通する要素があれば、それがこのシリーズに一貫性を与えている枠組みであると、さしあたり言えるだろう。

たとえばそれは、国鉄分割後に誕生したJR東海という企業のイメージCMという大枠であったり、日本的クリスマスのイメージを喚起させる典型的なアイテム群であったり、クリスマスを恋愛における一大イベントとみる信念であったり、遠距離恋愛という具体的なシチュエーションであったり、「すれ違い」ものというプロットパターンであったり、女性を中心にとらえる視線であったり、ソフトフォーカスや細かいショットのつなぎ方といった技法であったり、離れていた彼女と彼とをぶじに結びつけたあと最後に「どや顔」で走り去ってゆく(いまはなき)100系新幹線の後ろ姿であったりするだろう。

それらを受け継ぎつつ、しかし2010年の今日の状況に照らしあわせて、企画を考案し、やはり絵コンテを切り、じっさいに60秒の映像作品として製作するのである(今回はデジタルストーリーテリングではない)。

なお、ぼくの授業において、作品製作を含むワークショップという形式は、ありがちな製作技法を教え込むことを目的としたハンズオンなのではない(ただし結果として技法を教えることも含まれる)。そうではなく、あくまで実践をとおしてさまざまなメディア論的課題をあぶり出すための方法として、これを採用している。実践してみることで初めて気づかされることは少なくない。それをもとに、さらに考えを深めてゆく。そういうアプローチなのである。

勝手にクリスマス・エクスプレス2010(2/3)へつづく


本は、これから

池澤夏樹編『本は、これから』(岩波新書)が刊行されました。ここに「「本ではない本」を発明する」という小篇を寄稿しています。大学で実践してきたワークショップがもとになった論考です。どうぞ、よしなに。


車窓都市

名古屋芸術大学で特別講義をしてきた。『アトラクションの日常』を読んでくださったという津田佳紀先生からお誘いいただいたのだ。とてもありがたいことである。

名古屋駅から名鉄にゆられて15分ばかり。その大学のあるあたりは、かつて西春町とよばれていた。それがいまでは駅名に痕跡を残すのみで、「北名古屋市」と称しているという。その名前についてよそ者が忖度することはつつしみたいが、そうした改名が、近隣の大都市の知名度に寄生することばかりに目がいった結果、いっさいの歴史的文脈というものを消去してしまっているくらいのことは、誰にだって想像がつく。そしてそんな地名がいまや日本じゅうにあふれている。歴史性をはぎとられて、時間の流れない世界という点では、郊外、もしくはテーマパークみたいなものだ。娘に源氏名みたいな名前をつけてしまうようなタイプの欲望とも近い。

『アトラクションの日常』のなかでは、名古屋という都市のあり方が重要な役まわりをはたしている。ぼくにとって名古屋という街は、そこから離れるべきものであると同時に、否応なくその文化に根ざしていることを意識せざるをえないものでもある。その名古屋の都市的様態を、同書のなかで、バザール都市としての東京と対比しながら「スーパーマーケット都市」と書いているが、これは車窓都市といいかえてもよい。名古屋は──少なくとも戦後のある時期以降の名古屋は──全域が「郊外」として編成された大都市であり、「郊外」という空間は、どう考えたって車窓的なのだ。

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地震から夏至まで(2)──遅れる

授業を始めて数分後、二人の男子学生が遅れて教室に入ってきた。アボット=コステロのような凸凹コンビである。

遅刻したらひとつ芸をしてもらうと申しわたしてあった。かれらにそのことを思い出してもらうと、うーんといってしばらく黙り込んだあと、「じゃあ、お題をください」という。即座に「夏至」と答える。ちょうどその話をしていたのだ。学生はにわかには理解しかねたみたいだったが、夏至の意味を説明してやると了解した。さらにあと二つお題を与えることにした。席についている学生から「風邪」と「ウーロン茶」の二つがあがった。三題噺で寸劇をしてもらうことにした。

「それじゃあ、夏至の日に風邪をひいた患者の役を」とコステロがいう。「このひとがやります」。指さされたアボットは、え、おれが? という顔をする。つづけてコステロがいう。「ぼくは、お医者さんの役」。

二人は寸劇を始めた。医者のコステロのところにアボットの患者がやってくる。夏至の日に腹をだして寝ていて風邪を引いた。薬をだすことにしたコステロは、アボットに念を押す。この薬は塩水で飲まないと効かないのだ。翌日、再びアボットがコステロのところにやってくる。発疹が出て、たいへんなことになっている。まちがってウーロン茶で薬を飲んでしまったのだ。コステロは薬を出し直す。こんどはちゃんと塩水で飲むんですよと、もう一度念を押す。

それだけの話で、オチもなんにもないのだが、これが案外おもしろかった。予想外の事態がおきたとき、どんなふうに対応できるかは、学校の成績だけでは単純に計れない。アボット=コステロの二人、なかなかよかったぞ。でも、調子にのって、つぎからわざと遅刻してきたりしないように。


