晶文社の「再出発」

友人に教えられた。晶文社から2月15日付けで同社の「再出発」──さしあたっては、創業社長である中村さんが亡くなり、新しい体制へと引き継がれた、ということだろう──にかんするステートメントが発表されている。↓
http://www.shobunsha.co.jp/

今回の発表の意義は小さくない。二点あげる。

まずは「ご挨拶」と題されたこの声明のうち、もっとも重要とおもわれる箇所を引用しておく。

この間、晶文社が文芸書出版から撤退し、実用書部門に特化するのではないか、という噂が一部でささやかれていたことも承知しております。しかし、これは事実ではありません。今後も、私どもは文芸書の新刊を出版し続けてまいります。これまでの活動の果実ともいうべき既刊本の重版、販売も続けてまいります。

第一点は、この文章の前半に関係している。すなわち、文芸書出版からの撤退、という「風説」にたいして、今後も新刊を刊行していく意志を明確に示すことで、この種の「風説」の無効性を明らかにしたことである。

こうした「噂」はここしばらく、ぼくのような辺境の耳にまで届いていた。大半は伝聞や憶測にもとづくものだったようだ。だがなかには、その無責任さゆえに、不愉快になる以前に悲しくなってしまうものもあった。このような「風説」が流れてしまう業界のありさまを見るにつけ、ぼくの頭には、大岡昇平『レイテ戦記』に描かれる日本軍の潰走のさまが想起されるのだった。

第二点は、引用の後半に関係している。すなわち、バックリストの保全、という方針の明確化だ。

書籍出版社の生命線はバックリスト、つまり既刊書群である。だからどの書籍出版社でも、既刊書群を大切にする。文庫乱立の理由のひとつは自社単行本の保全という意味あいがあるのだし、ましてや晶文社のような文庫をもたない人文書出版社であれば、なおさらだ。

少なくともある時期までの晶文社には、十分個性的で充実したバックリストが構築されていた。それはたとえば文庫の企画という視点から見れば、なかなか魅力的なお宝である──と映らないとも限らない。

単行本の出版社は、自社の刊行物が他社によって文庫化されるにあたって、それが自社のバックリストにどのような影響を与えるか、プラスマイナス両面から慎重に検討するのが通例である。文庫は競争が厳しく、どこも良質の企画を必死に求めているという台所事情がある。単行本ではなかなか動かなくなった本が、文庫になれば息を吹き返すということもあるだろう。そのさい原出版社と文庫出版社の双方のあいだに十分な合意が形成されているのであれば、その文庫化は、読者、著者、原出版社、文庫出版社のいずれのセクターにとっても有益な選択だったといえる。

ただ、日本のばあい、不幸なことに出版社の権利は法的にはほとんど認められていない。文庫化を希望する出版社は、原出版社とのあいだに十分な合意を形成することがなくても、著作権保持者の同意さえ得られれば強行できるし、実際そうしたケースは珍しくないと聞く。創業社長という「重し」がとれたのを幸いに、同社のバックリストをいわば「草刈り場」としか見ないような見方が、万が一にも業界の一部に生じたのだとしたら、それはあまり誉められたことではない。少なくとも、ふだん出版活動を「文化」とか「教養」とか「ジャーナリズム」などという言葉と結びつけて語るのを好む出版人が採るべき態度とはいえない。出版なんか金儲けの手段だと言い切るのであれば話は別だけどね。

この第一の点と第二の点は、相互補完的である。バックリストを保全していくためには、継続的に新刊を刊行していくことが必要であり、新刊を活かしていくためには、分厚いバックリストの存在が不可欠だからだ。

そしてこのことは同時に、出版社が活動を継続していくということの責任についても、あらためて考えさせられる。出版社のその責任とは、読者にたいするものであり、著者にたいするものである。読者にたいしては、既刊書を安定的に供給しつつ、新刊書によってつねにバックリストを更新することをとおして、整備していくことである。著者にたいしては、著作がその出版社から出版されたことが肯定的に受け入れられることであり、そのために必要な手だてを遂行することである。

しかし、人文書出版社が一個の出版事業体として当たり前に守るべきこうした態度ですら、それを貫徹することは容易ではない。晶文社が創業した46年前の出版界も荒海だっただろうが、今日の日本の人文書出版がおかれている情勢は、すでに根本的な条件からして変わってしまっている。「再出発」した同社の前には、多くの困難が立ちはだかるだろう。そして同社はきっと、それらを乗り越えていくだろう。だがそれら困難のうちのいくつかは、一出版社が固有に解決すべき/解決可能な問題というよりも、こうした「出版」そのもののあり方にかかわる性質のものである。そうした種類の困難は、したがって、「かれら」の困難というだけではなく、同時に「わたしたち」自身の困難でもあるのだ。