学生制作の映像作品、配信開始

昨年度(2007年度)後期の授業で、デジタル・ストーリーテリングによる2分間の映像作品を制作した。前にもチラと触れたとおりである(過去記事)。受講した学生は、ひとり1作品ずつ制作した。その全作品(70本以上ある)の配信を、明学の文学部芸術学科のウェブサイト上にて開始した(こちらからどうぞ)。

ごらんになれば一目瞭然だが、制作技法の面でもテーマ把握の面においても、率直にいって稚拙の域を出るものではない。そのようなご批判は、むろん正当なものである。ただ、理解してもらいたい。この授業の主眼は、そもそも「上手」な映像作品をつくることにはないのである。

今日、大学の授業で映像作品を制作することなど、けっして珍しいことではない。だがそのさい、学生も指導する教員も、ともすれば作品をいかにプロのそれに近づけるかということだけに関心が集中してゆく傾向がある。そこではいきおい、技法の習得が主眼となってしまいがちだ。映像制作の職業的専門家の養成をめざすのなら、それでもいいのかもしれないが、じっさいには「プロごっこ」に終始してしまっているケースも少なくないのではあるまいか。

作品の技法的クオリティを確保することは、むろん重要だ。しかし、わが芸術学科は美大や専門学校のような実務家養成機関ではない。今回デジタル・ストーリーテリングによる作品制作においてもっとも優先されるのは、技法の習得や、プロの作品の上手な模倣ではないはずだ。そうではなく、ここでの制作は、あくまで「メディアを学ぶ方法」と位置づけられなければなるまい。そのとき最大の主眼は、制作の過程で学生自身がさまざまなことに気づいていくことにおかれるだろう。

ぼくが学生に要求したのは、ひとつだけ。どんなテーマでもかまわないが、いまじぶんが切実に言いたいことをとりあげよう、ということだ。そして、その点だけを企画段階から一貫して厳しくチェックした。学生の大半は初めての映像作品制作であり、経験者はごく少数だった。けれども、いずれの学生にとっても、こんな要求をされた経験はこれまでになかったらしい。

学生ひとりひとりからアイディアを聞く。じぶんの「切実なテーマ」にたどりつくまでがひとつの山だが、そう容易に掘り当てられない。そんなこと、学生が──いや、なにも学生でなくても──ふだんから強烈に意識しなどいないのが、ふつうだからだ。当然ぼくは幾度となく駄目だししなければならない。それは学生との真剣勝負である。適当なところで妥協すれば、学生たちはすぐにこちらの底を見透かしただろう。

学生たちの多くは、おそらく初めて真剣にじぶんの内側から表現しなくてはならない状況に直面した。今回の授業のなかで、そのなかでかれらが見出したものにこそ最大の意義があるとおもう。この4月からの授業で会ってみると、かれらの顔つきは確実に変わっていた。その変化=成長に、この授業が、たとえ小さくても、なんらかのきっかけを与えることができたのであれば、うれしくおもう。

そんなことを、作品をごらんいただくさいの裏話としてご承知いただければさいわいである。なお、公開する作品の著作権は制作者である各学生に、頒布権は明治学院大学文学部芸術学科に、それぞれ帰属していることをお断りしておく。


春かぜ

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桜が散り、近所の公園の桜祭り週間も店じまい。代わって、海棠が咲く。山吹も咲く。いま庭ではリンゴが花を咲かせている。なんだかんだで4月も半月が経過してしまった。

授業も始まる。わが芸術メディア系列の一期生たちも3年生となり、無事に白金にやってきた。卒業まであと二年──およそ105万分だ──どうか充実した時間としてすごしてほしい。1-2年のあいだはワークショップ形式をとりいれた実践的な授業をおこなってきた。それは、かれらの成長に少しは貢献したかもしれない。これからは、それを土台にゼミ形式で勉強していくつもり。

そんなわけで始めた今年度最初の授業の最中、急にだんだん熱があがってくるのに気づいた。ここしばらくのどが痛くて、あやしい感じはしていたのだが。市川で電車を降りたら完璧に悪寒がする。ふるえがとまらない。帰宅して、ほとんどそのまま布団に入った。すると、そこにはすでに次男が眠っていた。午後4時ごろに急に熱が出たのだという。症状も発症のタイミングもほぼぴったり一致している。気が合うというべきか。とにかく、ダウンするにも道連れがいることになった。

背骨にそって、ぞくぞくと悪寒がする。熱があるのに寒気を感じるのは、どんな生理学的メカニズムなんだろう? などとぼんやり考えていた。眠ったのか眠っていないのかよくわからないまま、夜が明けた。ふたりとも熱は下がらなかった。翌日はそれぞれ学校を休み、一日寝ていた。


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